第5診 暗闇の脚童子

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第5診 暗闇の脚童子

 脚童子。  これは『キャクドウジ』と読みます。  主にH県のT市に伝わる言い伝えで、真夜中に民家に忍び込もうと庭先を這い回る妖怪です。  最大の特徴は暗闇でも光る目で、視線をあちこちに配りながらぴったりと地面に身体をつけ、長い四本の足を曲げてまるで蜘蛛のように動き回るのだとか。  そして童子、という名の通り、その見た目は人間の子供によく似ています。  積極的に厄災を運ぶタイプではないのですが、目にすれば生気を奪われ、万一家に招き入れてしまえばその家は栄華を失うとしてT市では恐れられています。  まぁ、そのT市っていうのは……私が暮らしている場所なんですけどね。  見たことですか?  もちろん、あります。  以前、新見先生と一緒に出張した時のことです。 ***  地域医療の活性化、という名目で私たちの病院では定期的に出張眼科を行っています。  過疎化が進んだ地域にも病院やクリニックはありますが、眼科が常設している所は少ないです。  眼科は今日明日で命に関わるという症状は少ないので、どうしても優先順位が低くなりがちなのです。  とはいえ、見えなくなっては困ります。  そういう場合は、近隣の病院から定期的に応援を頼みます。  その応援が、新見先生というわけです。  出張自体は、これまでおじいちゃん先生と一緒に何度も赴いていましたし、新見先生とも何度か同行させてもらっていましたが、その日はちょっと特別でした。 「新見先生、メガネなんてかけていましたっけ?」 「いいや? これは伊達メガネさ」  細いフレームの銀縁メガネにはレンズが入っていません。  童顔の先生ですが、メガネをすると少しばかり年相応に見えました。  ……ちょっとだけ、『お父さんのメガネを借りている息子』感は否めませんが、言わないことにします。 「どうも毎回、年齢を疑われるんでね。今日はコレを使うことにしたんだ。似合う?」 「……良くお似合いで」 「ちょっと間があったけど?」 「気にしないで下さい。ところで、あれからミライちゃんはどうなりました?」  ミライちゃんは、最近通院をはじめた患者さんです。  個性的なお母さんと家庭環境の変化もあって、心因性の影響で視力が落ちてしまっていました。  原因は精神的なものなので特に私たちができることはないのですが、定期的にミライちゃんとお母さんの母子分離を行って、ミライちゃんの話を聞いたりお母さんのグチを聞いたりすることで少しずつミライちゃんは快方へと向かっています。 「順調だよ。ミライちゃんのところは母子家庭でね、一概には言えないけど、母子家庭のお子さんって大人を慮ってなかなか自分のことを話せないものさ。そして内側に籠もって、身体が悲鳴を上げるんだ」 「呪いの車椅子の佐伯さんも母子家庭でしたね。あそこは男の子でしたけど」 「統計的に、女児の方が発症しやすいんだ。でも、成長と共に良くなるから大丈夫だよ」 「そうですか……それを聞いて安心しました」  伊達メガネをかけた先生はいつもより知的に見えるので、「大丈夫」という言葉も深く腑に落ちました。 「先生には、ご兄弟っているんですか?」 「男ばっかり三兄弟だよ。僕の三太郎、って名前から想像つくだろう?」 「やっぱり……三男なんですか?」 「そりゃあね。もちろん、兄貴は一郎と二郎だよ。どうして僕が三郎じゃないかというと……なんでか分かる?」  目的地である赤種村に向かうタクシーの中で、そんな会話を交わします。  運転手さんはいつも通り、前方を向いたまま口元を真一文字に結んで無表情なので、私と先生だけで車内の会話は進んでいきます。  私は先生の問いかけに頭をひねりましたが、すぐに詰まってしまいました。 「えっ。どうしてでしょうか……画数が悪かったから、とかですか?」 「残念。僕の父親が三男坊で新見三郎だから、息子の僕が新見三太郎になったのさ」 「なるほど。