第8診 声なき魔物のSOS

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第8診 声なき魔物のSOS

 見慣れた職場である病院ですが、個室の天井なんて見たことなかったなぁ、と思います。  ちょっとでも頭をズラすと傷に障ってとても痛いので、出来るだけなにも考えないように努めながらボンヤリします。  頑張ってなにも考えないようにするって、なんだか矛盾していますね。 「香住くん」  もう今日の診察時間が終わったのでしょうか。  扉が開く音がして、見知ったお顔が見えました。  身体を起こして出迎えたいのはやまやまでしたが、今は肩も腕もどうにも言うことを聞いてくれないので寝ころんだまま失礼します。 「具合はどうかな?」  新見先生が私をのぞき込みました。  気合いをいれる時に使う伊達メガネをかけたままです。診察は終わっているのに、うっかり忘れてしまったのでしょうか。  メガネをかけた先生を見ると、以前ご一緒した赤種村の怪事件を思い出します。 「キミがなかなか意識を取り戻さないものだから、脳外科のドクターとすっかり仲良くなってしまったよ」  そうですか、それはよかったですね。  意識は浮かんだり沈んだりしているので、運が良ければこうして外の音も聞けます。  患者さんって、こんな気持ちだったんですね……。 「手術は成功しているはずなんだ。仕事は古川原先生と山之内くんが手伝いに来てくれて、なんとか僕一人でもやっていけているから心配しないでね。でも、香住くんがやってくれていた諸々の連絡を全部一人でするのは大変だよ。病院の皆に助けてもらいながら、なんとかやってる」  そうでしょう、大変なんです。  でも、新見先生の良さを皆が分かってくれる良い機会になると思いますよ。 「ねぇ、香住くん」  はい。 「早く、目を覚まして欲しいな」  そのつもりなんですけどね。 「……キミがいないと、僕はさみしいよ」  私も、寝てばかりはもう飽きました。  また先生と一緒に働きたいです。 「ごめんね……」  どうして謝るのですか?  私は先生のあやかしあばきのおかげで一命を取り留めたようなものなのに。  頭を動かせないので視界が極端に狭いです。  おまけに黒目も動かせないので、隣に座っているはずの先生のお顔が見えません。  どんな表情をしているのでしょう。  患者さんに向けての外面スマイルか、廊下を歩くときの半分眼を閉じた眠そうなお顔か、それとも猫と戯れる時のようなふぬけた表情か……それとも、私のまだ知らない新見先生か。  教えて欲しいです。  段々、声が震えていくのも気になります。  すぐに起きあがって「どうしたんですか?」って笑ってあげたい。  でも、私自身のそんな気持ちとは裏腹に意識は段々沈んでしまいました。  あぁ、まだ先生が何か言っているのに……。 *** 「香住くん……落ち着いて聞いてね」   診察時間の合間を使って、先生が私の視野を測ってくれました。  前々から「視野が狭い」と言われていたのですが自分ではあまり気にしたこともありません。確かに、両側から来たモノに気づきにくいという心当たりはあります。でも、ただボーッとしているせいだと思って特に気にしていなかったのです。  最初は軽口を叩きながら検査していた先生が、段々口数が少なくなり、結果が出る頃にはいつになく真剣な表情になっていました。  「これが結果なんだけど」  検査を終えて、患者さんにするように診察室で二人向かい合います。  先生が示した検査用紙は二枚でした。  両方とも、片側半分が真っ黒です。 「こっちが右目、こっちが左目。まぁその区別にあまり意味はないね。重要なのは、両眼とも外側が見えない両耳側半盲を示しているってこと」 「りょうじそく、はんもう、ですか」  初めて聞く言葉ではありますが、先生の表情からそれが芳しくないということだけ分かります。 「そう。これはね、主に脳腫瘍に現れる視野なんだ」 「……脳腫瘍、ですか」  先生の言葉をオウム返しにしていまいます。  