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「だめ、ダメだから、来ちゃダメ!」
「鞠村、もしかして……?」
街灯に照らされた二人が凍りつく。
「その、来たんだな? あれ、が」
「そうだよっ。だから、離れて。迷惑かけちゃうから!」
シーナは、鞠村に嘘をついた。
発情期のように体が熱くなる薬だが、発情期とは別物だと言った。色っぽく見える、秘薬だと嘘をついた。
これを飲んで、帰りは御薗生に送ってもらえと言ったら、騙しているようで嫌だと鞠村は抵抗した。Ωの体質を利用して、αを誘うのは嫌だと言った。
おそらく、途中で気づいたのだろう。
本物の発情促進剤だと。
鞠村を騙したのはシーナだ。
あとで恨まれようが、なじられようがかまわない。鞠村が御薗生と幸せになれれば、それでいいと思った。
心の内に思いを秘めているだけでは、永遠に伝わらない。多少乱暴な手段でも、既成事実を作ってしまうほうがよほど有効だ。
体の交わりから始まる、恋愛めいた関係もある。連日、レーヴで働いているシーナが一番わかっている。
「も、ここでいい。もう、帰れるからっ。僕から離れて!」
押し殺した悲痛な声が響く。
シーナはゆっくりと近づいていった。その場にしゃがみこんだ鞠村と、呆然と立ちつくしている御薗生の二人のもとへ。
気配と足音に気づいた二人が、シーナを振り向く。
「おい。家まで歩けるか?」
「シーナさん……僕、これって、でもっ、」
声が震えている。街灯に照らされた鞠村は、両の瞳が潤んで、充血したように赤くなっている。呼吸が浅く、ハアハアと犬のように熱を吐き出している。息が白い。
Ωであるシーナには感じられないが、鞠村の全身から発情期特有のフェロモンが漏れていることだろう。夜道はまずい。αやβの男たちに襲われたらひとたまりもない。とりあえず、この場を離れなければ、鞠村にとってもシーナにとっても危険だった。
「家まで我慢しろよ。すぐに、楽にしてやるから」
「シーナさん、でも、僕は、」
「いいから。行くぞ」
鞠村に肩を貸して立ち上がると、慎重に歩き出した。アパートはすぐそこだ。
「待ってくれ。君は、いったい、」
「なんだよ、あんた。これ見れば、わかるだろ?」
呼び止めてきた御薗生を見上げると、どうしていいかわからないという顔をで立ちつくしていた。
動揺している。御薗生はαだから。唐突に発情期の始まった鞠村のすぐ側にいて、冷静でいられるわけがない。Ωのフェロモンをまともに受け、こちらも息が荒くなっている。
「二人だけだと危ないから、その、鞠村の家まで俺が送ろう」
たった二ブロック先の建物なのに、一キロ以上の距離があるように思える。すぐそこに見えているのに遠い。いまにも四つ角のブロック塀からうしろの茂みから、飢えた男が飛び出してくるのではないかと考えてしまう。心拍数が跳ね上がる。
発情したΩのフェロモンは、無自覚に男をひきよせてしまう。すぐうしろから御薗生がついてきているが、緊張感は変わりない。
鞠村の部屋に無事たどりつく頃には、シーナは疲労困憊だった。
「はあぁ、はっ、ああっ……」
灯りをつけた部屋に、あわててブラインドを下ろす。
鞠村は床にうずくまって、躰の内側から沸きあがる熱に耐えている。シーナは上着とネクタイを抜き取ってハンガーに吊るし、耳元に唇をよせた。
「もう、我慢しなくていいよ」
「ひゃあ、アッ、ンン」
ベルトを探り当てて引き抜く。シャツのボタンを外していくと、うつろだった鞠村の目が、一瞬、正気に引き戻される。
「だ、だめッ! ダメだって!」
「俺なら、大丈夫だろ?」
「見られてるからっ」
御薗生は靴を履いたまま、玄関に立っている。中へ入ってこないが、出ていこうともしない。
手で鼻と口を押さえて、発情中のΩを自分のものにしてしまいたいというαの衝動に抗っている。
「あの男って同僚? それとも、彼氏? いや、突っ立ってるだけなんて彼氏じゃないっしょ。だったら、俺がしてあげるから」
「や、やあっ、アアア!」
嫌々とかぶりを振っていた鞠村に唇を重ねる。強く押しつけ、熱く濡れた唇の間を舌で割る。口腔の内側を擦りあげてやると、諦めたように抵抗をやめた。体の力が抜けていくのがわかる。
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