シーナのためらい(β×Ω)

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シーナのためらい(β×Ω)

 その人は、今まで出会った誰とも違っていた。  年はひとまわり上で、中肉中背、やぼったい眼鏡と、少し後退しかけた額、髭は濃く、団子鼻で、お腹まわりの肉は増量中。足のサイズはシーナと同じ25。  有名な大学を出て、大学院在学中に起業したIT関係の会社がそこそこに当たって、いまや名の知れた実業家でもある。 「ぼくの地元は高校すらないような、ド田舎の港町でね、隣町の高校へ通うためにボロボロの下宿にいたんだ。それが都会の大学へ進んで、いまやこんな状態なんだけど、結局は田舎者なんだなあって思うよ。お洒落なところや、華やかなところにはちっとも馴染めない。堅苦しくて疲れてしまって」  そう言って恥ずかしそうに、はにかむ姿は、独身のIT長者には見えない。体の線に合っていない濃紺のスーツに、これだけは贈り物かなにかだろうか、センスのよいライトブルーのレジメンタルのネクタイ。公務員か銀行員か教員か。お堅い稼業の人間にしか見えない。  夜ごとに麻布や六本木に繰り出し、美女を連れて外車を乗りまわすだけがIT長者ではないらしい。 「レーヴのことは、知り合いに教えてもらったんだ。いままで男の子とは経験がなかったんだけど、ここは絶対にお勧めだからって。来て良かったよ。レーヴに来なかったら、シーナとは会う機会もなかっただろうし」  IT企業の社長と、専門学校生でΩの男では、普通に生活していたら知り合うことはない。  男の声はハスキーというより、かすれて聞き取りづらい。けれど、その枯れた声が、いまのシーナにはしみいるように感じる。 「シーナは自然体でいるところが、一番いいんだよ」  金の匂いのするところへハイエナのように群がってくる、肉食美女たちには心底疲れ果てたのだという。 「どんなに積極的でもさ、あの子たち陰ではぼくのこと、ハゲだのダサいだの、本音が出るからね」 「ダサいなんてひどいな。これからまだ、自分の好みに変えていく余地があるっていうんですよ。そもそもハゲてなんか、いないでしょ」 「シーナはやさしいね。すごい子になると、もっとはっきり言うんだよ。遺産狙いだって」 「遺産って。そんな、生きてる人に向かって」 「なんか無味無臭の毒物をこっそり盛られるらしい。まあ、二時間サスペンスの見過ぎだとは思うけれど」  そう言って肩をすくめ、寂しそうに笑う男を見ていると、シーナはどうにも切なくなる。  見た目が九割とは言うけれど、断言してもいいが、人の魅力はそれだけではない。わかりやすく目を惹かれるアイテムだけでもない。  もっと一緒にいたいと思うか、思わないか。商売で何人もの客と接してきたシーナだからこそ、そう思う。 「女の子は、本当に怖いよ」 「男とは違う生きもの、ですから」 「ああ」  シーナはそっと距離を縮めて、男の肩にもたれかかる。少しとまどいを見せた男は、恐る恐る手を伸ばして、シーナの肩を抱きよせてくれた。  アッシュグレーの短い髪に触れて、恐る恐るピアスに指を伸ばす。壊れ物のように撫でられると、かえってくすぐったく感じる。 「痛くないの?」 「いまは全然」 「そっか。キラキラして、すごくきれい。シーナに似合ってる。ぼくは臆病で思い切りが悪いから、ちょっと羨ましい」  緊張すると吃音気味になる。ストレスに弱くて、すぐにお腹をくだす。ひどい花粉症で、犬の毛にもアレルギーのある厄介な男の名は、弓原(ゆみはら)(のぞむ)。シーナのここ一番の上客である。
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