1.エリキシル・ヴェジェタル

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「だけどシャウトはそう簡単に身につくものじゃない。下手に練習し過ぎて咽喉を痛めたらどうする?」  テンホーの心配はもっともだが、ダッシュはそれも織り込み済みだった。  「下手な練習をしなきゃいいんじゃね? ハルはすでにミックスボイスを習得しているし、ファルセットもいける。なにより勘がいいから出来るはずだ。俺がちゃんと教えるよ」  ミックスボイスとは、地声(チェストボイス)と裏声(ファルセット)が混ざったような中間の声のことだ。地声から裏声に変る地点を『換声点』というが、ミックスボイスを習得していれば、この音域の切り替えが滑らかになり、地声のような声の強さを保ちながら高音域を出すことが可能になる。いわゆる『歌がうまい』といわれる人や、一流のシンガーのほとんどが身につけているテクニックだ。  ハルは二人が自分のことで意見し合うのを見て、三角関係になってしまった女の子のようにオロオロしている。  テンホーは難しい表情で溜め息をつくと、テーブルに両肘をついたまま頭を抱え込んだ。その時間は三十秒ほどだったが、ハルとダッシュには何倍も長く感じられただろう。 「──わかった。やってみてくれ。ただし、絶対に無理はするなよ? それと間に合わなかった時のために『I Remember You』も演れるようにしておくこと。オーケー?」  『I Remember You』はメタルというより王道のロック・バラードで、詩もメロディも甘く、優しい。それだけにシャウトしなくても曲の世界観が壊れないし、本来のハルの歌声にもっとも近いため、彼なら問題なく歌えるだろうと容易に想像がついた。
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