第一話 天狗様、来たる

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 比良山治朗坊――。  天狗の中でも強い力を持つ四十八天狗がおり、更にその中でも特に強い力を持ち、信仰の対象にすらなった八大天狗に名を連ねる、大天狗である。  ”さすが”と言ったものの、私も知っているのはこれぐらい。それも某wikiサイトで見た程度なのだ。 「やめろ。そんな大したものじゃない」 「でも大天狗なんでしょ?」 「……前にも軽く説明したかもしれんが、俺が大天狗なのではない。お山を治める天狗たちが大天狗の称号を得ているんだ。差し当たって、その頭領が代表してその名を名乗ることが多いというだけだ。現在は、俺の父を指す。言うなれば、父上も俺も他の天狗たちも、皆含めて『比良山治朗坊』ということだ」 「……へぇ……」 「お前……理解していないな」 「そ、そんなことないよ。あ、そうか! 〇〇組みたいな感じ?」 「…………まぁ、今のところはその解釈で許す……」  いいんだ……。  お礼のついでにうかつにも天狗の名を出してしまったばかりに、朝からお説教が始まってしまった……。まぁそれまでもお説教だったから大して変わらないか。 「あれ? でもお父さんが頭領ってことは、治朗くんは跡継ぎってこと?」 「俺よりも優秀な天狗が現れなければ、そうなるな」 「へぇ、世襲じゃないんだ」 「当り前だ。俺たちは皆、お山を治める役割を担っている。より強い者が統率者になるべきだろう」 「そっか。じゃあ……早くお山に戻って修行しないとね」 「お前、今さっき何があったか忘れたのか? 俺が来なければどうなっていたと思う」 「わ、わかってます! 重々承知してます! でも、その……行っちゃうんでしょ?」 「え?」 「言ってたじゃない。お守り役は私の16歳の誕生日までで、それが過ぎたら、もといた山に帰るって」 「それは、まぁ……そうだな」  私が突き放すような物言いをしたことに何か感じたのか、珍しく治朗くんは言い淀んだ。私が拗ねていると思ったんだろう。 「その、なんだ。母御前も仰ってたろう。今年のお前の誕生日は盛大にやろうと。俺もそれには賛成だ。何か欲しいものがあれば言え。何でも用意してやるぞ」  あ、話を逸らした。今はその後の話をしていたのに。その逸らし方に、余計にイラついた……。 「何でも?」 「ああ、何でもいいぞ。言ってみろ」  治朗くんらしくもなく、機嫌を取るような優し気な物言いになった。それが何故か、イラっとした……子ども扱いされているようで。  だからだろうか。言ってはいけないとずっと思ってきたことに対して、歯止めがきかなくなってしまった。 「私は……これからもずっと、治朗くんに傍にいてほしい」  早足で歩く治朗くんの足が、私の前でピタリと止まった。 「お前、それは……」 「………………だめ?」  普段だったらごまかすところだけど、今日はそうしなかった。彼が、何でも言えと言ったのだから。  治朗くんもそれをわかっているのだろう。応えに瀕しているようだ。  そんなに困った顔をされると、辛くなってくるんですが……。だけど治朗くんは、困った顔のまま、私の方を向いた。 「それは……それはできない。お前も、わかっているだろう」 「……わかってる。治朗くんは、戻らないといけないもんね」 「それだけじゃない。お前には……お前には、許嫁がいる。俺はその代理としてここにいただけなんだぞ」  そう。治朗くんは私が物心ついた頃に、色々と説明してくれた。  自分が人間じゃなくて天狗だということ。私があやかしに狙われること。だけどそれも16歳まで。私が16歳になれば、”許嫁”が迎えに来ること。自分はあくまで、迎えの時まで花嫁を守るために遣わされた代理に過ぎないということ。  10年以上の間、事あるごとに、耳にタコができるくらい言われてきたことだから十分承知していますとも。だけど…… 「そんな理屈とか道理とかじゃない。会ったこともない自称許嫁よりも、今まで傍で守ってくれた治朗くんだって言いたいの」 「いや、しかし……それは、困る……」 「!! こ ま る……?」  はっきり言われてしまった。……という衝撃が顔にも表れていたんだろう。治朗くんが明らかに「まずい」といった表情であたふたしている。この人もまた顔に出やすいのだ。 「い、いや困るというのはそうじゃなくてだな。その、お前の許嫁の方というのは俺にとって兄と慕う素晴らしい方で……愛宕山の、天狗の中でも随一の方で、俺なんかとは比べるべくもなく……!」 「いえ、もういいです……困らせて、すみませんでした」  何とかそれだけ告げて、おぼつかない足取りで歩き出した。 「お、おい……!」  治朗くんがなにか言おうとしていたけど、何も聞こえなかった。その後、私はふらふらしながらも何とか登校して、授業を受けていた。どうやってたどり着いたのかは、全くもってわからない……。  ただ、後になって他の人に聞いたところによると、一日中ずーっと困る…困る…困るよね……困るかぁと、ぼそぼそ呟いていたらしい。  周囲の人こそが、私の扱いに困っただろうことは想像に難くない。
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