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夕刻の人波を縫って歩くのがもどかしい。
息が上がらないよう、駆け足にならないでいるのが精一杯で、楓はようよう改札口に辿り着く。ざっと見渡すと券売機の端、右手にスマフォ、長い足を放り出すようにして壁に寄り掛かる姿に、僅かに息を止めた。約三月ぶりか、前半戦終了直後に逢ったきりだ。
ブルゾンとジーンズというあっさりとした格好で、よくよく見ると非常にスタイルが良いという以外は、これといった特徴はない青年。普段は不思議とあまり目立たないのだ。足元に小振りのスーツケースが一つ。下手をするとほとんど手ぶらなこともあるのに、珍しい、と楓は少し眉をひそめた。
わざと靴音高く近付いて、彼が顔を上げるのを待つ。短い黒髪がふっと動いた。
「わりぃ、待たせた」
「いや」
だいじょうぶ、と小さく笑って、彼は「ごめんな」と言う。
「いきなりで」
「…せめて昨日のうちに言えよ」
「うん」
またごめんと言いそうなのを「メシは?」と遮る。
「あ、まだ…」
「中華でいいか?」
答えを待たずに、楓は踵を返した。
どうせ、希望を訊いてもなんでもいいと言うのだし、彼は本当になんでもよく食べたから。
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