同姓同名が同じ戸籍にいたら、ややこしいからですね」 「でもさ、それなら全く違う名前にしてもよかったと思わない?」 「そうすると、先生だけ仲間外れになっちゃうじゃないですか。それはさみしくないですか?」 「どうかなぁ……一郎、二郎、三太郎もなかなか疎外感はあるけどね。香住くんは、お兄さんがいたんだっけ」 「はい。兄には本当にお世話になりました。生きてたら……新見先生と同じぐらいですね」  私は早くに両親を亡くしたので、ずっと十歳上の兄に育てられました。他に頼るべき親戚もいなかったので、本当に二人きりです。  看護師になったのも、瑠衣子みたいに奉仕の精神があったわけではなく、ただ自立のために手っ取り早いと思ったからです。  でも、勤めてみると学ぶべきことや楽しいことも多いので、今では看護師になってよかったです。  このまま日々勤めて、楽しく笑って、それで私は満足です。  自暴自棄になっているわけではないのですが、こうも身内が短命だと私もそう長くは生きられないんじゃないかなぁと思います。特に自覚は、ないんですけど。 「そっか。じゃあ僕を兄と思っても……」 「あっ、それは結構です」  しんみりとした空気で切り出された言葉を、私はバッサリ切り捨てます。 「なんで!?」 「新見先生と兄は全然、違いますから。童顔じゃないですし、さぼり癖もないですし、マイペースでもないです」 「それ、悪口入ってない?」 「全然入ってないですよ?」 「笑顔がまぶしいなぁ……」 「でも、兄弟が多いって羨ましいです」 「どうして?」 「だって、兄弟の方が親よりも長い時間を一緒に過ごせるじゃないですか。人生六十年として、三十歳で母が私を産んだなら、そのあと三十年しか一緒に過ごせないです。でも例えば三歳差の姉とかがいれば、一緒に五十七年も一緒に過ごせるじゃないですか」 「単純計算だね。五十七年も一緒に居なきゃいけないなら尚更、友好的な人間関係を築けなかったときが辛いっていうのに。それなら、一期一会の他人の方がよっぽどマシだよ」 「家族なら、友好的なものなんじゃないですか?」 「甘いねぇ。家族だからこそ、簡単には許せないことっていうのがあるんだよ。他人なら、簡単に許せるようなことでもね」 「先生のお家は、あんまり仲良くないんですか?」  狭いタクシーの車内で、長身の先生は窮屈そうに膝を抱えています。  あまりかけ慣れていないのか、レンズの入っていない銀縁眼鏡の鼻当てに時々触れて、位置の調節に余念がありません。  私の問いかけに対して先生は一度口を開きましたが、すぐに閉じてから少しの間をとって言いました。 「……人並み、かな。でも、香住くんの言葉を聞いてちょっと考えが変わったよ。今度、久しぶりに連絡でもとってみようかなぁ」  どうやら、あまり良いとは言えないようです。  なんだかもう、この内容には触れない方がいいような気がしたので、私は違う話題を考えます。  新見先生だったらズケズケと聞いてくるのかもしれませんが、私はとてもそんなことはできません。ええと、別の話題別の話題……。 「………」  でも、思いつきません。  あれ? いつも、どんなふうに話をしていましたっけ……?  目的地まで、あと少し時間があります。  沈黙は嫌いではないのですが、想像するとなかなかしんどそうです。 「ねえ、香住くん」  話題を吟味していると、新見先生の方から話しかけてくれました。 「前回、患者さんに聞いたんだけど……キャクドウジってなに?」 「キャク……?」 「えっと、三脚のキャクに子供って意味の童子って書くみたいなんだけど」 「新見先生、知らないんですか? このあたりじゃ有名ですし、先生なら好きそうな話なのに」 「昔はそういう話に疎くてね。眼科医になってからアヤカシに興味をもったんだ」 「そういうことなら……」  私は自分が知っている限りの脚童子像を伝えます。  大して害を与えるわけではないけれど、できれば遭遇しないことに越したことはないという認識であること。  四本脚で真夜中、道を這い回る姿であること。  新見先生は私が説明する間、適度に相づちを打ちながら聞いてくれました。 