【あんただけだよ】

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【あんただけだよ】

「あんたさあ、今も弟を愛しちゃってんの?」  目の前の男が切り込んで来たのは、ふっと沈黙が落ちた時だった。  咄嗟に”俺はお前とは違う”と言いかけた鯨井(くじらい)(たける)は、ふうっと息を詰めた。――そう、兄弟を愛してしまっているのは目の前の男の方だ。それを話したくての今晩の誘いだったのだと、直感的に理解した。 「……(みなと)さんに、なんかあったのか?」  金曜日の夜。焼き肉屋の狭い個室で、ぎらついたペンダントライトに照らされながら差し向かうのは、大学時代の後輩・宗谷(そうや)克己(かつみ)である。知り合ったのが大学の一年生と二年生の時だったので、もう六年程の付き合いだ。大学を卒業して社会人になった今も、適度に連絡を取り合う仲だった。 「質問に質問で返さないでくれない?」  宗谷の漆黒の瞳に赤い炎が揺らめいている。言うまでもなく、それは二人の間に挟まる炭火焼き用の木炭の火影だ。だがそうと分かっても、宗谷の瞳ごしに見るその炎は猛の胸をひどくざわめかせた。 「俺のことなんかどうでもいい。湊さん、どうしたんだ?」 「どうでも良くない。あんたがまず俺の質問に答えなきゃあ、俺は兄貴の近況をあんたには伝えない」  実に面倒くさい問答だ。  猛は溜め息を誤魔化すようにビールを口に運び、焼けた肉を宗谷の皿にも放り込んでやる。 「――そもそも俺は弟を愛していない。確かに弟のことは溺愛しているし、目に入れても痛くないほど可愛がっている。だが、”お前のようには愛していない”」  アルファの猛には、六歳離れたオメガの弟がいる。この弟を猛は馬鹿みたいに盲目的に可愛がっていたが、決して恋愛的に好いていた訳ではない。弟に対して、禁忌を犯す想いなど抱いたこともない。なのに、溺愛が深すぎるのか、今まで付き合ってきたオメガやベータの女たちには誤解され『私と弟どっちが大事なの』との捨て台詞を最後に振られてきた。さすがに懲りて、ここ二年ばかりは交際そのものを控えている。  宗谷からも誤解されているのは知っていた。その誤解を正した事は何度もある。それを取り合わなかったのは宗谷の方だ。  案の定、猛の返事を聞いた宗谷は、腕を組んだまま少しのけぞった。  猛はそれを目の端に捉えながら、僅かに溜飲を下げる。宗谷は己の兄・湊に対する道ならぬ恋が見透かされているとは思いもしていなかったのだろう。 「本当に?」  本当にも何も、お前は自分の信じたいものを信じただけだ。俺を同じ穴のムジナだと信じたからこそ、関係を続けてきたのだろう――猛はそう思いながら、宗谷の皿に焼き上がった肉を放り込んでいく。  そもそも趣味も性格も違う。同じ研究グループにならなければ接点もなかった二人だ。 「とりあえず食え。まだ食うよな? 焼くぞ?」  猛に焚き付けられて、宗谷は慌てて箸を取る。知らぬ間に皿に肉が増えていることに目を剥いていた。 「あんたさあ、そういうとこほんと”お兄ちゃん”だよねえ」  そう言う宗谷自身は、異母兄の湊以外にも同腹の兄がいるらしい。 「でも俺はなァ、言うほど弟の世話を焼いたことはないんだぞ」 「なんでさ」 「そもそも俺には、実の弟と、その弟の幼馴染みの”弟みたいな奴”がいる。この弟みたいな奴がやたら弟の世話焼きでな、ついにこの夏に、つがいになっちまった」 「――やだあんた、失恋直後だったの?」 「馬ァ鹿。俺は弟によこしまな気持ちはナイ、っつってんだろーが」 「俺もないよ。……兄貴に特別な想いなんて抱いてない」  嘘だ。  猛はそう判断したが、頷いた。本人がこうと言い張るものを否定する理由も暴く必要もない。 「そうか」  簡単に頷く猛に毒気を抜かれた様子で、宗谷はしばし押し黙る。そして猛をまじまじと見つめ直した。 「ほんと、兄ぶってる」  ここまで断定されては猛も苦笑を浮かべる他ない。 「そもそも俺とお前、一歳しか違わんだろうが? それでも俺にそんなに兄っぽさを感じるんなら、お前だってよっぽど”弟”だってことだ。ちったあ成長しろよ」 「うわウザ。そこでそういう攻め方する?」 「あー、そういうとこ弟っぽいよなー」 「どういうとこさああもう。ウザいからさっさと本題に戻すね。