赤い視界

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 哲也は、愛華の首に回したロープに力を込めた。その拍子に、彼女の赤い髪が一、二本、プツリと切れた。  キレイにデコレーションされた愛華の爪が縄を外そうとするが、意味なく自分の皮膚に縦の傷をつけるだけだ。  そのうち愛華は、暑い日の犬のようによだれと舌を垂らし始めた。意識を失い、力が抜けていくにつれ、両手で握ったロープ一本だけでは支えられなくなり、彼女の体はずるずると地面にくずおれる。  やがて完全に動かなくなった愛華を前に、哲也は荒い息を繰り返していた。しばらくこうやってぼうっとしていたいが、そういうわけにもいかない。  少しでも証拠になりそうな物はないほうがよいだろう。哲也は首に巻き付いたままのロープを外す。真っ赤に染められたストレートの髪が、血しぶきのように地面に広がった。まるで彼女は絞殺ではなく頭を殴り殺されたのだとでもいうように。  数年前、哲也の会社に取引先の担当として訪れたのが愛華だった。  最初はその赤い髪に驚いた哲也だが、考えてみれば愛華の会社はメイクやヘアカラーの商品を主に扱っている所だ。これも自由な社風や自社の商品をPR するための物なのだろうか。そう思って聞いてみると、「会社的にはそうなんでしょう。でもなにより自分がこの髪色を好きなので、髪型自由な会社に入ったんですよ」という答えが返ってきた。  仕事上の付き合いだけだったのだが、いつからかそんな彼女の性格が気に入り、向こうもまんざらでもなく思っていたようで、いつのまにか不倫関係になっていた。  最初、「奥さんに迷惑はかけないから」とか「ちゃんと割り切っているから」なんていっていた愛華だったが、うっかり子供ができてしまったのをきっかけに、愛華に妻と別れるようにうるさくせっつくようになった。  結婚だのなんだのにこだわる相手ではないだろうと思っていた哲也にとっては騙されたようにしか思えなかった。 そのうちに「奥さんや子供に関係をバラす」とまで言い出されては、取るべき方法は一つしかなかった。 (大丈夫だ。ちゃんとアリバイは用意してある。警察に話しを聞かれたとしても、疑われないだろう) 哲也は、あらかじめ掘っておいた穴に埋めるべく、愛華の死体を引きずっていった。  愛華の会社や実家の付近は知らないが、それから少なくとも哲也の近くでは彼女の失踪が大きな話題になる事はなかった。変化といえば、取引相手の担当が愛華から別の人間に変わったことぐらいだ。  このまま逃げ切れると確信したころ、哲也の目に異変が現れた。  最初は視界の上四分の一が、少し赤く染まるだけだった。赤い部分も完全に塗りつぶされるわけではなく、細いヒビが縦に無数に走っている感じで、隙間から目の前の景色を見ることができた。  でも、そのうちにヒビの密度は濃くなり、範囲も視界の半分、三分の二と広がっていく。これでは、そのうちに視界が真っ赤に塗りつぶされ、何も見えなくなってしまう。  目をこすっても、病院で検査をしても原因は分からない。治るどころか、日が経つにつれ、着実に症状は悪化していった。 (病気でないのなら、一体何が……)  思い当たるのは一つしかない。 (いや、まさか、そんなはずがない。愛華(あいか)の呪いだなんて、そんな事……)  哲也はくだらない考えを振り払った。 (呪いなんかありえない。ただのちょっとした病気のはずだ。理由が分からないでなったのなら、理由が分からないまま治ることもあるはずだ……)  そう自分に言い聞かせる。きっと、ここなら治してくれるはずだ。哲也は初めて行く病院へとふらふら歩いていった。 (うわあ)  純は、高校からの帰り、ふらふらと歩く通りすがりの男をみて、思わず声をあげそうになった。  今まで会ったことがないため、当然純にはその男の名前が哲也だということは知らなかった。けれど、彼が恐ろしい罪を犯したのだけは分かった。  男の背後に、「女性のようなモノ」が立っていた。普段、「一般には見えないモノ」が見える純だが、ここまで不気味なのはめずらしいほどだ。 あまりの恨みで、本来の姿を忘れたのか、最初からそういった形なのか、「女性のようなモノ」の足や胴は異様にねじれて長く伸びていて、結果身長が前に立つ男の二倍になっている。着ているオフィススーツも、体に合わせ伸びていた。 そして酷い猫背で、男の頭の真上に、化け物の首があった。そこにはロープが巻き付いているような跡と、ひっかいたような跡がある。 うつむいている頭からは長い髪が真下に垂れ、先端がちょうど男の目の前で揺れていた。見事な赤い色の髪が。もし、この男にこの化け物の姿が見えていたら、視界が赤く染まっているに違いない。 もし、この化け物がもっと背を丸めるようにして男の顔をのぞきこんだら? 赤い髪が見え、額が見え、そして……? なんだか気味が悪くなって、純はそこで考えるのをやめた。
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