シーナのとまどい(Ω×Ω)

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 お湯を沸かして、買い置きのカップ麺を啜る。一週間、餌にありつけなかった肉食獣のようにガツガツと。  人は空腹が過ぎると、テンションがおかしくなるらしい。豚骨ラーメンと塩焼きそばの二つを平らげ、ルカが半分食べて余っていたサンラータンを腹に収めると、やっと生き返った心地がした。 「本当にシーナは、よく食べるよね。痩せの大食い」  呆れた声で言われて、シーナは小さく肩をすくめる。空になった容器をシンクに片づけ、急須で二人分のお茶を淹れる。熱い湯のみを手渡すと、ルカは小さく口を尖らせてぼやいた。 「最近さ、料理とか始めたんだけど、全然うまくできなくて。卵焼きは崩れるし、魚は焦げるし、肉は生焼けで。僕って、なんにもできない子どもだったんだって思い知るんだよね。全部、母親まかせだったからさ」  ルカは家出したものの、いまのところ、親から連れ戻されてはいない。学校の場所はわかっているのだから、様子見されているようだ。 「いいねえ、新妻。初々しくて」 「茶化すなって。シーナは自炊しないの?」  ろくな食器がないのはおろか、キッチンには鍋釜すら揃っていない。半ダースの缶ビール、つまみとインスタント食品だけが充実している。実家も似たりよったりだった。 「ハルカはさ、いいうちで育ったんだな」 「は? うちは、普通の庶民だよ。超普通」  わかってない。普通の家庭が眩しくて、羨ましく思える、そんな生活があること。  両親に大事に育てられ、好きになった人と暮らす。ルカが当たり前のように享受しているものは、シーナは得られなかった。  羨ましい。  憎いわけではない。ただ、羨ましい。  だから、口を滑らせていた。天宮にしか、告げたことのない話を。 「なあ、ハルカ。『Ωの墓場』って知ってるか」 「墓場? あれって、ただの都市伝説でしょう?」 「いや、実在するΩ収容施設なんだ。俺さ、客取るの嫌がったら、墓場に入れられそうになった」  発情の症状が重くて、日常生活を送ることすら困難な若いΩ。番を得られず、自活もできず、一人で暮らしていけない老いたΩ。番のいないΩは寿命が短いとはいえ、病み衰えて、手助けが必要になる者だっている。  人里離れた山奥には、そうしたΩを収容する施設があり、病んだΩの世話をすることで細々と生活しているΩもいる。 「うそ……」 「おまえに嘘なんてつく必要ないだろ。母親が施設への入所手続きしてるの知って、逃げてきた」  いま通っている専門学校の当座の学費は、別れた父方の祖父が理由も聞かずに出してくれた。 「金にならないΩの息子を、家に置いておきたくなかったんだよ。自分の恋人を息子に取られるなんて、母親からしてみれば屈辱もいいとこだろ?」  口に出して責められたことはないが、母は気づいていたはずだ。家に出入りしている年下の彼氏が、Ωの息子に手をつけていたことを。  一度や二度ではない。母のいない間、発情期かどうかに関わらず、何度となく抱かれた。Ωが誘惑するから悪いのだと責められながら。 「俺んち、すんげー貧乏でさ。親父は蒸発したし、母親はアル中で、男の趣味が最低で。高校二年の時に、修学旅行の夜に最初の発情期が来て、もう最悪だった。やりたい盛りの男子高校生ってさ、マジでえげつない。さんざん嬲られて酷い目に遭った」  おまえが悪い、と言われた。  男を誘うΩが悪いのだと。  朝方、教師に見つかった時のことを、シーナは覚えていない。十畳の八人部屋で、寝具は大変なことになっていたらしい。そのまま、専門の病院へ収容された。  学校へは、ほとんど行かなくなり、自宅の狭い部屋でひきこもった。なんの特別措置か知らないが、高校は無事に卒業していた。 「βの母親は、金持ちの爺さん相手に、ひきこもりの俺を売りつけようとして。そこで、俺を押し倒そうとした爺さんの顔、思い切りぶん殴って怪我させた。そしたら、発情期の度に次々、違う客取らされた」  レーヴに来る前から、さんざんに汚れた体だった。金銭と体を引き換えにすることに、いまさら罪悪感なんてない。強欲な母親に稼ぎをむしり取られることなく、自分の懐に入るだけ、よほどいい。 「ああ、そんな顔すんなって。別に珍しい話でもないだろ、Ωには」  自分が傷ついたようなルカの顔を見ると、鞠村を思い出す。  同じΩでも、こんなに違う。人を好きになって、その人だけを一途に見つめる瞳があまりに純粋で。同じΩとはいえ、違う人種なのだと思い知る。  鞠村は、ただの客だ。シーナ自身が特別な思いをよせているわけではないが、妙に気になってしまう。  渡せなかった名刺入れ。大きな会社と、隣にいたαの男。  自分だけが一人、迷子になっているように錯覚してしまう。  結局、鞠村のことは、ルカには話さなかった。
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