「でも、どうもこの辺りだけに伝わる妖怪みたいですね」 「いや、それはどうだろう。河童だって、地域を変えればカワタロウとかメドチとかカワランべとか言われていたんだし、もしかしたら同一のモノを違う名前で呼んでいるだけかもしれないよ」 「……先生、詳しいじゃないですか。やっぱりアヤカシがお好きなんですね」 「これぐらい、一般常識だよ。その証拠に、僕はキャクドウジを知らなかっただろう? 本当に妖怪好きなら、そういうマイナーな存在こそカバーしているものだよ。今から行く赤種村の患者さんに聞いて、初めて知ったんだ」 「赤種村は辛うじてH市ですからね」 「そうだね。それに……最近、その、なんだっけ……」 「脚童子」 「そうそう。馴染みのないネーミングだからつい忘れてしまうよ。その、脚童子をね、見たって言う患者さんがいるんだ」 「見た? 実物を、ですか?」 「うん。それも、最近ね。もともと赤種村で診る予定だった患者さんなんだけど、仕事で青ヶ森にきたからついでに見てくれって言うから予約外で診たんだ。そしたら、自分は赤種村で夜な夜な脚童子を見る、あの村にはなにかある……って」 「なにかって、なんですか?」 「それを今から調べるんじゃないか」 「調べるって言っても……」  私は窓の外に目を向けました。  車が電信柱をひとつ見送るたびに、人影が確実に少なくなって、人の手の加えられていない自然が増えてきます。ザ・田舎! というこの光景のどこに、調べることがあるのでしょう。 「あ。着いたよ」  気がついたら、目的に到着していました。  さっさと一人でタクシーを降りてしまった新見先生を追って、私も慌てて降ります。  タクシー代は病院が出してくれるので、精算はしません。  無口なドライバーは赤種村出身らしいので、診察が終わったらまた乗せてくれるでしょう。  私はいつもの癖で会釈と感謝の言葉を述べましたが、今日も反応はありませんでした。 「あやかしあばき、はじめようか」  ようやく良いポジションが見つかったのか、新見先生は銀縁メガネをいじるのをやめて私にウインクしました。 「いいですけど、先に診察してからですよ」  今にもどこかにフラフラ去ってしまいそうな先生の腕を引っ張りながら、臨時の診療所へと向かいます。 「香住くん、分かってる、分かってるから」 ***  赤種村は検査機械も少なくて、できる検査も限られているのですが患者さんの数も圧倒的に少ないので、一人一人しっかり時間をとって診察ができます。  こんな状態で眼科を常設しても、きっと採算がとれないのでしょう。  こうやって、必要なときだけ外部の医者を呼ぶと言うことは賢い事なのかもしれません。 「あー、終わった」 「どうぞ」  診察室ではないので、いつもの気の抜けたコーヒーは提供できません。  なので、自販機であらかじめ買っておいた缶コーヒーを差し出しました。 「ありがとう。……ぬるいんだけど」 「だって、自動販売機まで10分ぐらいかかるので」  『あたたかい』を買っても、鮮度そのまま……とはいかないのです。 「先生、猫舌でしょう?」 「よく知ってるね。強いて言うなら、今度は無糖でお願いして良いかな」  私はコーヒーにあまり興味がないので、適当にボタンを押して購入をしたのですがよく見たら『甘口』と書いてありました。 「すいません。次から気をつけます」 「うん、頼むね」  先生の意識はもう完全に診察後のカルテ整理へと向かってしまっているのですが、一応謝罪は伝えることにしました。 「へぇ……。ふーん……これはこれは」  前任のおじいちゃん先生が記したカルテを見ながら、先生は意味ありげなことばかり呟きます。  でもよくあることなので、放っておいて帰り支度をはじめました。 「香住くん」 「はい」 「世界の失明原因の第一位って、なにか知っている?」 「はい?」  脈絡のない質問に、思わず間抜けな声が出てしまいます。  私は学生時代の記憶を必死にたどりますが、なかなか答えは出てきません。 「なんでしょう……虚血性心疾患ですか?」 「それは死亡原因でしょ。