【第2章】思い立っても行動できない ~未沙~

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6.初めての告白  最初に見えたのは、もじゃもじゃ頭だった。  きっと天パなんだろう。  それから黒ぶちのメガネと、首に白いタオルを巻きつけているのが見えた。  正直、どこにでもいそうな、普通のお兄さんだ。  二十歳すぎくらいだろうか?  タオルの印象とあいまって、そのまま海に出て漁をしそうにさえ、見える。  けれどその指は、網ではなくギターをごく自然に掻き鳴らして。  その唇は、さして開かれることもなくやさしいメロディを響かせていた。  うまく言えないけど、とても()()()()()()()がほとばしっている。  東京にいた頃ときおり路上ライブで観たような、人の目を惹きつけて放さない魅力が、その人――彼にはあった。  オリジナルなのか、まったく聴いたことのない曲だったけれど、終わりはすぐにわかった。  反射的に、拍手してしまう。 「えっ?」  まだわたしの存在に気づいていなかったんだろう、驚いた様子で彼は振り返った。 「びっくりしたー……」 「ご、ごめんなさいっ」  邪魔をしたこと、怒られるだろうか。  急に怖くなって一歩退いたけど、彼が次に浮かべたのは笑顔だった。 「いや、全然いいんだけども。いつから聴いてたの?」 「た、多分……最初から?」 「え」 「あの、わたし、さっきまでその崖の下に、いて……」  なんとか会話を繋げようと、必死に言葉を紡ぐ。  顔面は熱いし、心臓はバクバクしてるし、呼吸もおぼつかない。  それでも――どうしても、話してみたかった。  もしかしたら、『本物』へと繋がる唯一の道に見えたのかもしれない。  彼は「ああ」と納得したような声をあげて、 「そういえばここ、ジオサイトだっけ」 「あ、し、知ってるんですね」 「そりゃあ僕、東通村(ここ)地元だし、なにより大好きだし!」  そう告げる笑顔が、水面より輝いて見えた。  それはわたしのおばあちゃんがよく見せるのと同じ笑顔で、本当に好きなんだということが伝わってくる。  ――でも、なんだろ?  少し違和感があった。  その理由を探ろうと、珍しく視線を外さずにいると、手招きされる。 「そんな離れてないで、こっちおいでよ」 「は、はい……」  普段なら、間違いなく逃げ帰っているところだ。  心のなかではよくわからない念仏さえ唱えている。  それでも一歩一歩彼に近づいて――先に座っていた彼の横に、腰をおろした。  土が剥き出しだったらさすがに少し抵抗があったけれど、草がうまい具合に生えまくっていたから、気にならなかった。 「きみ、訛ってないね。どこから来たの?」  気さくに話しかけられて、やっと違和感の正体に気づく。 「あっ、そ、そういえばあなたも、訛ってない……」  見た目だけで言えば、いかにも純朴そうな田舎の青年なのに(ごめんなさい)、別段下北弁じゃなかったから、違和感があったんだ。  でも、どうやらそれは向こうも同じだったらしい。  確かにわたし、東京に住んでいたわりに、全然垢抜けてないもんね。  わたしが自分に苦笑しているうちに、彼が応える。 「ああ、僕は大学の頃横浜にいて――あ、横浜っていっても()()()()()()()()よ?」 「え?」  一瞬言葉の意味が理解できなくて、聞き返した。 「むつ横浜じゃない? って……?」 「なるほど、『むつ横浜』が通じないということは、こっちに来てから日が浅いと見た!」 「は、はい……ずっと東京にいたんですけど、四月にこっち引っ越してきて……」 「ふむふむ、なるほど」  わざとらしく頷いた彼は、まるで先生のような口調で告げる。 「実はこの東通村のお隣に、『横浜町』という自治体がありまして。下北の人は『横浜』と言われるとこっちを思い浮かべますが、一般的には神奈川の『横浜市』だと思う人が多いでしょう? そこで『横浜市』と明確に区別するために、『むつ横浜』と呼ぶこともあるのです」 「な、なるほど……」  つまり、「むつ横浜じゃないよ!」は、()()()()()()ということだ。  なかなかに奥が深い。 「僕は大学で横浜に行って、見事に標準語を学んで帰ってきたんだ。で、()()()()()だから、そのまま使っているというわけ」 「えふりこぎって?」 「簡単に言うと、『ええっかっこしい』」 「よ、よくわかりました……」  日本語の歌の歌詞に、ときおり英語の歌詞が入るみたいに。  