――兄貴のことなんだけどさ」  猛はトングを操りながら、宗谷の声に耳をそばだてる。 「鯨井さんさあ、俺の兄貴を咬む気ない?」  予想外の発言にトングを取り落とし「はあ?」と叫んだ猛に、宗谷は滔々と事情を語り始めた。  それによると。  そもそも宗谷家はとある名門アルファ家系の末端であること。その関係で、アルファを持ち上げオメガを蔑む悪習が未だに残っていること。父親が外で作った子――これが湊――をアルファと見込んで引き取ってみれば、実際にはオメガだったのでまた放出したこと。宗谷自身はほんの数年でも兄と呼んだ湊を慕い交流を続けて来たのだが、とうとう助けきれない事態が発生しつつあるのだと語った。 「父が兄貴をどこぞの御曹司の後妻にあてがいたいらしくてね。そりゃ兄貴は嫌がってるし俺だってなんとかしてやりたいんだけど――結局それって、兄貴につがいが出来ない限り、今回は防げても何回だって発生しそうじゃん?」  だからね、と宗谷は続けた。 「あんたが兄貴を咬んでくれないなら、俺が咬もうかと思って」  宗谷の口調は「そこまで散歩に行こうかと思って」とでも言うような、ごく気軽なものだ。だがその瞳に揺らめく火影は先程よりも不穏さを増し、いっそ不吉なほどの輝きを放っていた。 「兄貴は今発情期のはずだから。抑制剤は飲んでるだろうけど、抱いちゃえばそんなもんぶっちぎれるでしょ? そしたら、咬んでしまってよ」  宗谷のそれは、悪魔の囁きの如く猛の胸に響いた。 「俺に、何故」  宗谷はずっと、忠実な番犬よろしく兄を守ってきたはずだ。 「はあ? そんなの決まってんじゃん」  宗谷は猛を睨み付ける。羨望と嫉妬の入り混じった、しかし諦念の滲むやるせない眼差しだった。 「俺には、兄貴は絶対プロテクターを外さない。だけどあんたになら外す――分かるよね、この意味」  オメガ達がうなじを守るために装着しているプロテクターは強固だ。金属で出来たそれは、オメガ自身の指紋や声紋、携帯やPCを介してのパスワード認証などで幾重にも守られている。更に言えば、発情フェロモンが過剰分泌されている時には、オメガ本人の手でも外せないと来ている。まさしくオメガを『望まないつがい契約』から守るための堅牢な鎧なのだった。 「あんたが弟を愛してるって答えてたら、こんな頼みは持ち込まなかった。弟を本当に愛していないなら――兄貴だけの片想いでないことを願うよ」  願うと言いつつも見透かした物言いで、宗谷は話を締めくくった。そして二人の間に置かれていた伝票を自分の方へとすっと滑らし、 「じゃあ、今すぐ行ってくれる? ここは俺が払っとくからさ――俺はもう少し飲み足りないし」  と実に横暴に、猛に退出を促した。  宗谷の横暴な要請に逆らうこともなく焼き肉屋を退出した猛は、その足で湊のマンションへと向かった。  湊は、猛と宗谷の出身大学のすぐ近くに住んでいる。さほど高級そうな外見ではないが、一応オートロックのマンションだ。宗谷家を放出されたのは湊が中学二年生の時だったそうなので、宗谷家から援助なり慰謝料なりが出ているのだろう。  猛が宗谷の案内で湊の家を訪れたのは、二人が出会ってから割合すぐ――大学二年の初夏だったと思う。 『あんただけだよ』  ひっそりと囁く宗谷に連れられて、猛は湊と出会った。  大学の研究で連日泊まり込みや夜業が続いていた。それは同じ研究グループだった宗谷も同じ事だった。そこへ、近隣マンションへの招待だ。引き合わされた湊はひとが良く、その居心地の良い雰囲気に甘え、宗谷だけでなく猛も入り浸るようになってしまった。  ――あんただけだよ。  今思えば、宗谷のその言葉には違う意味も籠められていたのだろう。己が家庭の事情に通じる彼にとっては、湊がいずれアルファに提供されるような事態は想定内だったはずである。その前に兄に、自分が見込んだアルファをあてがおうと思ったのか。しょっている考えだとは思うが、宗谷は猛以外を湊の家に招待していないはずだ。  酔い覚ましに駅から歩いて来た猛は、しばしマンションを見上げた。  三階の角部屋――湊の部屋には明かりが灯されている。  それに誘われるように猛は、マンションの入り口をくぐったのだった。
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