失明の方だよ」 「ええと……」  なんでしょう。  失明、と言われると以前、先生が『僕はいつか失明する』と言っていたことを思い出してドキリとしてしまいますが、本人がケロッとしているのできっと今回はそういう話ではないのでしょう。 「世界、ですよね」 「そう、世界。ちなみに、世界の失明原因一位と日本の失明原因一位は違うよ? 日本は医療が発達しているからね。世界はまだまだ、眼科の発達が未熟な地域が多いんだよ。とある国なんか、人工ウン万人に対して眼科医が10人しかいなかったりするからね。そりゃあ、それが原因で失明するよ〜って感じ」  さて、ここまでヒントをあげたんだから分かるよね?と言いたげに新見先生は微笑みますが、私にはさっぱり分かりません。そもそも、記憶していなかったのかもしれません。  恥ずかしながら、世界の死亡原因一位は看護師試験に出ても、世界の失明原因一位はでなかったので。 「すいません。勉強不足で、わかりません」 「香住くんはそういう時、とっても潔いよね」 「知ったかぶりしても、しかたないじゃないですか」 「そうだね、うん。それじゃあ」  新見先生はいつの間にか飲み干した缶コーヒーの空き缶を私に押しつけて、診察室を出ました。 「今日は泊まろうか、赤種村に」 「は?」 「明日は休診だから、ちょうど良いだろう?」 「え? あの……」 「明日というすばらしい休日に、なにか予定があるのかな?」 「ない……です、けど」 「僕もない。いやあ、独り身は辛いよねぇ」  その台詞は、私にとっても深く突き刺さるんですが。 「知りたくない? 世界の失明原因第一位と、脚童子の正体」 「そのふたつ、繋がっているんですか?」 「たぶんね。そういう訳だから、タクシーの運転手さんに明日の朝、迎えに来てくれるようお願いしておいてくれる?」 「どうして私が」 「だって、香住くんが連絡先を知っているだろう?」  どうして、という言葉には何故いきなり先生と宿泊することになったのかという意味も込めたつもりでしたが、伝わりませんでした。  例の無口な運転手さんに事の次第を説明すると、宿泊施設を紹介してくれました。  無口だと思っていましたが、どうも『病院の先生』という肩書きに緊張していただけだったらしく、意外と気さくに話してくれたので助かりました。 「じゃあ、行こうか」  もう少し説明をしてほしいのですが、きっと今は何を言っても無駄です。  先生と出会ってしばらく経ちましたが、私にもそれぐらいは分かります。 「はい」  せめてもの抵抗に、小さくひとつだけため息をついて私は先生の背中を追いかけました。 *** 「……なにもないなぁ」  時刻は午後十一時。  紹介された宿泊施設の玄関ホールに備え付けの自動販売機は、二列全てが同じメーカーのミネラルウォーターでした。  お酒を嗜みたいわけではないので別にいいのですが、ここまで全てが同じモノだと、いっそ潔く『水自動販売機』と改名するのはどうでしょうか。 「お水ばっかりだね」 「新見先生」  背中から聞き慣れた声がふってきたので振り返ると、見慣れない浴衣姿の先生がいました。 「もうお風呂に入ったんですか?」 「うん。香住くんは?」 「私はまだです。就寝前に入る習慣なので」 「そっか。キミを探していたんだよ」  湯上がりの状態だと、いつもあちこちに跳ねている髪も流石に大人しいです。何故か、まだ伊達メガネをかけています。   「私を?」 「宴会場とやらは、どうも苦手でね」  どうやら、出張医師として赤種村のみなさまにもてなされていたようです。   私は丁重に辞退したのですが、でも先生のマイペースさではきっと得意ではないだろうなぁと思っていたのが的中しました。 「先生、どうして泊まろうなんて言い出したんですか?」  はぁ、と聞こえるようにため息をついて私は返します。  軽々しく「泊まろうか」なんて言ってくれますが、こちらは一応女性として色々と支度や予定があるんです。  ……まぁ、明日は家で一人分の洗濯と掃除とご飯の作り置きをするだけでしたから、予定なんてあってないようなものです。  