序、月下の美剣士

3/4
66人が本棚に入れています
本棚に追加
/42ページ
   ✻     ✻     ✻      「グガアアアアアアアアアッッッ」  獣の絶叫に、琴子の肩がぴくりと痙攣した。 眩しさを覚悟して重い瞼を上げる。が、そこにあるのは漆の闇だった。気を失っている間に夜になってしまったのだろうか。 慌てて身を起こすと、闇の中、何十もの人が揉めあっているのが見えた。叫ぶ声で、男と分かる。  祖母の庭ではない。ましてや、祖母の家でもない。 混乱し、眉をひそめていると、キンと張り詰めた高い音が聞こえた。振り返る。振り返り、目を疑った。  月明かりに蒼白く照らされたのは、二対の白銀の光。ちかりと光って、震えながら双方押し合う。 それが何なのか、考えるまでもなかった。だが、二十一世紀のこのご時世、そんなことがあり得るのだろうか。あり得てはいけない。脳が視覚を否定する。 呆然としながらも、本能が訴える。逃げよう。逃げなければ。ここにいてはいけない。  震える足では思うように動けず、這いつくばりながら出口を求める。その間にも、ちかり、ちかりと光があちこちで乱反射する。高い音が響く。獣の叫び声が。 不意に、這いつくばる手に違和感を感じ、琴子は動きを止めた。冷たい。濡れている。嫌な予感がする。 さっきから光る物がもしそうであるならば。今自分の手を濡らしているものは────、 すっと体が冷える。手を見ないようにして、ただただ前へ進む。何かの建物であることはわかるが、出口が分からない。 焦りながらも進み、ようやく壁を見つける。手を這わせ、壁沿いに進む。 幾度か折れたところで、ふっと頬を風が撫でた。ぬるく鬱陶しい熱風が、今では神からの導きのようにすら思え、琴子は震える手を押さえ飛び出した。  しかし、目の前に突きつけられる情景は一切変わらなかった。 それよりも、通りの向こうで灯っている明かりのせいで、余計克明に現実を突きつけられる。  倒れ伏す男たち。黒い水溜り。それを踏み越え踏み越え、長い刃物を振り回す男。武装の者、袴の者。時代劇さながらの風景が、そこに広がっていた。 生々しい────血の香り。 咄嗟に口元を覆う。 夢なら醒めて。お願いだから。呟く声も、乱闘にかき消される。  だらりと下りた手が、鋭い音を立てて掴まれた。
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!