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月末金曜日の就業後。
親しい同期の男性陣だけで、地方支社へ出立する御薗生を囲むという。
スーツ姿の若い男たち、八人が一団となって通用口から出てくる。シーナはベンチに腰掛けたまま眺めていた。鞠村と御薗生の姿も見える。予定通り、彼らは会社からほど近くにある居酒屋へ向かっていく。
声を張りあげ、屈託なく笑いあう彼らを見ていると、どうにも胸が苦しくなる。あちら側と、シーナのいるこちら側には見えない線が引かれている気がして、隠れてしまいたくなる。
「そういえば、プレミアムフライデーとかいうの、なかったか?」
「あったな。いつ始まった? いや、いつ終わった?」
「なにはともあれ、お疲れさまっす。今日はとことんまで飲むからな、御薗生」
「ごめん。本当に悪いんだけど、明日の朝一で引越し来る業者来るのに、まだ荷物詰めてないんだよ」
「うそだろ。何事にも手際のいい御薗生クンが、そんなわけないじゃん」
「いや、本当に。ちょっと、いろいろとたてこんでて、全然準備できてないんだよ」
「そこは、そっとしておいてやれよ。御薗生には、最後に会っておきたい女の、一人や二人くらいいるだろ」
「いや、ないから。本当に」
いまつきあっている人はいない、と鞠村には話していたらしい。真偽のほどはさだかではないが。
彼らが居酒屋の入口に吸いこまれていくのを、シーナは黙って見守っていた。通りには家路を急ぐ人、急がない人、多くの男女が行き交っている。
席の予約は二時間。それまで適当に時間を潰すつもりだ。
薬の効き目が出るまでの時間は、慎重に見計らう必要があった。早くても遅くても駄目だ。即効性のある薬もあるが、効果が激烈で副作用もあるので、できれば使いたくない。
鞠村に渡した薬のことが気になるので、この場から遠く離れる気はない。万一、効き目が早すぎた時のために、シーナが近くで待機している必要があった。
鞠村たちが入った居酒屋の一画をゆっくりと二周して、並びにあるファストフード店に入った。通りのむこうには洒落たバーが見える。シーナはビールを飲みたい衝動をこらえ、薬くさいジンジャーエールで喉の乾きを潤す。いま、アルコールを摂るわけにはいかない。
そもそも、夜の街を出歩くことが、ほとんどない。Ωにとって、盛り場は危険な場所だった。どこで暗がりに引っ張られるかわからない。一見すると、Ωらしくないシーナだが、危険からは遠ざかるに越したことはない。
普段なら、レーヴに出勤している時間だった。
テーブルの上にスマホを出しておくが、鞠村から連絡はない。現時点では問題ないようだ。冷えたポテトはしなしなで油っぽさが鼻につくが、塩分ならなんでもよかった。
なにとはなしに店内を見渡す。店員を含めて、ほとんどがβだろうなと思う。αはこんな安価な店には来ない。
「そろそろ、かな」
店を出て、人待ち顔でキョロキョロしていると、しばらくして、鞠村たちのグループがあらわれた。
最後尾を歩く鞠村の顔を凝視する。アルコールは飲まないよう言ってあるが、顔がほんのり赤い。店内が暑かったのか、薬が効き始めたのか。タイミングが難しい。
陽気な声をあげて、御薗生の転勤を惜しむ声が響く。
「よし。もう一軒、行くぞぉ!」
「ごめんな。また、こっちに戻ってきたら、その時はつきあうからさ」
「おいおい。主役が来ないとかないだろよォ」
「よせよ。女待たせてるやつ、引き止めるとか野暮だろよ」
「そうかァ。じゃあ、しゃあない。気をつけてな。必ず帰って来いよ、御薗生。絶対だぞ」
「ああ。今日はありがとう。楽しかった」
騒ぐグループの中から御薗生が抜け、鞠村が抜ける。
「僕も、家がこっちだから」
「ああ」
二人が同じ方向に歩き出すのを見て、ひやかしの声が上がる。
「送り狼になるなよー」
「古くね? いくらなんでも」
「ははは。おまえらも、飲みすぎるなよ」
一行は、六人と二人に別れた。シーナは、鞠村と御薗生のあとを追う。薬は二種類を渡した。
どの時点から効き始めるか。効かない場合、二種類目である促進剤が必要になる。
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