【第2章】思い立っても行動できない ~未沙~

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5.海辺の出会い  週末になると、わたしはひとりであちこち出かけていた。  一緒に遊びに行くような友だちはいないし、かといって家にいるとお母さんの視線が痛いからだ。  休みの日に家でゴロゴロしていると、妻の顔が怖い――なんて話をよく聞くけれど、まさにそんな感じ。  ちょっと考えかたが古いうちのお母さんは、未だに『子どもは外で遊ぶもの』と思っているらしい。  居間で寝転がってスマホゲームなんかに興じていると、ネチネチと文句を言ってくるんだ。  そんなわけで――  『まさかリズム』のことを知った次の週末も、わたしはひとりで自転車に跨がっていた。  出かけるといっても、どこかのお店や施設に行くわけじゃない。  人見知りのわたしが、他人(ひと)のいる場所になんか、好き好んで行くはずがなかった。  むつ市に来ていちばんよかったことは、もしかしたら人混みを楽にさけられることなのかもしれない。  人が集まるような場所に、行かなければいいだけなんだ。  わたしはまず近くの公園に避難してから、おばあちゃんからもらった紙の地図を広げた。  これには、スマホの地図アプリには載っていない情報が、たくさん詰まっている。  見出しには、『下北ジオパーク』の文字。  その下に、『海と生きる「まさかり」の大地 ~本州最北の地に、守り継がれる文化と信仰~』というテーマが書かれていた。 「まさかり……」  脳裏にチラリと、『まさかリズム』のことがよぎる。  その名称を初めて見たとき、わたしはすぐに『まさかり』の『まさか』だと気づくことができた。  それは他でもなく、事前にこの地図を目にしていたからだ。  そうでなければ、『そんなまさか!』の『まさか』だと思ったことだろう。  ……心情的には、あんまり間違ってはいないけど。  いくら東京で一緒に住もうと言っても、首を縦に振らなかったわたしのおばあちゃんは、生まれ育った下北が大好きな人だ。  だから自分でもあれこれ勉強しているし、ジオパークについてはなにも見ないで説明できるほどに詳しかった。  朝ふたりきりでテーブルを囲んでいると、おばあちゃんがよくその話をしてくるものだから、わたしもすっかり興味を持ってしまったというわけだ。  おばあちゃんから渡されたジオパークマップを頼りに、自転車で行ける範囲をまわって見ているのだった。  ただ――改めて地図に目を落とすと、近場は大体まわってしまっていた。  今日は天気もいいし、ちょっと遠くに行ってみようかという気分になる。  いくつか候補を見繕って、最終的には『北部海岸』というところに決めた。  むつ市と、お隣の東通村の()()――津軽海峡に面した海岸に、すごい崖があるらしい。  むつ市の市街地はまさかりの内側――陸奥湾側だから、自転車で行くとなると結構な距離だ。  地図アプリで確認してみたら、片道一時間はかかりそうだった。 「ま、暇つぶしにはちょうどいいか……」  自分を納得させるように呟き、ルートをそのまま設定。  スマホを自転車のハンドルに取りつけて、ナビを開始した。  『ジオパーク』というものの存在を、わたしはむつ市に来るまで知らなかった。  もっと言えば、おばあちゃんから話を聞くまで、知らなかった。  っていうか、その意味については、実は今もちゃんと理解できているわけじゃない。  『パーク』といえば公園だけど、『ジオ』って?  もちろんおばあちゃんが最初に説明してくれたんだけど、残念ながらわたしには全然ピンとこなかったんだ。  だけど――  自分で見てまわるようになって、ようやく少しずつわかってきた気がする。  珍しい地形にはそうなるだけの理由があって、それにより大地の歴史がわかる。  地元の人たちは、いつもその景色をあたりまえに見てきているから、そこにどんな意味があるのかなんて、考えたりはしなかった。  だから当然、保全活動もしていない。  そのままだと、歴史を物語る貴重な資料が、いつか失われてしまう可能性があった。  