〈一〉リョクヤソ、山中

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〈一〉リョクヤソ、山中

 カーン、カーン、と、金属が固い岩壁をうがつ音が、真っ暗な森にこだましていた。  大いなるヤソ山の南から西にかけて、セキヤソ、セイヤソと呼ばれるあたりは、七年前の地震で大規模な地崩れを起こした。ここは、その時に現れた真新しい土壁のうちのひとつだ。山のこちら側、東部のリョクヤソでも、そんなふうに地面がずり落ちて、地中深くの岩や土が露わになったところがいくつもある。土がなだれを起こした上に新しく草が芽吹き、やっと獣道になりはじめた、その突き当たりだ。  明かりをつけてはいけないので、震える手元が見えず、作業ははかどらなかった。もう幾度目か、繰り返した行為だが、一向に慣れることはない。夜の森は冷え冷えとして恐ろしかったし、今自分がしていることも恐ろしかった。ひゅーい、と風が木を鳴らしていくのを聞き、ほんの一瞬手を止める。背後に動くものの気配が無いのを確認して、大きく息を吐いた。知らず知らずのうちに息を止めていたようだ。改めて暗闇の中、小刀を振るうと、岩肌の中で刃にキィンと共鳴する、大きな塊にぶつかった。 (……有った)  慎重に小刀を添わせてだいたいの輪郭を確認すると、その周囲の土壁を掘り始める。幸い、もろい粘土のような層に埋まっているようで、土くれを掘るのは容易だった。表面に見えているより思いのほか大きな塊で、だんだんと興奮してくる。埋まる塊の大きさを確かめながら掘り出すことに熱中していった。これだけ大きければ、しばらくはこの仕事をやらなくても暮らせるくらいの値段で売れる。小ぶりに割って、売るのは火の国で見かけた薄汚れた店、あそこがいい……夢中で考えをめぐらしていたために、背後から気配を忍ばせて近づいてくる影に気がつかなかった。 「動くな」  ぴんと張りつめた声が耳に刺さったのと、土壁から塊が転げ落ちて自らの手のひらに収まったのは同時だった。どっ、と心臓が飛び出すほどに鳴るのを感じた。見つかった、ついに。 「盗っ人よ。手の刃を捨て、体ごとこちらへ向けよ」  言葉とともに、背中に何かを突き付けられるひやりとした感触が有った。長刀だ、と思った。盗掘は極刑でこそ無いが、罪は重い。この状況で逆らえば命は無いも同じだ。吹き出る嫌な汗をぬぐうこともできず、右手に握っていた小刀を地面に落とし、言われるままに振り向いた。その瞬間、目の前にぼうっと松明のような明かりが灯る。 (〈火〉のエニシだ)  光量差で一瞬何も見えなくなる。二、三度まばたきをして、目の前に現れた光景に、今度こそ驚きのあまり息を呑んだ。 「な、……女!?」  自分を捕らえるのはいかつい警吏であるとばかり思いこんでいた。目の前で己に長刀を突き付けているのは、長い黒髪をなびかせた若い女だったのだ。盗っ人である自分と相対しているにも関わらず、唇にうっすらと笑みを浮かべてすらいる。その後ろにはこれもまた若い女が、手のひらに松明ほどの灯りを灯して付き従っていた。長刀の方の女が、ふん、と鼻を鳴らした。 「いかにも女だ、盗っ人。声のした時に気付かなかったのか? わけのわからぬほどに焦ったか。それとも、ものの判別もつかぬほど怯えていたのか?」  横柄な物言いに、さっと頭に血が上った。しかしその女の言うとおりだった。耳に届く声は女性らしい、涼やかで凛とした声だった。同じ声で静止されたはずが、まったく解っていなかったのだ。ぐ、と唇を噛んだのを見て、長刀の女はまたうっすらと笑った。 「さて、盗っ人よ。ナソ山の盗掘は禁忌である。ゆえに、山道は細い峠一本に至るまで、関が置かれ、麻袋はおろか空の革袋ひとつ、手甲すら、一般人の持ち込みは厳しく取り締まっているはずだ。