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私の記憶に残る、一番幼い感情は「殺意」だ。
それまでにも、印象的なできごとはあったはずだ。
けれど、それまでのおぼろげな記憶はみな、この時の感情に押し流され、上書きされた。
それほどまでに、強烈だったのだ。
祖父は私をスクーターに乗せる。
まず向かうのは、駄菓子屋だ。
ガラスケースの中にあられが入っている。
いろいろあって迷うが、結局買うのは、ザラメのおかきだ。
それを小袋に、1杯分入れてもらう。
「はい、どうぞ」
おばさんは、袋の両端をねじって、渡してくれる。
もう一度スクーターに乗り、向かうのは工場だ。
外からでも、リズミカルな音が聞こえてくる。
ガッチャ ガッチャ ガッチャ……。
引き戸を開けると、その音が更に大きくなる。
奥の方まで、大きな機械がいくつも並んでいる。
それは、正確に上下運動を繰り返す。
よく見ていると、横向きにシャトルが行き来する。
ガッチャ ガッチャ ガッチャ……。
それは、織機だ。
繊維産業の盛んな地区だった。
小さな織物工場が、村内にいくつもあった。
その工場の一つに、母は勤めていた。
祖母もその頃は、違う工場で働いていた。
ガッチャ ガッチャ ガッチャ……。
工場に入るとすぐは、機械油の匂いがプンとする。
それもしばらくすると慣れてしまって、気にならなくなる。
コンクリートの打ちっ放しの土間が、ひんやりしている。
「ほんならな。みきは姉ちゃんやでな。めんどう見てやらなあかんのやぞ」
ガッチャ ガッチャ ガッチャ……。
工場の一番端っこに、ベビーベッドが置かれていた。
そこには、先客がいる。
先客と言うより、主だ。
私の方が、間借り人だ。
主はまだ1歳にならない、妹のまみだ。
ガッチャ ガッチャ ガッチャ……。
向こうから、母がやってくる。
ベビーベッドの両端の留め金を開け、ベッドの枠をぱたんと手前に倒す。
そこに母は腰を下ろす。
「はあ、ちょっと休憩」
母は、私を脇に座らせる。
「じいちゃんとご飯食べたんか?」
「うん」
ガッチャ ガッチャ ガッチャ……。
母は私をベビーベッドの中に入れると、また枠を起こして閉める。
「まみちゃん寝てるでね、足の方に居ててな」
私の頭をひとなですると、また仕事に戻る。
私はベッドの端で、おとなしくうずくまる。
その頃、村にはまだ保育所が無かった。
ガッチャ ガッチャ ガッチャ……。
祖父と家で過ごしていた記憶はない。
もしかしたら、それさえもすっとんでしまっているのかもしれない。
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