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「太陽が正午に一番てっぺんに届く、つうのは知ってるな?」
「し、知ってます…」
「光は直進しかしない。光源である太陽と、プリズム効果を持つ水滴、おまえの角度が40度ぐらいだと虹が見やすい。つまり太陽が高いところにあるとき、虹は低い場所に見えるし、太陽が低いところにあるときには高いところに、つまり大きな虹が出来る」
言いながら、楓は太陽ー水滴ー観察者を紙に図示する。太陽の高さによって、見える虹の弧の範囲が変わるのが解るように。彼はひどく真摯な眼差しで紙と楓の手に注視する。
「水滴、まあ水蒸気だな、これはある程度の大きさがないとプリズムにならない。大きな水滴が出来やすいのは圧倒的に夏だ。なんでか解るか?」
「…暑いから?」
「正解。気温が高いということは気体の密度が低いってことで、空気中にたくさんの水蒸気が存在できる」
そもそも空気中の水蒸気は何由来かと言えば、もちろん雨だ。
「それでも大きな水滴が存在しうるのは雨が降っている最中か、降った直後かだ。だから通り雨のあとによく観測できる。日本の場合、通り雨が降るのは夏の午後が圧倒的に多い。日が傾いて、気温が下がれば空気の密度が高くなるから当然だな、そっちは雨のシステム」
たぶんこれは全部解らなかったろうな、とは思うが楓はそのまま続ける。
「つまり、だ。昼下がりから夕方の太陽は空のどっちにある?」
「に、西…」
「そう、西、ということは、日本の球場ではほぼライトスタンドから一塁側の方で、その逆側、つまり三塁側に虹が見える」
「ああ… なるほど」
いつか見た光景を思い出すように、彼はゆったりと頷いた。そして、楓がざっくりと描いた球場の画をしげしげと眺めて、ぽつりと、
「すげえなあ…」
と感嘆したのは、自然現象にか今の解説にか。せめて両方であってくれれば良いが、と、思う。
そして楓が主虹と副虹の説明をするかどうか迷っているうちに、彼はとあることに気付いた。
「ん? でも球場って必ずこの向きになってるんか?」
それくらいは引っ掛かってもらわないと困る、と内心では頷いて、楓は余裕綽々で言い放った。
「いい質問だな」
「おおう…」
「日本の球場では、と言ったろう。本来のベースボールスタジアムは南向きだ。ただ日本の場合、多くは本塁を北から北北東に設置する」
「マジで。てか、なんで?」
ちなみに、これは楓が野球を見に行くようになって、あまりにその規格の違いが気になって調べて知った。球場によって広さが違うとかゲームとして成り立つのか、と今でも思わないでもないし、そのへんは許容範囲なのだと言われても納得がいかない。
「観客が見やすいように、らしい。太陽を背にすると内野席の観客が眩しくない。一方、日本ではプレイヤ重視で、守備がしやすいように北側がホーム、南側がセンターになってる」
甲子園とかそうだろ、と続ければ、ああそうかも、と彼は簡単に頷いた。ただ少し考えるように首を傾げ、
「あれ、でも眩しかった、ような気ぃするけど…」
ハマスタ、とか。
と、彼は囁くように呟き、楓はきつく眉根を寄せた。すこし座り直してから、低い声で答える。
「ドーム球場を別にして、主な球場だとハマスタと神宮だけ異質だ。南向き」
「えっ、なんで?」
「さあな。でも実際、眩しいんだろ」
「あー、うん、外野はサングラス必須やな。神宮もか」
そっか、眩しいのはそれでか、なんて。彼は妙に納得したようだったが。
こういうときだ、忌々しい、と思うのは。
しかし、こちらの不満が伝わるのはよろしくない。ただの嫉妬だ。楓は、努めてなんでもないようなふうで話題を切り替えた。
「で、満足したか?」
は? と顔を上げた彼に、机の上を見回して示す。
焼き餃子2、麻婆豆腐、レバニラ、青椒肉絲、天津飯2、で足りたのかどうかだ。彼は死屍累々と並ぶ皿を認めると僅かに迷ってから、「水餃子か油淋鶏だったらどっちがええ?」と訊いてきた。
「好きにすれば」
と、答えて。
その胃袋の構造の方がよっぽど謎だ、と混ぜっ返しながら、楓は青島ビールを飲み干した。
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