だからこそ、自分たちの手でそういった場所を見つけて、「ここがジオサイトだよ!」とみんなに伝えることによって、その場所を守りながら学びの場にしていく――そういう取り組みなんじゃないかって、捉えている。  ちなみに、『ジオサイト』っていうのは()()()()()()()のことで、それらが集まって『ジオパーク』になるという寸法だ。  地図アプリを見ながら、自転車のペダルを漕いでひたすら北上していく。  ママチャリだけど、ちゃんと変速機がついているから、ある程度の勾配は問題ない。  途中コンビニで飲みものを買ったり、トイレ休憩したりしながら、進んでいった。  ――それにしても、このコンビニの多さはなに!?  地方って、なんとなくコンビニが少ないイメージがあったけれど、市街にはやたらたくさんあった。  この密集具合は、案外都会と大差ないかもしれない。  特に青い看板が目立っていた。  ただ、そんなコンビニも、市街から離れるにつれて姿を消していく。  コンビニだけじゃない。  歩道を歩く人の姿も、まったく見なくなっていった。  しまいには民家も見えなくなり、道路の両側を樹々が占拠し出す。  ここまで来ると、実に田舎らしい風景だ。  気温もあがってきたせいで、汗が噴き出してきた。  ハンカチではなくタオルを持ってこなかったことを、少し後悔する。  過去の自分の判断ミスに対する、ちょっとした苛立ちをペダルにこめて、踏みこんだ。  そのくせ、木陰に入ると顔にあたる風も涼しく感じられ、自然と足もとが緩んでしまう。  現金な持ち主に使われる自転車は、さぞかし大変だろうな。      ♪     ♪     ♪  車に轢かれないよう、邪魔をしないように自転車を漕ぎつづけ、結局一時間半ほどかかって目的地に辿り着いた。  思いのほかまっすぐな細い道路を勢いよくくだり、視界のなかに海のきらめきが見えたとき、なんとも言えない高揚感がわたしを襲った。  これが、津軽海峡。  歌の歌詞でも有名な、北海道と青森のあいだにある海峡だ。  今日は天気がよく、風もそれほど強くないからか、波は穏やかに見えた。  ――とはいえ、東京にいた頃は海なんて見る機会があまりなかったから、比べられる知識もないけれど。  北海道が見えないかなと目を凝らしてみても、水面のきらめきがまぶしくて、集中できなかった。  でも、とてもきれいだ。  月並みな言葉しか言えないけど。  すごく気持ちいい。  眼前に広がる雄大な景色に、しばらく見とれていた。  わたしを引き戻すように、スマホがブルブルと震える。 「あ……」  おばあちゃんからメッセージが届いていた。 ばば:どさいる?  この『ばば』という名前は、おばあちゃんが自分でつけたニックネームだ。  名前にするのは恥ずかしいとか、お茶目なことを言っていた。  わたしにしてみれば、その歳でスマホを使いこなしている時点ですごいから、どこにも恥ずかしがる要素なんてないと思うんだけど。  わたしが北部海岸にいることを伝えると、おばあちゃんからすぐに返事が来た。  どこかのホームページのアドレスだ。  アクセスしてみたら、ジオパークの北部海岸のページに繋がった。  さすがおばあちゃん……できる! 未沙:ありがとう、浜辺におりて見てくるよ ばば:満潮さなる前に もどせよ 気をつけて 未沙:うん  おばあちゃんのおかげで本来の目的を思い出したわたしは、砂浜におりられる場所を探した。  やがて傾斜がなだらかになっているところを見つけたけれど、ふと、自転車をどうしようか迷う。  身軽さを考えたら、上の道路に置いてきたほうがいいのは間違いない。  ただ、盗まれたり、強風で飛ばされたりする可能性がないわけではなかった。  それに、北部海岸はジオサイトがかなり広い範囲にあるらしい。  帰りにまた同じ場所に戻ってこないといけなくなるのは、大変かもしれない。  いろいろ考えたうえで、ちょっと大変ではあるけれど、自転車を引っぱっておりることにした。  普段運動不足なわたしには、つらい作業だ。  でも、運動不足だからこそ、運動代わりにはいいんじゃない?  