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伯父を待つ為に休憩スペースに案内してもらって以来、葵は氷上朔也と話をする機会が増えた。
例えばそれは昼食時の食堂。接客をする機会が少しずつ増えてきたが、その際には必ず名前を呼んで、声をかけてくれる。以前と同様、書類を受け取りにやって来た際には、椅子の整頓を手伝ってくれて慌てたりもした。
そんなことはさせられないと言っても、時間があるから気分転換に手伝わせてくれと言われてしまうし、食堂班の面々も唖然としている状態だ。
「これぞまさに、鬼の霍乱だね」
「手伝わ、なくて、いいって、言ってる、のに」
「まー、いーじゃん。もっちー見てると、応援したくなるんだよ、なんか」
「わかるわー、それ」
「……すみ、ま、せん」
「違う違う、望月ちゃんが駄目だから手伝うわけじゃないんだって」
「そうそう」
「パン屋の見習い君もさ、夢に向かって頑張っててすごいって、もっちーも言ってたじゃん? あれと同じなんだって」
「誰かを手伝う時の気持ち、同情とか憐みなんかじゃないでしょ?」
「はい」
「仲間内でフォローするのは当たり前だよ。氷上さんのは――なんだろうね」
「友達の従姉妹だからじゃないの?」
「顔見て挨拶ぐらいはともかく、仕事の手伝いまで普通する?」
「普通じゃないじゃん、あの人」
「それ言われたら元も子もないな……」
同僚たちの口さがのない会話に入るのは、なかなかに難しい。
第一、葵自身もよくわからないのだ。仁に言えば「サクは優しいだろう?」と友達自慢をされたし、仁美に言えば「氷上くん、意外とマメな男だな」と呟いていた。まったく意味がわからない。
新月に訊いてみれば、迷惑ですか? と何故か問い返され、慌てて弁解する羽目になってしまった。
迷惑などとは思っていない。ただただ恐縮しているだけである。先日、話をしたことがきっかけになり、「友達の従姉妹」から「自身の知人」に昇格したのかもしれない。
知り合いが増えるのは嬉しいことだ。
葵の目標は「独り立ち」で、陣内家におんぶにだっこ状態から脱することなのだから。
「もっちーは、クリスマスはなんか予定あるの?」
「予定、というか、伯父さんの、家に、行きます」
「なるほど、彼氏は居ないのか」
「な、ない、です」
思わずぶるぶると顔を振ったせいで、髪が乱れて手で抑える。
先日、同じことを新月に訊かれたことを思い出した。その際、新月は「なら、よかった」と言った。新月の方はどうなのかと問えば、普通に仕事をして、家に帰る、いつも通りの日常です、と返ってきた。
どうやら彼女は居ないらしい。
それを知って、どこか安心した自分に気づき、葵は動揺したものである。
当日は、仕事明けに陣内家の方へ帰り、今まで通りチキンとケーキを食べた後は、そちらに泊まるつもりだったけれど、やっぱり自分の家へ帰ろうかと思った。そうすれば、新月と話が出来る。
いつも通りの日常だという新月に、メリークリスマスの言葉を送りたい。
少しでも、いつもと違う日を一緒に過ごせたら、楽しいと思った。
そうしたい、と強く思った。
「じゃあさ、好きな人いる?」
「好き、な、人、ですか?」
「今、気になってる人でも可」
新月氏のことが頭に浮かび、葵の心臓はどくんと高鳴った。
「その反応は、いるな、いるね」
「ちょっと喰い付きすぎ。引いてるから、望月ちゃん」
「ち、違、くて」
「んー、愛い奴愛い奴」
「違う、ん、です」
「このうるさい奴はともかくとして、大事にしなよ、望月ちゃん」
「なにを、ですか?」
「いい人だなーって思う気持ちがあるなら、それをどう育てるかは、望月ちゃん次第ってこと。いい人のままで終わってもいいし、もっと知りたいなーとか、一緒にいたいなーとか、そう思う気持ちがあれば、そうすればいいんだよ」
「……迷惑、じゃ、ない、ですか?」
「なにこの子、可愛い」
「相手の男、死ねばいいのに」
「なんで、ですかっ」
グルグルと考え、結局持て余してしまった葵は、唯一「新月」のことを知っている仁美に、相談することにした。
しかし、問題がひとつ――
(女の人じゃなかったって、言わなきゃ、だよね……)
優しい年上のお姉さんだからこそ、仁美も「まあ、大丈夫でしょう」と何も言わないでいてくれたのだ。これが、年上の男性だとわかれば、さすがの仁美も反対するかもしれない。
そう危惧している時点で、葵にとって新月は、繋がりを保ちたい人間であることに、葵自身は気づいていない。
「お待たせー、ごめんね、待たせて」
「こちら、こそ。すみま、せん」
「どうせだから、夕ご飯食べて帰ろっか。あー、でもまだ早いか。雑貨屋さんでも覗く?」
「はい」
