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発情期の切迫度には、同じΩでも個人差が大きい。
動物的な性欲に支配されるのは変わりないが、ある程度は我慢のきく者もいれば、どうしようもなく溺れてしまう者もいる。意志の固さは関係ない。当人の体質次第だ。
食事すらろくに摂れず、ひたすらセックスに耽る者もいるが、イヴは比較的自制がきくほうだ。火がついたような欲求は当然あるものの、三食無理なく食べることができる。
金色の首輪を自分の手で嵌めながら、鏡を振り返った。
けして、女性らしいわけではないのに、ひどく艶っぽい表情の男がいる。発情期ではない。それを承知で、指名してくる客がいる。
βの男が相手なので、うなじを噛まれて番にされる危険はない。けれど、イヴはレーヴで支給された、この首輪が好きだった。
首輪を嵌めると、気持ちが切り替わる。一晩だけの所有者に額づいて、身も心も跪くのにちょうどいい。指名客へ夢のような時間を提供するために、無心になれる。
部屋に備えつけの内線から、聞き慣れたメロディーが鳴る。
お客様が来店したことを知らせる合図だ。
「……よし」
イヴは鏡の前で軽く顔をはたいて、ドアへ向かった。ほどなくしてチャイムが鳴る。イヴのほうからゆっくりとドアを開けると、いつか見た男が立っていた。
「ようこそ、蓮田様。お待ちしておりました」
「マジかよ。この名刺、本当に使えるとは思わなかった」
ドアを塞ぐほど大きい男が、遠慮なく部屋へ入ってくる。先日、イヴの部屋へ押し入った暴漢だ。
「名刺を差し上げていて、よかったです。おかげでこうして、もう一度お会いすることができた」
「おまえ、正気か? 一度、襲われた男を自分の店に呼ぶか、普通」
革ジャンを脱いでハンガーにかける男、蓮田は案外、几帳面なのかもしれない。神蔵に見習って欲しいくらいだ。
弱点のない神蔵の唯一の弱点は、整理整頓のまずさだ。脱いだ時の形のままのズボンや靴下が、床に点々としている。それを片づけていたのはイヴだった。いまの神蔵の部屋が比較的片付いているのは、母・照子の手が入っているのか、本人が心を入れ替えたのか。
「レーヴのお客様としてなら、いつでも歓迎しますよ」
「金払えばいいってことか?」
「いえ、それもありますが、神蔵照子の依頼でなければ、いいんですよ」
「神蔵照子? 誰だ、それは」
「ああ。蓮田様とは直接、接していないのでしょう。照子が誰か人をやって、依頼したはずです。もう、どうでもいいことですが」
残念ながらイヴには、照子に対抗する手段なんてない。
何度、手ひどく痛めつけられても、照子を訴えることはできない。彼女が手をまわした証拠はなく、そもそも、Ωを暴行しても罪には問われない。
「今夜はご指名、ありがとうございます。蓮田様のご期待に添えられますよう、精一杯尽くさせていただきます」
イヴの手で、うんとよくしてあげる。
そうして、イヴの魅力にはまってしまえば、発情期の苦しい時に呼びつければすぐに飛んでくるような上客になってくれるだろう。
三ヶ月に一回、約一週間、どれだけ注がれても足りなくて、のたうちまわる。際限のない飢えに似た、地獄のような苦しみだった。レーヴで客の相手をしていなければ、狂ってしまいそうなほどの刹那的な衝動。何度経験しても、こればかりは慣れることがない。
番を作る以外に、出産を減れば軽減するという説もあったが、イヴには無意味のようだった。
「この前の晩には、してあげられなかったことが、いっぱいあります。前よりも、もっと楽しみましょう」
心持ち顔を傾けて婀娜っぽく微笑めば、蓮田はそれだけで鼻息を荒くしている。イヴの気性からして、相手に翻弄されるのは気に食わない。イヴの手で振りまわしてやりたい。
蓮田とイヴが後日、抱き合っているのを知ったら、照子はなんと言うだろうか。
イヴは蓮田の首に手をまわして、焦らすように唇を重ねた。
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