イヴは嘘をつく(α×Ω)

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 翌日、神蔵から、イヴの帰りを送っていけなかった謝罪メッセージが届いた。  神蔵に心配されていることを、単純に嬉しく思う。  心配と愛情が同義語のように感じてしまう時点で、(やまい)膏肓(こうこう)に入るとはこのことだと自嘲する。  神蔵は知らなくていい。  彼の母親の依頼で、その晩、イヴが見知らぬ男に暴行されたなんて、知らなくていい。知ってしまったら、神蔵はひどく傷つく。不甲斐ない自分のせいだと言って泣くだろう。  三姉妹の末っ子で跡継ぎの長男。なんでもそつなくこなし、苦手なことがなくて、優秀なα。淋しがりやで甘え上手で、人より高い体温でイヴをあたためてくれる、大事な幼馴染み。  母、照子の底なしの悪意なんて、知る必要ない。  第三者から見れば、神蔵にも責められる点はあるだろう。  勝手に部屋の鍵をつけ替えた母に、文句を言った様子もない。大学院生で親のスネを齧っている身とはいえ、母の言いなりになっているのは否めない。  神蔵はやさしいから。イヴを傷つけたくないし、母を悲しませたくない。卑怯でやさしい。ずるくてやさしい。そんなこと、一緒に暮らしていたイヴが、よく知っている。  神蔵はそのまま、一族の期待に応えて、しかるべき伴侶を迎えればいい。誰からも賞賛される、明るい道を歩いていけばいい。Ωのイヴに、躓くことはない。  イヴは一度や二度、乱暴されたところで、神蔵ほど傷つくことはない。さんざん、うしろぐらいことばかりしてきた体だ。レーヴのことだけじゃない。神蔵と再会したあの時には、もう手遅れだった。  だから、神蔵との限りある逢瀬を、大事にしたい。  神蔵が結婚する時には、きれいさっぱり姿を消すから、いまだけは好きにさせて欲しい。  それすら、照子は反対するだろうけど。  昼間の仕事は、夜の仕事とは違う疲労を覚える。  身を粉にして懸命に働いても、手にする給金は笑えるくらい、ごくわずか。学もなく、体力もなく、発情期の度に欠勤せざるをえないΩに、ろくな仕事などありはしない。  イヴは、発情期の間しかレーヴで働いてはこなかったが、正直にいえば、夜の仕事一本に絞ったほうが実入りがいい。神蔵に義理立てしても仕方ない。神蔵の目をごまかして、レーヴの仕事を増やしたほうがいいのだろう。そう思っても、いままで、なかなか踏ん切りがつかなかった。  けれど、たいしたことではないと思い直す。  見知らぬ男にタダで貪られたことを思えば、せめて代償を払って欲しかった。Ωの体にはそれだけの価値があるのだと、証明してやりたい。  蔑まれることには慣れている。卑しい? 穢れてる? それがどうした。くだらない。  Ωには、Ωにしかできないことがある。神蔵にさえ知られなければ、別にかまわない。育ちのいい坊っちゃんは、イヴの暗い面になど目を向けない。気づきはしないだろう。 「今日は早いですね、イヴ。先日、名刺をもらったというお客様から、ご指名の電話が入っていますが、受けられますか」  カウンターには、いつものように天宮とバーテンが立っている。  レーヴは、Ωの体質にも立場にも理解がある。法にも守られず、αやβから搾取されるだけのΩに、意味と報酬を与えてくれる。 「新規のお客様? 名刺番号は?」  天宮の告げるナンバーを聞いて、イヴは声を出さずに笑った。  レーヴの名刺にはシリアルナンバーが振ってある。名刺の番号で、いつ誰に配ったものかがわかる。 「イヴと今夜の蓮田(はすだ)様は、どういう知り合いですか」 「いえ、ちょっとした知り合いの紹介でね」 「わかっているとは思いますが、不安や危険を感じたら、すぐにコールしてください」 「はいはい」  今日もいい仕事をしてやろう。胸の中に小さな決意を秘めて、イヴは宛てがわれた部屋へと向かった。
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