第一話 天狗様、来たる

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第一話 天狗様、来たる

――これは、夢だ  誰かが、泣いている。 ――いいえ、夢ではありません。現の出来事にございます。  誰かが、悲し気にそう答える。 ――いや、夢だ。貴女が死んでしまうなど、夢に違いない……!  顔は見えないけれど、誰かが、男の人が嘆いている。頬を伝う涙を、腕に抱きかかえた女性がそっと拭う。  真っ暗な世界に二人だけ。他に誰もいない。二人しかいないのだ。  そんな世界で、男の人は今、一人ぼっちになろうとしている。  少しでも寄り添おうとするように、女の人は、男の人の手を握った。 ――悲しまないで。私は必ず、貴方のもとに戻ってきます。だから待っていてください。遠い輪廻の果てに、必ず貴方を、見つけ出しますから ――必ずだ。俺も必ず、貴女を……!!  男の人の手を握る白い手に一層力が籠る。そして、その手からふわりと力が抜けていく。  男の人は、悟った。自分がこれからの永遠にも近い時の中に、置き去りにされてしまったのだと。 ――必ず……必ず見つけ出すぞ。藍……! 「――っ! 私!?」  名前を呼ばれてつい目を開けてしまった。 「うっ、眩し!」  急に視界に突き刺さってきた真っ白い陽光に、思わず目をつぶる。 さっきまで真っ暗な世界にいたからか、思った以上に日差しの刺激が強すぎた。そんなことってあるだろうか、夢の話なのに?  悶えながら、さっきの夢を思い返す。いや、思い返すも何も、何も見えなかったんだけども。男の人の顔も、女の人の顔も。真っ暗だったからというより、ぼんやりしてよく見えなかった。  だけど最後に私の名前を呼んでいた。もしかしたらあの夢は私の妄想なんだろうか。だとしたらあの男の人はもしかして…… 「おい、藍!」 「は、はい! 山南藍です!」 ――なんてことを考えていたら、ドアを破らんばかりの音が響いてきた。同時に、私の脳天を揺さぶらんばかりの怒声も……。 「いつまで寝ている! さっさと起きんと、朝餉に間に合わんぞ!」 「あ、治朗くん、おはよー。すぐ行く!」 「まったく毎朝毎朝……早くするんだぞ」  そう言って、治朗くんは床板を踏み鳴らして立ち去った。なかなかに荒々しい音だけど、最近はこれがないと物足りなく感じているのだ。  だから、ほんの少し考えてしまった。  あの夢の男の人は、もしかして治朗くんなんじゃ……?  制服に着替えて居間に行くと、私以外の面々はすでに揃っていた。  広めの和室の中央には6人掛けの大きめの座卓。そこには憮然としている治朗くんと、ニコニコしているお母さんが座って、ほかほかのご飯と味噌汁と焼き魚の和食朝ごはんが並んでいる。我が家には食事は3人揃って始めるという決まりがあるから、二人とも私を待っていてくれたのだ。 「お、お待たせしました!」 「ああ。待った」  ぶっきらぼうに言う治朗くんの隣、お母さんの正面の席に急いで座る。 「はい。全員揃ったわね。じゃあいただきます」  朗らかにお母さんが宣言し、私と治朗くんも手を合わせた。神妙に頭を下げるやいなや、治朗くんは朝ごはんにむしゃぶりついた。 「治朗くん、お腹すいてたんだね」 「当り前だ。お前が暢気に寝ている間に、俺は朝の修業を一通り済ませたからな」 「あら、じゃあいっぱい食べてね」 「ありがたい。早速、おかわりを頂きたい」  もう1杯目のご飯を食べ終わったこの人は、比良山治朗(ひらやま じろう)という。一応、幼なじみだ。色々事情があって我が家の少々広すぎる離れに一人で住んでいて、毎日一緒にご飯を食べている。と言うより、ほぼ一緒にいる。  ”修行”というのは……まぁ説明は後ほど……。 「お前も朝の鍛錬をまたすればいい。早く起きられるし、朝から飯が美味くなるし、一日がすっきりした気分で過ごせる」 「あらいいじゃない。最近よく眠れないって言ってたし。運動したらよく眠れるわよ」 「そ、そうかなぁ」 「いやちょっと待て。”よく眠れない”? 今日一番眠りこけて朝餉の開始を遅らせたのは、どこのどいつだ」 「眠りの質が良くないってこと!……なんか、変な夢見るから」 「変な夢って、どんな夢なの?」 「なんだろう……男の人と女の人が二人して泣いてる夢?」 「っ!」 「まぁ。どうして泣いてるの? 知ってる人?」 「全然知らない人だし、なんで泣いてるかもわからない。あ、でも今日は名前呼ばれたなぁ。”藍”って……」 「それは……」  ふと、治朗くんの箸が止まった。 「あれ? 治朗くん?」  声をかけども、治朗くんは考え込んで動かない。私はそろっと治朗くんのお皿の焼き魚に箸を伸ばしてみた。すると――  ペチッ と正面から手が跳んできた。 「お行儀悪い。それに治朗くんがお魚大好きなのも知ってるのに、ひどいわね」 「へ?」  お母さんの声でようやく私に気づいたらしい治朗くん。私の箸が侵略しかけていることにようやく気付いて、思いっきり一口で焼き魚を頬張った。 「ごめんなさい、冗談です……」 「まったく油断も隙も無い」  別に本当に盗る気もなかったんだけど、治朗くんから魚を盗るのは大罪であることが改めて分かった……。 「もう、そんな悪い子には誕生日のプレゼントあげないわよ」  お母さんは冗談ぽく笑った。 「もちろん、いい子にしてたらちゃんとあげる。ね、何が欲しい?」 「誕生日って……まだ半年も先じゃない」 「いいじゃない。準備はしっかりしたいんだもの。今年は盛大にやりましょ」 「別にいつもと一緒でいいよ」 「何言ってるの! 今年はいつもと違うのよ。治朗くんはお山に帰っちゃうし、藍ちゃんは……お嫁に行っちゃうし」 「ぶっ――」  思わず飲んでいた味噌汁を噴いてしまった。 「また”許嫁”の話? そんなまったく身に覚えのないことで将来決められちゃたまんないよ」 「何を言うか! お前の許嫁は、それはそれは強い力を持った偉大な方なんだぞ。あの人の言いつけだからこそ、俺だってこうしてお前のお守り役を引き受けたんだ」 「……ああもう、わかった! わかりました! すごい人なんだね! はい、その話終わり!」  私は食卓に並んだものを一気に平らげて、鞄をひっつかんだ。 「日直だったの思い出した! 先行くね!」 「え、そんな朗くんの声を背中に受け、私は駆けだしていた。
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