標準語にときおり下北弁が入るのが面白かった。  なんだか、そういう歌もつくれそうだな。  ――なんて、考えていたことをわかるはずないのに。 「ところで、音楽好きなの?」  話題は突然()()()に飛んだ。 「え……?」 「だって、わざわざ聴くために崖下からまわってきたんだろう? そんな『人見知りです』って顔面に貼りつけてさ」 「――っ」  語るまでもなく、いろいろバレていたらしい。  ますます茹で蛸のようになって、縮こまるわたし。  けれどかまわずに、彼は続ける。 「なにか楽器やってた?」  もしかしたら、順を追って聞き出そうとしてくれているのかもしれない。  なんとかそれに乗っかろうと、わたしも頑張る。 「は、はい……こっちに来るまでは、ピアノを……」  小学校に入ると同時に始めたけれど、全然上達しなかった。  ただ、おかげで楽譜を読めるようになったことだけは、感謝している。 「ってことは、もう辞めたんだ?」 「はい、ピアノも置いてきたし……たまにキーボードを弾くくらい、です……」 「ふーん」  期待した返事じゃなかったのか、彼の相づちが少し冷たく感じた。  ――ううん、わかっている。  そんなのは、被害妄想だ。  期待に応えられていないのは、他でもなくわたし自身。  期待さえできないのは―― 「――あ、あ、あの……っ」  でも、いつまでもそんなんじゃ、駄目だ。  両手のこぶしに精一杯力をこめて、切り出す。 「わ、わたし、実は……」 「ん? なに? どうしたの?」  呆れずに聞いてくれるだろうか。  笑われないだろうか。  蔑まされないだろうか。  脳裏に浮かんでくるマイナスの言葉を、全部呑みこんで。 「……ゅに、なりたい……」 「へ?」 「歌手に、なりたいんです……!」  顔をあげて、歯を食いしばって、ようやく紡いだ。  わたしにとって、生まれて初めての告白。  その言葉を、 「あ、そうなんだ」  驚くわけでもなく、彼はただ受け入れた。  そして、 「じゃあ、なにか歌ってみる?」 「えっ!?」  どこか遊びに行く? レベルの気軽さで、誘ってくる。 「知ってる曲なら、伴奏できるよ」 「む、む、む、無理です!」 「え、伴奏が? そんなにマイナーな曲なの?」 「ち、違うくて……歌うのが、無理ですっ!!」  こんなに近くにいるのに、思いっきり叫んでしまった。  彼は目をぱちくりとさせている。 「どうして? 歌手になりたいって言うくらいだから、歌には自信があるんじゃないの?」 「じ、自信とまでは……ただ、周りの人が褒めてくれるから……」 「じゃあうまいんじゃん」 「で、でもっ、極度のあがり症で……人前じゃ満足に歌えなくて……」 「え、待ってよ、それって矛盾してない?」  わたしの言うことを、理解しようとしてくれているんだろう。  頭をおさえながら、さらに訊いてくる。 「人前で満足に歌えないなら、周りの人は褒めないんじゃないの?」 「そ、それは、だから……練習だと、平気なんです。その他大勢の、ひとりなら……」 「ああ、もしかして()()?」 「は、はい……変に注目されたり、ソロパートを任されたりすると、全然駄目で……」  答えるわたしの声も、容赦なく萎んでいく。  心と一緒に。  どうして堂々とできないのかな。  どうしてあがってしまうのかな。  どうして。  どうして。  わたしを悩ませる問題は多く、いつまでも殻を破ることができない。  むつ市に来て『都会者』のレッテルを貼られたことで、むしろ殻はより厚くなったかもしれない。  来てから、一度も、歌っていない。 「今は聴いてるの僕ひとりだけど、それでも無理?」  よっぽど歌わせたいのか、彼はなおも訊いてくる。  おかげでわたしは、彼に声をかけたことを後悔していた。  出会うには、()()()()のかもしれないと。 「……っ」  もはや無言で首を振ることしかできないわたしに、でも彼は、やっぱり軽かった。 「じゃあしょうがない! ぜひ聴きたかったけど、諦めるか~」 「ご、ごめんなさい……」  とりあえず怒ってはいなさそうだったから、安心した。  変わった人だ。  弓ちゃんみたいにグイグイとは来ないけれど、こっちの言葉を待ってくれるから、話しやすい。  どちらかというと、異性と話すのはちょっと苦手なんだけど……音楽という共通のものを介しているからか、大丈夫だった。 「…………」 「…………」  少しのあいだ、波の音を聴いていた。  おかげで、ざわついていた心が、落ちついてくる。  でも、冷静になればなるほど、さっきの自分の態度の幼稚さに、恥ずかしさがこみあげる。  