独り身なのは私も同じですから。 「月に一度だけの出張だけでは、解決できない問題があるからさ」 「それ、今日で解決するんですか?」 「ん〜、それはどうだろう。まあ、もしも解決できなかったら、また来月も泊まればいいだけの話だよ」 「簡単に言ってくれますね」 「だって、簡単な話だから」  どういうことですか?と口を開きかけたところで、玄関ホールに朝お世話になったタクシードライバーの男性がひどく怯えた様子で転がり込んできました。  いつもの仏頂面はどこへやら、恐怖にゆがんだ顔でガタガタ震えています。 「どうしたんですか!?」 「み、みみみ、見た……」 「見た? 何をですか?」  膝を折ったまま立ち上がれないでいる様子の彼に寄りそって話を聞くうちに、どうやら例の『脚童子』を夜道で見た、ということが分かりました。  最初は見間違いかと思って無視していたけれど、光る目が自分を捉えたとき、すごい早さで近寄ってきたから慌てて逃げてきた、ということです。 「その存在、どんな見た目をしてましたか?」  新見先生もしゃがみ込んで、やさしく男性に聞きます。 「あ、アレはたしかに脚童子だった……。手足を蜘蛛みたいに曲げて、四つん這いで草むらに居て……ああ、でもひとつだけ」 「ひとつだけ?」 「童子、というほど子供ではなかったような気がする。もっと、年をとった老人のような……」 「わかりました」  新見先生はそれだけ聞くと、サッと立ち上がりました。  騒ぎを聞きつけた従業員や村人たちが、わらわらと玄関ホールに集まってきます。  その人たちに男性の介抱をお願いしていると、また外で悲鳴が聞こえました。  みんなの足が、一瞬すくんだのが分かります。  でも、もし怪我人が出たのなら急いで処置をしなければ、という思いで私も立ち上がって暗闇の広がる屋外へと駆け出しました。 「待って!」  急いで玄関を抜けようとしたら、大きな声で先生に呼び止められました。  それと同時に、手首に強い痛み。 「……え?」 「あ……」  いつも飄々としている先生の大きな声なんて聞いたことがなかったのと、思いがけず強い男性の力で手首を掴まれたことの両方に驚いて目を丸くしていると、先生はハッとしたように私から手を離しました。  勢いよく動いたせいか、かけていた伊達メガネもどこかに飛んでしまっています。 「あー……と、ごめんね。その……」  驚いている私と同じぐらい、先生も困惑している様子でした。  慣れた人間に対してはペラペラとよくまわる口なのに、どうも言葉を探しあぐねているらしく頭をガシガシとかき回しています。 「いえ、いいんですが……」 「あのね。……急に走り出すと危ないよ、って。それだけ……」  先生は決まり悪そうにそう言って、懐から懐中電灯を取り出しました。  その場でスイッチをいれて、玄関から先の暗い夜道を照らします。 「暗いところ、こわいでしょ?」 「いいえ? 私は別に」  唐突に与えられた眩しさに、私は思わず目を細めてしまいますが先生は平然としています。 「じゃあ、僕がこわいから。……一緒にいこう?」  ね? と言われればもう断る理由もありませんので、二人で連れ立って悲鳴の聞こえた方向へ歩き出しました。 「先生。暗いところ、こわいんですか?」 「まぁね。年々、こわくなるよ。歳はとりたくないよねぇ〜」 「昔は平気だったんですか?」 「若い頃、何も知らなかった時はね」 「それは幽霊的な意味ですか?」 「違うよ。……病気的な、意味で」  頼りなくちらついている街灯が数メートルごとにあるだけの夜道は、暗所恐怖症の方にとっては確かにこわいのでしょう。  ですが、私の脇にぴったりとついて肘の辺りに手を添えている先生は、なんだかいつもと違います。  普段と見た目が違うのもありますが、それよりもっと……なにかが。 「あ、いたいた」  私が先生に感じた違和感の正体を掴みそこねている間に、先生は例の脚童子と見つけたみたいでした。  まるで見つけて当たり前、みたいに言うので思わずふつうに視線を向けてしまいましたが、そこには話に聞く通りの脚童子がいました。  