ユウとレーヴの一日(α×Ω)

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ユウとレーヴの一日(α×Ω)

「僕ね、ちょっと小耳に挟んだんですけど」 「なんでしょうか、酒々井(しすい)様」  開店したばかりのレーヴでは、客はまだ一人だった。  酒々井の妻であり、(つがい)の岬女史は、マナのせいで講演会を台無しにされた後も、なにも変わりないらしい。酒々井は仕事の合間に時間を見つけては、レーヴにふらりと立ち寄っている。 「マナから聞いたんだけど、天宮さんって占いが得意なんだって?」 「いえ、得意というわけでは。タロットカードを少々、齧っているだけですから」  酒々井はジン・トニックを呷っている。天宮はナッツの皿を差し出しながら、少し困ったように微笑んだ。 「すごいですね。ぜひ、占ってくださいよ、僕のこと」 「なにか、気にかかっていることが、おありですか」 「ええ、まあ」  曖昧に笑う酒々井を見て、天宮は真面目な顔で答える。 「差し支えなければ、教えていただけませんか。お聞きしたほうが、ピンポイントに占うことができますよ」 「いえ、具体的には、別に」 「そうですね。私の占いは、ただの遊びです。酒々井様が正確なことをお知りになりたいのなら、プロの占い師の方のところへ行かれたほうがよいでしょう」 「いや、いいんです。僕は、天宮さんにお願いしたい」 「かしこまりました。ただいま、用意してまいりますので、しばらくお待ちください」  うす暗い店内を、ささやかなボリュームで流れているのは『My Funny Valentine』。スタンダードなジャズナンバーだが、バレンタインにはまだ早い。  奥へ引っこんでいた天宮が、メタリックシルバーのカードケースを手に、カウンターへ戻ってきた。 「やっぱり、本格的なんですね。タロット」 「いいえ。私のは、ただの趣味ですよ。カードだけは、いいものを選ばせていただきましたが」 「いやあ、なんだか緊張してきました」 「では、酒々井様の未来について占わせていただけば、よろしいでしょうか」 「はい。お願いします」  占いで過去について訊ねてくるものは、滅多にいない。みな、未来を知りたがる。  恋愛は、仕事は、健康は、金運は?   いつ、寿命がつきるのか。事故や病の予兆はあるのか。それは、避けることができるのか。  知りたいけど、知りたくない。  知りたくないけど、気にかかって仕方ない。 「お仕事や、対人関係など、具体的にありますか?」  タロット占いは漠然とした内容を問うのには向かないと言われている。  レーヴの会員となった時点で、生年月日も血液型も把握している。酒々井は店にとって、上客の部類だった。資産家の一族に生まれたαである。まずまずの頻度でレーヴを利用していて、トラブルは一切ない。マナやシーナの他にも、新人スタッフを指名してくることもある。 「そうですね、では今後の対人関係についてお願いします」 「かしこまりました」  天宮はカードをすべて伏せて、カウンターの上でシャッフルしている。  タロットは一般に、大アルカナと呼ばれるカードが二十二枚、小アルカナと呼ばれるカードが五十六枚ある。これらを机の上に並べ、配置されたカードを確かめ、その意味を解釈するものである。  天宮は大アルカナを十分にシャッフルすると、その中から二枚を引き当てて、カウンターに縦方向に並べた。 「正位置の月と、逆位置の死神」  カードを読み上げると、酒々井は顔を曇らせた。 「現在は混迷、不安定な状態にありますが、今後は再生とやり直しを意味するカードですね」 「再生とやり直し、ですか」 「ええ。いろいろと不安に思うこともおありかと思いますが、悪循環から抜け出すという相なので、未来は明るいものに変わっていくのではないでしょうか。私なら、そう解釈いたします」 「そう、ですか。ありがとうございます。あの、これは」 「ああ。私の占いは趣味の範囲ですので、お代は結構です」  酒々井は、人間関係のなにを知りたかったのだろう。  家庭か、親族か、友人か、はたまた会社関係か。  天宮自身は、岬がのめりこんでいるΩ解放運動も承知しているが、ここで酒々井に向かって問い質すわけにはいかない。 「飲み物のお代わりはいかがですか」 「いただきます。じゃあ、ソルティ・ドッグで」  酒々井は気を取り直すように、ウォッカベースのカクテルを頼んだ。
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