日本人消滅

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2030年。暑い夏。 テレビのモーニングショーでは、毎日、街で起こる喧嘩や、いざこざの話を伝えている。 隣の住人のゴミ出しのトラブルから訴訟に発展。 ファミレスでの、オーダー間違いから、タダにしろというクレーム。 街のあちこちで聞こえるヒステリックな子供を怒鳴る声。 どれも、譲り合えば、相手の立場になってみれば、許せる程度の問題ばかりだ。 そんなトラブルは、何も若者に限ったことではなかった。 むしろ、中高年によるルール違反や、モンスターと言われる我儘な振舞い、そういったことが原因で、相手を傷つけてしまうケースが目立つ。 街中の人が、日本中の人が、イライラしていた。 腹が立ったり、嬉しく思ったり、そういう感情は、腹が立ったり、嬉しく思う出来事があるから、そういう気持ちになるのではない。 もともと、怒ろうという気持ちや、楽しもうという気持ちが、こころの中に、煙のように立ち込めていて、それが、ある出来事に接したときに、その煙が感情になって湧き上がるのである。 怒ろうという煙がたちこめている人は、たとえ嬉しいことが起きても、そこに怒りを見つけてしまう。 喜ぼうという煙がたちこめている人は、たとえツライことが起きても、そこに喜びを見つけようとする。 その時、日本中の人のこころの中に、イライラとした煙がたちこめていた。 ただ、そんな状況を政府も見て見て見ぬふりをしていたわけではなかった。 密かに、研究チームが組まれ、対策に乗り出していた。 「それじゃ、色が人の感情を支配しているというのですね。」 対策会議で、国会議員が質問をする。 それに、京都先斗町大学の教授が答える。 「そうです。人の周りにある色が、無意識の領域に働いて、人の感情を支配しています。」 「ほーっ、それで。」と、若手の議員が、その先の説明を求める。 「これは、皆さんも、普段経験していることだと思いますが、青い色を見ると、自然と冷静になりますよね。緑を見るとリラックスする。黄色を見ると温かい気持ちになります。それが色の効果です。食べることは、特に、その特徴が顕著に現れます。緑の牛肉は食べる気がしませんし、青いご飯は甘く感じない。」 「すると、今の日本人のイライラを、その色で和らげようという案は、具体的に、どうするんですか。」 「いろんな色が街にあふれていますが、その中でも、1番人の心を高ぶらせるのが赤なんです。それは、良い意味でも、悪い意味でもですね。例えば、赤を見た時に起こる潜在的な気持ちの高ぶりが、目の前にいる異性を好きだと言う感情と勘ちがいしてしまいます。だから、情熱の赤とも言うんですよね。ここだけの話ですがね、女性を口説きたければ、赤い部屋で口説くのです。そうすれば、イチコロですよ。まあ、ここだけの話ですけどね。」 「イチコロですか。なるほど。」と年配の議員が、メモを取った。 「今度、そういうお店を紹介しましょうか。」と年配の議員のメモを覗き込むように教授が、イヤラシイ笑顔で言った。 冗談なのか、エロ教授なのか、みんなが2人を注目していた。 会議室の空気が急にしらける。 「まあ、話を戻しますと、赤色が周りにあると、潜在的にこころが高ぶって来て、今の社会の様に、人の心に、イライラした気持ちを持っていますと、それが更に、そのイライラを高ぶらせてしまいます。」 「ということは、その赤色を見ないように、詰まりは、街から赤色を排除すれば、日本人は、また穏やかな性格に戻るということなんですか。」 「簡単に言えば、そういうことです。ただ、街から赤を排除するなんてことは、実際には無理でしょうけれどね。」 そういう会議があったのだが、その時は、誰もが、街から赤を排除するなんてことは、無理だと思っていた。 しかし、日本が置かれている状況は、そんな悠長なことをしている場合ではなかったのだ。 更に、日本人のこころのイライラが溜まっているのは、日本人自身が、気が付いていた。 自分でも抑えきれないイライラ。 何かあれば、すぐに爆発してしまいそうなアブナイ感情。 もし、手にナイフを持っていたなら、簡単に相手を刺してしまいそうな感情の暴走を止められそうにない。 現実に、犯罪率は、毎年20パーセント近く上り続けている。 そういう状況で、街の中から赤を排除する法律が、国会を通過したのは、会議の半年後だった。 内閣官房長官が、各局のテレビで、国民に説明をしている。 「今日から、1ヶ月以内に、街の赤色のものを撤去してください。赤い看板も撤去。