会社最寄りのバス乗り場から、いつもとは別方向のバスへ乗車する。並んで座れる程度には空いていて、葵は窓際の席で街並みを眺めた。クリスマスシーズンのせいか、そこかしこでイルミネーションが光っていて、チカチカと眩しい。
綺麗だとは思うけれど、あまり派手派手しいのは好きではない。暗闇にそっと寄り添う程度の光の方が、葵は好ましいと思っている。
「年々、派手になるわねー。電気代いくらかかるのかしらね」
「ジンくんは、派手にやるの、好き、で」
「アホよねあれは」
「お金払え、って、伯母さんが、よく怒って、ました」
もっとも仁の行動は、葵を喜ばせようと画策してのことだと、わかってはいる。本人がお祭り好きという部分もあるにはあるが、大部分は葵が寂しくならないように、という配慮なのだ。
やはり仁の中で、自分は中学生のまま止まっている気がする。
葵としては文句を言いたい気持ちでいっぱいだが、仁の気持ちが嬉しいこともたしかなので、そのままになっている。
ショッピングモールの前でバスを降り、一階から順に店内をまわっていく。平日ということもあり、そこまで混雑はしていない。人混みが苦手な葵でも、安心して買い物ができる状況だ。
行列が出来る前にとレストラン街に入り、席に着いたところで、仁美が訊いた。
「それで、なにかあったの?」
「はい。えと、その――」
「氷上くんのこと?」
「いえ、そうじゃ、なくて」
たしかに、それも気になることではあるけれど、今日の本題はそちらではない。
どう切り出したものかと唇を噛む葵に、仁美が話を向ける。
「ってことは、例の、ネットでお話してる人の方かな?」
「――はい、そう、です」
「なーに? 個人情報とか訊かれたの?」
「それは、ない、です」
「……なんだ。まだか」
「なにが、ですか?」
「あー、こっちの話。じゃあ、なに? もう、やめようかなーとか、そういうこと?」
「ない、です。そんなのは、ない、です」
慌てて否定すると、仁美は驚いたように目をまたたかせた。
葵は、自らの勢いに自分で驚いて、言葉を呑んで、俯く。
新月氏のことになると、どうも調子が狂う。自分が自分じゃないみたいで、おかしくなる。
けれど今日は、打ち明けるために呼んだのだ。そして、できれば、相談に乗ってほしいのだ。黙っているわけにはいかなかった。
「……その人、なんです、けど」
「うん」
「女の人じゃ、なかったん、です」
「そう」
「驚かない、の?」
「顔のない世界だからね。そういうこともあって、不思議じゃない」
「私が、勝手に、勘違いしてて。性別の話とか、わざわざ、してなくて」
「まあ、そうだよね」
「すごく、失礼なことだった、のに。怒ったりして、なくて。優しくて、いい人、なんです」
葵がぽつりぽつりと話す言葉を、仁美は頷いて聞いている。葵自身、何を、どう聞かせたいのかがわからなくて、思いつくまま、新月氏のことを話した。
途中、注文した料理が届いたことで中断し、食べ終わった頃には葵も気持ちが落ち着いた。隠していたことを話せて、肩の荷が下りた気もした。
そんな葵を見て、仁美は訊ねた。
「葵ちゃんってさ」
「はい」
「その人――新月さんのこと、どう思ってる?」
昼間、職場で話題になった「気になる人」のことが頭をよぎり、瞬間的に葵の脳内は、沸騰したように熱くなる。
「わかんない、です。でも、あの、私、変です。そんなのダメって、わかってても、会ってみたいって、思ったり、でも、やっぱり怖い、気持ちもあるし。いつもいっぱい考えて、とにかく、変なんです」
「そっか。わかった。よし、会おう」
「へ?」
「待ってて、電話するから」
「え、あの、仁美さん?」
仁美は一体なにを言っているのだろう。
混乱する葵の前で、鞄からスマホを取り出した仁美は、どこかに電話をはじめた。
「もしもし、坪内ですけど。うん、お疲れさまです。あのさ、今からここに来てくれる? え? なんでもいいから来る。今、私の目の前に、あなたの大事な満月ちゃんがいます。そう、ご飯食べてたの。羨ましい? ざまーみろー。え? そっちがちんたらしてるから満月ちゃんが悩んでるんでしょーが。下手な小細工とかしてないで、男なら潔く当たって砕けなさい。あ? 砕けるかどうかはそっち次第でしょ?」
立て板に水がごとく、怒涛の話しっぷりで、仁美は誰かと会話している。
当然、葵が口を挟めるわけもなく、ただ茫然と聞いているだけだ。それでも、満月ちゃんという単語が耳に入り、となれば、相手は本当に新月なのだろうかと訝しむ。今、明かしたばかりの相手のことを、何故、仁美が知っているのだろう。
「――に居るから、うん、じゃあ後で。気合いれなさいよ?」
鼻息を鳴らして仁美は葵に向き直り、「じゃあ、行こっか」と笑顔を浮かべた。
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