地面に這い蹲る姿。  折り畳んだ手足。  暗闇で光る両目。  骨ばった手の甲。  振り乱した白髪。  ぼろぼろの爪。  荒い息づかい。    思わず叫び声を上げてしまいそうになってしまいましたが、先生はスッと私から離れて、ソレに近づきます。  そして、先ほどタクシードライバーの方にかけた声色と同じやさしさで言いました。 「どうされましたか? おじいちゃん」 *** 「白内障?」  脚童子騒動から一夜明け、臨時の診察室で自分宛の紹介状を書きながら新見先生はやっと説明してくれました。 「そう。誰でもなる病気でね。目の中の水晶体と呼ばれるレンズの部分が白くなって、視力が落ちるんだ。60歳ごろになると約半数以上がその症状を訴えることから、加齢が……年齢を重ねることが一因じゃないかとも言われているよ。でも、若い人にも発生したり生まれつき濁っていることもあるから、確かな原因は未だ不明なんだ」 「こわいですね」 「そんなことないよ? 今の日本では、白内障はほぼ治る病気だし、入院しなくても日帰りで終わる。濁ったレンズを砕いて取り除いて、新しい人工レンズを入れればいいだけなんだから。成功率も、かなり高いよ。……でも、ある程度の医療技術がないと、それは叶わない。やり方も確実性も確立してるのに、設備がないと言うだけの理由で手術が受けられなくて、光を失ってしまう患者さんも数多くいるんだ。その最たる例が、白内障が世界の失明原因の第一位、っていうこと」 「あれ、白内障だったんですか」 「そう。ドクターにもよるけど……人によっては10分〜20分で終わる手術で失明状態になるなんて、世界における医療格差を感じてしまうよね。とある病院では、青年海外協力隊と力を合わせて定期的に海外で白内障手術を行うボランティアもしているみたいだけど……それだけでどうこうできるほど根の浅い問題じゃないし」 「手術しないと、治らないんですか?」 「そうだねぇ……ホラ、卵の白身ってあるでしょ? あれ、生卵の状態だと透明だけど、ゆで卵にすると冷やしても透明にはならないよね? そういうこと」 「人の目には卵が……?」 「違う違う。そういう意味じゃなくて、それぐらい不可能だってこと」 「でも確か、患者さんから白内障を予防する目薬を使っているって話も聞いたことがあります」 「それは、難しい問題だね……。いろんな考えがあるから僕からは断言できないけど……一つ言えるのは、レーシックと同じでさ、それが本当に安心安全確実なら白内障はとっくに世界ランク一位から転落してますよね、ってこと」 「……じゃあ、どうして脚童子が白内障患者だって分かったんですか?」 「はじめに聞いたときから、症状からして白内障みたいだと思っていたんだけど、カルテを整理している時に、前回受診日がずいぶんと昔の脚童子候補がいるなぁと思ったんだ」   よし、書けた。と言って先生は自分宛の紹介状を私に差し出しました。 「どうせ先生が手術するのに、どうして自分宛の紹介状を書くんですか?」 「それは僕が、病院勤めの会社員だからさ。手続きの面で必要なんだよ。コレ、脚童子さんに渡しておいて」 「その言い方、やめてください。あの方は室井さんですよ」 「香住くんだって、こわがっていたくせに」 「だ、だってそれは……」  暗闇で四つん這いで這い蹲って移動するナニカを見れば、誰だって驚くと思うのですが……。 「まあ、あそこまで放置しておくのは珍しいけどね」  室井さんは赤種村に住む高齢の男性で、一人暮らしでした。  子供も伴侶も親族も近くにいないので、じわじわと進行する白内障に気がつかず、ましてやソレが治る病気だとも知らなかったのです。  ただじっと、一人で失われゆく視力をみつめていたことになります。 「昼盲といってね。水晶体と呼ばれる目の中のレンズが濁ることによる光の乱反射と、濁りの度合いによって白内障患者は明るいところで見えにくいという症状を訴えるんだ。明るいところは見えにくい、じゃあ夜中に出歩こう。でも見えないから視線を下げるうちに、四つん這いになってしまったんだろうね。