そんなふうに自分を鼓舞しながら、遠くに見える()に近づいていった。 「ふおぉぉ……」  近づくにつれ、はっきりと見えてくる()()()に、思わず変な声が出た。  学校の授業でも、確か理科の時間に学んだ覚えがある、地層。  教科書の写真では目にしていたものの、実物をこれほど間近に見るのは初めてのことだった。  まるでミルフィーユのように、さまざまな色のラインが積み重なっている。  このひとつひとつのラインが()()を表しているのだと思うと、なかなかに感慨深い。  今それを見ているわたしは、タイムマシンに乗っているのと同じだ。  これは一体どれくらい前のものなんだろう?  そう思って、おばあちゃんが送ってくれたホームページの説明を読んでみる。 “田名部平野が海底だった約12万年前以前の地層が、高さ約20mの露頭として海岸線約8kmにわたって見られます。海岸線の移動に伴う堆積物の変化を連続的に観察することができます。ほとんどが砂層で構成される地層は、現在の芦崎のようなバリアーや田名部川河口付近の堆積物に対比され、浜堤背後の湿地を示す泥炭の堆積も見られます。” (下北ジオパーク 公式HPより) 「じゅ、じゅうにまんねんまえ……!?」  あまりにも前すぎて、逆にすごさがわかりづらかった。  なんてことだ。  とにかく、この地層がかつては海底にあったというのは理解できたから、よしとしよう。  それが今は二十メートルも地上に出ているなんて、プレートによほど強い力が加わったんだろうな。  授業で勉強して、頭では理解していても、実際にその結果を目にすると圧倒された。  やっぱり、自分の目で本物を確かめるというのは、大事なことだ。  改めてそう思う。  目だけじゃない。  自分の耳で、肌で、心で。  誰かの言葉を通してじゃなく、体当たりで感じることが、大事なんだ。 「――ああ……」  そこまで考えたところで、思い出してしまった。  東京という、いつでも本物を感じられるような素晴らしい場所から、遠く離れてしまった自分のこと。  きっとこの地層のように隆起することもなく、水底に沈んでいくんだろう。  自分で考えた自虐に自分で傷つき、せっかく大自然に感動していた気持ちが、薄れていってしまう。  ――そんなときだった。 「あれ……?」  さっきまで聞こえていたのは、静かな波の音。  そのなかに混じりはじめた、なにかの()()()()。  それは、アコースティックギターの音だった。  か細く、けれど波音に負けずに、わたしの耳に存在感を主張してくる。  どこから? と辺りを見まわしてみても、人影はやはりない。  もう一度耳を澄ます。  今度は、ハミングも聞こえた。  男の人の声だ。  どうやら、崖の上にいるらしい。 「……っ」  気になったわたしは、自転車を引きずりながら来た道を戻った。  崖の上側にまわりこもうと、試みる。  ――無視をしても、よかったんだ。  ギターを弾いているということは、そこに誰かがいるということで。  恥ずかしがり屋で照れ屋で内気で内向的なわたしが、自分からそこに近づくなんて、普段だったら絶対にありえないことだ。  そんなことをしたら、接触はさけられない。  ――でも、無視なんかできなかった。  どこか哀愁を感じさせるやさしいメロディは、わたしが見ていた景色にあまりにもぴったりで。  それに乗るハミングは、歌詞もないのにわたしの胸を締めつけた。  別段高くもなく、低くもない、心地よいその声音(こわね)は、はっきり言ってとてもわたしの好みだったんだ。  わたしの、理想。  だから、会いたかった。  自転車を運ぶのももどかしく、結局その場に倒して走る。  弾きおえたら、帰ってしまうかもしれない。  焦りながら坂を駆けあがった。  ――あのときの弓ちゃんも、もしかしたらこんな気持ちだったのかな?  わたしが『まさかリズム』を知った朝、追いかけてきてくれた弓ちゃんと同じように、息を切らせて、頬を上気させて。  わたしはその人を、見つけた。
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