そう、赤い服もいけません。口紅も赤色は捨ててください。そう、赤鉛筆もダメです。この赤い色排除には、例外はありません。」 そうして、1か月後には、街から赤が消えた。 東京タワーも、緑に塗り替えられた。 大阪では、551の蓬莱の箱が、黄色に変わった。 さすがに、豚まんの箱が青色というのはないだろう。 道頓堀のかに道楽のカニも、緑色だ。 ただ、緑色のカニは、インスタ映えすると、若者には人気なのが、少し救われたか。 ファミレスで女子高生が、ソーダを飲みながら話をしている。 「ねえ、ちょっと、怜子の口紅、赤くない。逮捕されちゃうよ。」 「そうかな。ピンクもダメなのかな。」 「ダメだよ。きっと。」 そう皆に言われると、怜子も不安になって、テーブルの紙ナプキンで口紅をふき取った。 今は、口紅は、青か緑が主流だ。 「あーっ、今まで好きだと思ってなかったけど、トマト食べたい。」 「そうだよね。緑のトマトって、甘くないし、ぜんぜんダメだよね。」 「あたしは、肉。スーパーで売ってるのも、火が通ってるから、赤くないんだよね。あたし、肉をレアで焼いて食べたい。」 女子高生の話は、食べることと、化粧のことが中心だった。 ファミレスを出ると、赤の無い信号機が、間に合わせの黄色点滅で、止まれを示している。 周りを見渡せば、赤の無い看板の冷たいビル群。 青い口紅に、緑のチークのオフィスレディ。 その奇妙な光景は、いつか読んだ近未来の小説に出てくる世界のようだ。 しかし、赤色の無い街の効果は、すぐに表れた。 街の人に冷静が戻ったのである。 1年後、対策会議のメンバーが、総理に報告をしている。 「大成功です。赤を排除してからは、犯罪も激減して、街は冷静を取り戻しました。」 「そうか、やっぱり間違ってなかったということだな。」 「しかし、別の問題が発生しています。出生率が極端に減っています。赤い色の無い空間では、恋愛は進展しないんです。それに、将来を冷静に考えてしまって、結婚して子供をもうけるなんて、考えられなくなってしまうそうです。このままでは、日本人の存亡の危機が訪れるかもしれません。今年1年の出生率は、昨年の10分の1です。」 「それは、マズいな。それじゃ、税金も取れないじゃないか。国債を発行するのも限界だし。何か手を打たないと、国家としての予算が無くなってしまうじゃないか。」 すると、対策会議のメンバーの1人が、総理に言った。 「そこで、対策なんですが、外国から人を入れるしかありません。申請すれば、即日にでも、日本の国籍を取ることが出来るようにするんです。そして、その外国人に労働でもいい、単なる消費でもいい、何かしらの税金を払ってもらおうじゃありませんか。」 「それにしても、乱暴な案だな。」総理の顔が少し曇った。 「事態は急を要します。兎に角、税金を捻出するのが第1です。税金が無いと、国家が持ちません。」 そんな法律が、これまたスピード採用された。 発展途上国から、多くの外国人が日本に流入した。 日本で、成功しようと夢を持って、押しかけて来たのだ。 日本に来た外国人は、労働を目的とした人たちばかりではなかった。 街中に赤色が無い世界が変わっていると、そこに惹かれてくる観光客も、増え続けていた。 気が付けば、日本国籍を持った外国人は、もともとの日本人の数を越えて2億人に達しようとしていた。 所得税や、消費税で、国家の財政は、随分と潤った。 税金が潤沢なお陰で、社会保障も万全だ。 赤色排除で、街の人は、冷静で落ち着いている。 考えてみれば、良いことばかりに思えた。 街は、喜びに溢れていた。 ただ、静かな喜びだった。 大きく手を挙げて、「やったー。」なんて叫ばない。 親指を少し立てて、3センチほど、頷くだけだ。 国民も、総理も、対策室のメンバーも、これで良かったのだと、それぞれのこころの中で思っていた。 平和な日が続いていった。 そんな日本に憧れて、多くの外国人が、日本国籍を取って、日本中に溢れていった。 ただ、日本人の出生率は、かぎりなくゼロパーセントにまで落ちてしまっていた。 、、、、、そして、60年後。 日本列島から、もともといた日本人が、消滅した。 テレビから元パキスタン人の官房長官が、たどたどしい日本語で、発表をした。 「今日から、漢字を廃止します。公的な文書は、カタカナで表記してください。日本国名も、『日本』ではなく、『ニッポン』とします。」 官房長官が立ち去った後ろに、白地に青の丸の日の丸が、威風堂々と飾られていた。
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