それに、白内障は進行すれば外から見ても白くなるから、それで光って見えたんだろう」 「室井さん、誰か気がついてくれなかったんですかね」 「元々社交的なタイプじゃなかったみたいだし、身内が近くにいないなら気がつかなくても無理はないよ」 「でも、家族じゃないですか。様子が気になる、とかないんですかねぇ?」 「自分が病気になるはずがないという思いこみがあるように、自分の親もまた病気になるはずがないという思いこみがあるのさ」 「思いこみ……ですか」  家族を早くに亡くしている私にはそんな思いこみはないのですが、世間ではそうなんでしょう。 「ま、これで今回のアヤカシは解決ということさ」  先生は伊達メガネをはずして机に置きました。 「そのメガネ、無事に見つかったんですね」 「うん。村の人が見つけてくれたんだ」  少しフレームが歪んでいる気もしますが、まだ立派にメガネとして使えそうです。 「よかったですね。……でも、あの時はいったいどうしたんですか? いつもの新見先生らしくなかったですよ」  夜の玄関ホールで、夜道に駆け出そうとした私をいつにない真剣さで引き留めた出来事を思い出します。 「あの時に掴まれた手首、まだ痛いんですけど」 「それは悪かったよ……」 「でも、なにか理由があってのことなんですよね。たぶん、私のことが心配で……」 「いいや? 僕が怖かっただけさ」 「………」  頑張っていい方向に持って行こうとしているのに、なんでこの人は……。 「先生って、暗所恐怖症なんですか?」 「昔は違うよ。でも、病気の影響で暗いところがこわくなったんだ」 「病気……、ですか」  新見先生の病気。  いつか、みえなくなる病気。  それが何なのか、まだ私には分かりません。  いくつかヒントはあるのですが、数多ある病名の中からたったひとつを探し出すなんて、やっぱり専門医でないと不可能です。  それでも、先生が「当てて欲しい」と言うのなら、私は当ててあげたいと思います。いつでも終わる可能性のある人生が、続いている間に。 「……先生」 「ん?」  先生の病気について色々考えを巡らしていると、神宮先生との会話を思い出しました。 「この病名当てゲーム、なにが賭かっているんですか?」 「え?」 「神宮先生に言われたんです。ゲームなら何かを賭けるべきだって」 「神宮か……アイツの言いそうなことだね」  神宮先生のことなら、幼なじみで付き合いの長い新見先生の方が良く知っているはずです。神宮先生の豪快なガハハ笑いが頭に浮かびました。きっと新見先生の頭の中も同じでしょう。 「でもまぁ、確かにその通りだ。どうする? なにか欲しいものでもある?」 「ないです」 「即答だなぁ」 「私は今の生活に満足していますから」 「慎ましいね」 「今が、幸福すぎるぐらいなんです。五体満足で、仕事があって、家もあって、それで健康だなんて」  この全てが揃っている人間は、家族の中では私だけです。すばらしいことです。他に何を望むというのでしょうか。 「……それじゃあ、衣食住のうち僕が一番提供できるものをあげよう」 「新見先生、センスが独特なので洋服はちょっと……」 「衣服はチョイスしないよ!? 食事の方だって。僕のなけなしの医者パワーで、なにか美味しいものでも食べさせてあげるよ。まぁ、香住くんは食事の方も興味なさそうだけど」 「そうですね……瑠衣子からは味音痴だって良く言われます」 「じゃ、違うものの方がいい?」 「ん〜……、特に思いつかないので、とりあえず食事で」 「了解だよ」 「私、マツタケが好きなのでよろしくお願いします」 「味音痴のくせにすごいところをチョイスするね……」 「味が分からなくても、薫りは分かるので」 「そんな判断基準なんだ……」  新見先生と話していると、診察中だけじゃ分からない色んな表情を見せてくれるから面白いです。もっと、違う一面を見てみたいと思います。 「先生は、何が欲しいですか? まぁ、私が差し上げられるものなんて少ないですけど」 「僕も香住くんと一緒で、欲しいモノはあまりないんだよね。