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赤色と青色
「私はあなたが羨ましい」
赤は言った。
「どうしたんだい、唐突に」
言葉を投げられた青は、木の根に腰かける自分の前に立つ赤に首を捻った。
「唐突に、ではないの。あなたは私たちの上に広がるこの空の色で、そしてあの丘の向こうにあるどこまでも続く海の色でしょう?」
赤は丘の向こうにある海を脳裏で見るように遠くを見ていた。
「うん?」
青も、なんとなく赤の視線を追うようにして遠くを見る。
「心を穏やかにしてくれるのも、若々しさや瑞々しさも、欲しいものは全部あなたの色なの」
風が木の葉をゆるやかに撫でていく。
青は目を数回しばたかせてから、小さく笑った。そして丘の向こうを見つめたままの赤を覗き込むようにして言う。
「愛の告白ならせめて僕を見て言ってくれない?」
少しだけいじわるそうな声色だった。赤はまだ丘の向こうを見ている。
「私は血の色」
「え、そこスルーなの」
「荒ぶる色、怒りの色」
「スルーなんだね」
青は納得したように軽く息を吐いて、思考を切り替えることにした。
「僕は君は素敵な色だと思うけど」
赤は眉根を寄せたが、青は続ける。
「情熱の色と言えば赤だし、元気も出るし、華やかだし。エネルギーの色っていうのかな。何より格好良い」
青は楽しそうだった。
「あなたの方がずっと平和的だし人を幸せにできる」
「はは、照れるなー」
木漏れ日を浴びる二人の表情は対照的で、赤は息をゆっくりと吸い込んだ。
そして大気に溶かすように力なく声を漏らす。
「私は私の欲しいものを何も持ってない」
自分の中に暗くうずまくものを押さえつけるかのように、赤は自身の胸のあたりを押さえた。
「誰かを穏やかにできる色になりたかったのに。あなたのことを羨ましいと言ったけど、それ以上に本当は妬ましいと思うの。なんであなたは全部持ってるのって。そんな風に思いたくないのに」
赤の声は次第に掠れていく。
「きっと私が赤だから、そんな風にしか思えないの。何で私には無いんだろうって…何で、何でって…思って、しまうの…」
揺れる葉がさわさわと乾いた音をたてる。
「私が…赤だから…」
青は再び目をしばたかせていた。
しかし今度は柔らかく笑って言った。
「そうだね、それは君が赤だからだよ」
「分かってる」
赤の瞳から涙が零れた。
「え、違う違う」
青は慌てて木の根から腰を上げる。
「何がよ!」
赤は自分より頭ひとつ分ほど高い位置になった青の顔めがけて拳を振り上げたが、青はその細腕を簡単に捕まえてしまった。
「それはさ」
赤の視線を掬(すく)い取ってから、青は子供を慈しむように柔らかく目を細めた。
「自分が最初から持ってるものを欲しがることはないからだよ」
弱まる木漏れ日の中で、赤の瞳がゆらめいたように見えた。
「私が赤だから」
「うん。あ、いや違うな。君が赤で僕は青だから、だよ」
青は言葉を見つけて少しだけ満足そうだ。
「僕は君が持ってないものを確かに持ってるけど、君が持ってるものを僕は持ってない」
「…あなたは青だからこんな風に私を妬ましいとは思わないでしょう」
「そんなに僕のことが好きなの」
「ばかなの」
「青だよ」
赤は面倒くさそうに小さく息を吐く。
「僕はそういう君の熱いところ、好きだけどな」
「私は嫌い」
「はは、ひどいな」
「あなたのことじゃなくて」
「分かってる。でも君が妬ましいほど好きな青の僕が好きな君を、嫌いなんてひどい話じゃない?」
わざとらしくおどけて見せる青を、赤はじっと見つめる。
青はふう、と一つ息を吐いた。
「僕は青が嫌いだよ」
「どうしてよ、そんなに素敵な色、なの、に」
言いながら、赤は青の目がいじわるそうな光を帯びていることに気が付く。
青はしてやったりだ。
「そう、それがさっきの僕の気持ち」
「…性格悪い」
じとりと刺さる視線を、青は嬉しそうに受け止めた。
「はは、ほらね。君の欲しくないものも持ってるでしょう、僕は」
赤は言われてみればそうだな、と思ったが、なんとなく青の策略通りに返事をするのが癪で黙っておくことにした。
青はそれにはさほど興味がなさそうで、ゆっくりと木の葉越しに空を仰ぐ。
「さて、もうすぐ出番だよ、赤」
青はこれから始まる日暮れの赤色が、この世で一番好きだと赤に耳打ちした。
やがて青い空に赤い夕日が差し、紫色の夜がくる。
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