誰だって、目の前に「歌手になりたいんです!」って言う人がいたら、歌を聴いてみたいと思うのは当然の流れだ。  しかもわたしはそれを自分から言い出したんだから、わたしが歌を聴かせたがっていると思われても、仕方のないことだった。  おまけに向こうはギターを持っていたんだし……。  なのにわたしは頑なに断り、まるで「あーん」しといて自分が食べるオチみたい。  今さらながらに、中途半端な告白を聞かせて申し訳ないという気持ちがわいてきた。  だけど、今までの反応から見るに、謝ったところで彼は気にしない。  多分お詫びにもならない。  せめてなにか、別な方法を考えないと。  そんなふうにグルグルと悩んで、わたしが思い出したのは、最初に訊きたいと思っていたことだった。 「あ、あの……っ」 「ん? やっと質問がまとまった?」  やっぱり読まれてるー!?  もしかしたら、わたしみたいな子の扱いに慣れているのかもしれない。  理由はわからないけど。  そう考えることで自分を安心させて、言葉を絞り出す。 「あなたは、()()()……ですか?」  他にいい表現が思いつかなくて、それを選んだ。  彼はギターを掻き鳴らしながら答える。 「僕は、シンガーソングライターってやつだよ。他の仕事もしながら、いろんな場所でライブをやらせてもらってる」 「やっぱり……!」  ハミングだけでわたしの耳を惹きつけた人だ、お金を払ってでも聴きたくなる歌声に違いない。 「今もさ、実は営業の仕事の帰り。めちゃくちゃ天気がよかったから、ここで曲づくりしたら気持ちよさそうだなと思って、来てみたんだ」 「あ、そうだったんですね……」  いい天気に誘われたのは、わたしだけではなかったようだ。  そこでふと、彼は首を傾げた。 「ところできみ、どこから来たの? この近くに民家はないと思ったけど」 「あ、わたし、自転車でむつ市街から……」 「えっ!? かなり遠くない?」 「一時間半かかりました」 「なんだ、根性あるじゃん」  彼はぐりっと、わたしの頭を撫でる。 「むつにいるならちょうどいい、よかったら今度、ライブハウスに連れていってあげるよ」 「え……むつ市にライブハウスがあるんですかっ?」  今度はこちらが驚く番だった。  それは、今まで考えたこともない衝撃だ。  映画館も劇場もないこの市に、ライブハウスがあるなんて、思いもよらなかったんだ。  ……うん、地元の人には大変申し訳ないんだけど。  予想していた反応なのか、彼は苦笑を浮かべて答える。 「あるある。音楽好きが集まって、いつも盛りあがってるよ。そこで練習すれば、きみだってきっと歌えるようになると思うんだ」 「あ……」  正直、口に出さないだけで、内心呆れてるんだろうなって、思ってた。  歌手になりたいのに人前で歌えないなんて、舐めてると思われても仕方がない。  でも――違った。  わたしが本気で言ってるんだってことを、信じてくれていた。  わたしが今すべきことを、親身になって考えてくれていた。  そのやさしさに、胸がいっぱいになる。  思わずこぼれそうになった涙を、砂が目に入った振りをしてごまかした。 「あ、そういえば、自己紹介がまだだったね。僕は千里(せんり)京介(きようすけ)。ピチピチの二十三歳です」  差し出された右手に、おそるおそる自分の手を重ねた。 「わ、わたしは東保未沙……高校一年生です。ヨ、ヨボヨボの……」 「ハハ、よろしく! って、高一かぁ。夜だとあれこれ言われそうだから、夕方に行くとき声かけるよ。連絡先交換しよう。スマホは?」 「あ」  自転車につけっぱなしで、その自転車は崖の下に転がしっぱなしだ。 「と、取ってきます……っ」  慌てて駆け出したわたしの背中に、京介さんの声が飛ぶ。 「急がなくていいから、()()()()()()()()()!」  それは、深い意味のない言葉だ。  単純に、走りにくい草や砂が広がっているから、言ったこと。  でもなぜか、すごく背中を押された気がした。  足もとに、気をつけて。  そう、そうなんだ。  わたしはきっと、まだ上を目指すような段階じゃない。  まだ自分の足場さえ、確保できてない。  まずはそこを固めなくちゃ、どこにも羽ばたけない。  彼は――京介さんは、それをわたしに教えてくれようとしているんだと、勝手に思った。  こうしてわたしに、むつで初めての音楽仲間ができた。
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