止められるもんなら病気の進行を止めてもらいたいけど、叶わぬ願いだし」 「……先生って、それでいいんですか?」 「え?」 「その……先生だったら、治療法が見つかるまで粘りそうなのに。どうして自分のことになるとそんなに……」  もし先生と同じ病気の人が先生の患者さんなら、きっとわずかな可能性にだって縋りそうなものなのに。そんなに、治療は絶望的なんでしょうか。 「……ラクスターナ」 「何の名前ですか?」  聞いたことのない言葉です。薬でしょうか。 「僕の病気の、治療薬だよ。遺伝子治療の薬」 「あるじゃないですか! 薬!」  今までの態度は、思わせぶりだったのかと思わず敬語が飛んでしまいます。 「でも、これは高額で取引されている上に海外でしか認可されていないんだ」 「どれくらい、するんですか?」 「両目で約9600万円。でも、まだ臨床データが足りなくて副作用も未知数。とてもじゃないけど、使う気にはなれないよ。失明を早めるだけになるかもしれないからね」 「そう、なんですか……」  治療法が目の前にあるかもしれないのに、掴めないというのはどんな気持ちなんでしょう。伊達メガネをはずしていつものボサボサ頭をふわふわさせている先生を見ているだけでは、その気持ちは測り知れません。 「……あ、治療薬なんて言ったら、検索しちゃいますけど良いんですか?」 「それもそうか……。じゃあさっきの部分はカットしといて」 「無理、ですね……残念ながら……」 「そうか……誠に遺憾だね……」 「ええ……」  そんなふうにふざけ合いながらチラリと時計を見ると、そろそろタクシーをお願いした時間が迫っていました。  まとめてあった荷物をタクシーに積み込んで、赤種村に別れを告げます。 「先生、昨日はありがとうございました」 「いえ」  昨夜、脚童子=室井さんを見て腰を抜かしていたタクシードライバーの男性は、今日も運転を引き受けてくれました。  医師としての先生と接したせいか、昨日よりも口数が多いです。 「てっきり、脚童子なんていうから子供なのかと思っておったが、まさか老人だったとは」 「……伝説の元になったのは、やっぱり子供だったと思いますよ」 「先生、それはどういうことで?」 「何らかの理由で視覚障害を煩った子供が、夜間に徘徊したんでしょう。視線を地面に近づけて、どうにか帰り道を探そうとしていたところをヒトに見つかり、勝手に伝説だけが広がっていった……と考えます」 「はぁ……それはまた、俺たちは薄情なことをしてしまいましたな」 「妖怪の大半は、ヒトの薄情さで生きているようなものですよ」 「へぇ! そりゃあすげえや。それじゃあ……」  先生とドライバーさんの話が盛り上がってきたので、私はぼんやりと流れていく外の景色を見つめます。昨日の夜、縋りつくように掴まれた手首の痛みを思い出していました。  新見先生、どうしてあんなに……必死だったんでしょう。  病気のことがあるとはいえ、どうして私に縋ったのでしょう。  だって先生は、たぶん独りでも生きていけるお人なのに……。  そして、どうして私はその時ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ嬉しかったのでしょう。  先生に、求められているような気がしたから?  看護師としてだけではなく、私個人として。  いや、なぜそれがうれしいのか……わかりません。  私のこの気持ちも、アヤカシのせいなのでしょうか。  それなら、いつか先生に暴いてもらいたいです。 ***  後日、病院を訪れた脚童子こと室井さんはご家族と一緒でした。  遠方からわざわざ駆けつけたお子さんの傍で、室井さんは口数は少ないですが赤種村で見るときもよっぽど穏やかな表情をしています。 「先生、親父は見えるようになりますか?」  不安そうに訪ねるお子さん(と、いってもすでに40代の男性ですが)に、新見先生はお得意の外面スマイルで言います。 「手は尽くしましょう。いつか、見えなくなる日まで」
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