お前、どうやって思潮石を採った? お前は、何者だ?」 「……今ここで答えろということですか」  灯りに照らされ、長刀を突き付けられた――その掌に盗掘したばかりの思潮石を包んだ少年は、目の前の女をきっと見据えて、乾いた口で言葉を返した。 「貴女が警吏かどうか、俺にはわからない。名を名乗れというなら、そちらが身分をあかしてからではないですか」 「……!?」  少年の言葉に、眼前の二人とも、ひどく驚いたようだった。目を見開いて、少年を凝視する。 (何故……?)  しかしこの機を逃す手はなかった。思潮石を持っていない方の手で、素早く長刀の腹をはたく。刃先がほんの少しだけぶれ、女が息を呑んで柄をわずかに握りなおしたところを横目でちらっと見た時にはもう、少年は走り出していた。 「しまった……!」  背後で女の声と、軽い足音が走り出すのが聞こえた。足には自信があるが、山歩きに慣れているわけではない。どこか適当なところで森に紛れなければ。そうして一瞬、森の方へ脇目を振ったその瞬間だった。ぐん、と煽られるような衝動が左の脇腹めがけて襲ってきたのだ。ばしん、と鈍い音がして、何が起こったのかわからないまま、少年は獣道から森の木々へと叩きつけられた。おお、と女の歓声が上がる。 「よくやったぞ、〔一ノ月〕」 「恐れ入ります。当てて引き倒しただけですので、油断なさいませんよう」  別の女性の声が、すぐ斜め上から降ってくる。じんじんとした痛みを脇腹に感じながら、少年は目を瞬かせて意識をはっきりさせようと努めた。 (仲間が他にいたのか……間違った)  捕まったうえに逃げようとしたとなれば、かなり厳しい沙汰になるかもしれない。後悔が噴き出すのを止められず、少年は小さく「くそっ」とうめいた。先の攻撃は、的確に骨の間のやわらかいところを突いていた。起き上がることができない。足音がふたつ、駆け寄ってくるのが聞こえ、そして長刀の女が少年の顔の前にしゃがみこんだ。少年に刃が見えるよう、刃先を下にして長刀を地面に立てている。 「やられたよ。逃げる度胸のある奴とは思わなかった。しかし抵抗してくれたおかげで分かったことがある」  せっかく捕らえた罪人に逃げられそうになったというのに、女は面白がっているふうですらあった。笑いながら、少年の横顔を見下ろす。 「お前、異つ国の者なのだな。しかも、最近ナソの東に入るようになった、この国をよく知らぬ者だ」 「……何故、そう思う」  少年の問いに、女は簡単だ、と言って、微笑みながら首をかしげて見せた。 「我が豊(トヨ)の国の民は、名を名乗らぬ。我ら豊の民にとって、名は魂と同じ。たとえ友人であろうと、易々と、名は渡さぬ。ゆえに、名を尋ねることは、せぬ」  彼女の凛とした声は、無音の森の中に響くようだった。 「私はお前に『何者だ』と聞いたのだ。名は、聞いておらぬ。しかしお前は、名を問われたと思ったわけだ。それが、お前が異つ国の者である証拠だよ。そして」  いまだ地に伏している少年を眺めながら、女は満足そうにこう言い放った。 「お前のような者を、私は探していたのだ」 「……なに?」  痛みと驚きの中で、少年がか細く呟いた。女がにんまりとして、長刀を持たない方の手を少年の顔に伸ばす。 「お前、私の身分を問うたな。確かに私は警吏でない」 白い指の先が少年の顎をとらえ、驚愕の表情をこちらに向かせた。少年の視界に、大きな月を背負い、ゆたかな黒髪を煌めかせた女の、美しく屈託ない笑顔が飛び込んできた。 「折角なので教えてやろう。私は、この地を治める王が一子。現神棲まう、天霧ろう青垣の奥、大筑紫(おおつくし)の東の果ての国で、父に代わり政と戦を司るもの。豊の国の〔一ノ姫〕である」  少年の意識はそこで途切れた。
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