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 雨京さんの家は、外観は洋風なのに和モダンな内装だった。橙色の行灯が灯る廊下を進み、和室へ通される。何もない部屋だからこそ、床の間に飾られた紫陽花が洒落ていた。  タオルと着替えと温かいお茶を出してくれる。雨京さんの甚平だ。どう考えてもサイズが合わなさそうなので、これは寝る直前に着ることにする。 「何かあったら呼んで下さい。わたしは隣の部屋にいますので」 「え?」 「気が立っている時に他人と一緒にいるのは煩わしいでしょう。それとも話し相手になったほうが気が紛れますか」 「……できれば、話し相手になってもらえると嬉しいです」 「では、そうします」  雨京さんは僕の前に正座した。話し相手になって欲しいと言ったところで、今の僕には愚痴しかない。雨京さんは畏まって座っているというのに、僕はだらしなく胡坐をかいて項垂れながら話した。これまで亮也とのなれそめは話したことがあるけれど、彼の人間性については触れたことがない。僕は今まで亮也とどんな風に付き合っていたのか打ち明けた。家を出る直前に何があったのかも。雨京さんが聞いたら気を悪くすると分かっているのに止まらなかった。亮也の横暴な言動を考えれば、雨京さんがどれだけ素敵な人かと思い知る、とまで言った。雨京さんは体勢を崩さず、表情ひとつ変えずに聞いていた。 「雨京さんみたいな人が恋人だったら、こんな思いせずに済んだだろうなぁ」  こんなことを言って、僕は雨京さんにどうして欲しいのだろう。お決まりの慰めの言葉なんか貰っても仕方ないし、愚痴に同意されるのも違う気がする。黙って話を聞いてくれるのが一番いいけれど、それはそれで惨めになる。雨京さんは静かに、予想もしなかったことを口にした。 「わたしは陽向さんに惹かれています」  僕は落としていた顔を上げて、雨京さんを凝視した。 「一目惚れでした。色々話をするようになって、やっぱりあなたは素敵な人だと思いました。こんな深夜にわたしの部屋で二人きりで、正直心臓が持ちません。落ち込むあなたを慰めたいと思っている。触れたいとも考えている。ですが、わたしはそれができません」 「……どうしてですか?」 「あなたはわたしではない人のものだからです。人のものに手を出す卑怯な真似はわたしの性格が許さないのです」  僕は雨京さんの言い分に呆れて嘲笑した。 「健全ですね。力づくで奪おうと思わないんですね……」  これではまるで、力づくで奪って欲しいと言っているようなものだ。 「……あなたがどうしてもと言うなら、そうしますが」  屈辱、というのだろうか。惹かれていると言われて一瞬嬉しかったのに、なんだか馬鹿にされているような気分だ。けれども次に言われた言葉で、ハッとした。 「陽向さんがわたしを頼ってくれたことは嬉しいです。ですが、どういうつもりでわたしを訪ねたのでしょう。一時的に慰められたいからでしょうか。それとも恋人と別れてわたしのものになろうという気持ちがあるのでしょうか。あなたが今すぐわたしを選ぶというなら、わたしはあなたを喜んで抱きますが、一時の安息を求めているだけなら抱けないし、抱いたとしてもわたしが冷めてしまうでしょう。どうですか。わたしの気持ちを知って、わたしと一晩ここで過ごせますか」  自分で誤魔化していたものを的確に言い当てられて情けなくなった。  雨京さんと一緒にいて居心地が良かったのは、雨京さんが僕に好意を持っていると本当は気付いていたからだ。自分を好きでいてくれる人の存在が有難くて嬉しかったから、雨京さんの優しさに甘えていた。そのくせ自分から亮也に別れを切り出すこともなくて、僕が雨京さんといていつも思うことは「亮也からもこんな風に優しくされたい」ということだった。  家を飛び出して雨京さんを頼ったのも、心も体も持て余している自分を、雨京さんなら慰めてくれるんじゃないかと期待したからだ。  寂しかったから。自分を好きでいてくれる人を手放したくなかったから。  雨京さんが手を出すつもりがないのに、わざわざああいう告白をしたのは、僕の狡さを見抜いていたからなのだ。誰だって本気で自分を好きじゃない人を抱くなんてしたくないだろう。 雨京さんは甚平を指差して「着ないんですか」と訊ねた。 「……あ、着ます……。サイズが合わないかもと思って……」 「手伝いましょうか」  少し間ができたあと、僕は頷いた。いそいそと濡れたTシャツを脱ぐ。雨京さんが甚平を広げて構えてくれたので、僕はそれに腕を通した。向き合うと雨京さんが紐を結んでくれる。地肌に指が当たりそうで当たらない。このもどかしい距離に緊張する。襟に沿って雨京さんの大きな手が胸を滑った。着せてもらっているだけなのに変に意識してしまって、体が僅かに反応した。それに気付いてか雨京さんは手を離した。 「ではわたしは隣の部屋にいきます。これ以上一緒にいるのはお互いに危険なのでね」  雨京さんは背を向けて、目を合わせないまま襖を閉めた。広い和室に取り残され、安堵と羞恥に苛まれる。外からカツン、カツン、と雫が落ちる音がする。そういえば以前、庭に窯があったのを見た。うるさくもあり、心地良くもあるリズミカルな水の鼓動。 雨はまだ、止みそうにない。
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