癌家系だから、自分もきっと短命だろうと常々思っていましたが、いざこうして病名を突きつけられるとうまく反応ができないんだということを知りました。  昔、病名を宣告された時の兄も確かやけに冷静に見えましたが……こんな心境だったのかもしれません。 「でもね、心配しないで。両耳側半盲は脳腫瘍の中でも脳下垂体腫瘍にみられる症状でね、ほとんどが良性腫瘍で大人しいはずなんだ。放っておいても大丈夫な場合もあるし、薬物治療もできる。たとえ手術になったとしても頭を開かずに鼻から処置できるし、腫瘍を取り除けば視野の回復も早い。手術の後は二週間前後で退院することができるよ」 「そうですか。それじゃあ……」  あやかしあばきの時のように、スラスラと頼もしく病理を説明してくれるので私も段々頭が追いついてきました。  そうですね、いたずらに怖がるだけなんていけません。  仮にも医療従事者なんですし、きちんと現実を見て……。 「……でも、それでも全体の0.2パーセントは悪性なんだ」  険しい表情のままの先生が、殊更に眼を伏せました。  先生の長い睫毛が作る影の深さが、事態の深刻さを表しているようです。 「い、いや……それってかなり低い可能性じゃないですか。自覚症状もほとんどないですし、CTで詳しく調べてもらいますから……」 「可能性の問題じゃ、ないよ……」  新見先生が自分のこめかみを抑えます。  私の検査で疲れてしまったのでしょうか。 「ごめんね、香住くん」 「どうして謝るんですか……先生のおかげで、また病気が見つかったんですよ? あ、でも妖しい訴えをしてあげらなくてなんだかすいません……」  予想以上に落ち込んでしまった先生をなんとか元気づけたくて、わざとおどけるように言ってみました。  でも、先生はピクリとも笑ってくれません。  その代わり、先生の細くて長い指が私の手の甲にソッと触れました。  決して不快ではないのですが、いきなりのことで身体が固まってしまいます。 「自分の手の届く範囲の患者さんは全力で助けたいって、思ってたのに……」 「ちゃんと、助けてもらってますよ。大丈夫です。まだ間に合います」 「僕が一番近くにいたのに……予兆はあったのに……」 「もぅ、なんですか。良性である場合が多いんでしょ? まるで私が重症であってほしいみたいに聞こえますよ」  早くいつもの先生に戻ってもらいたくてそんなことを言ったら、添えられるだけだった手をギュッと握られました。 「そんなこと、思うはずが、ないじゃないか……」  硬い手の中に包み込まれていると、なんだかとっても気恥ずかしく感じます。でも、ふりほどきたいとか、そんなことは思いません。  見慣れているはずの先生の童顔ですが、苦しそうに眉を顰めて今にも泣き出しそうな姿は私も見ていて悲しくなってしまいます。  痛いぐらい握り込まれても、離して下さいと言えません。離して欲しいとは思いません。  こんなにも私のことを強く想って心配してくれる他人なんて、私の人生を見渡してみても片手で容易に数えられます。  先生を、数少ない指のひとつに数えてもいいのでしょうか。  私は、大事な人を増やしてもいいのでしょうか。  ……いえ、誰に聞いているのでしょう。  答えはもっとずっと昔から、決まっていたのに。  遺される相手を哀れむつもりで、いつまでも遺された自分を哀れむなんてやめましょう。もう、やめてもいいでしょう。  たとえ遺すことになってしまっても、独りでも歩けるようなあたたかい記憶をたくさん、遺して逝けばいいだけです。  兄が、私にしてくれたように。  私はずっと、自分自身に問いかけていたようです。  だから、答えるのも私です。  自分で決めたことだから、どんな結末になってもきっと受け入れられると思います。 「先生、見つけてくれてありがとうございました」  私の手を握る、先生の骨ばった甲に触れました。  そこでようやく、先生は自分がどれだけ強い力で握っていたのか気づいたらしく私から離れようとします。  でも、私は逃げていく先生の手を押さえて離しません。  ちょっとの抵抗の後、先生は大人しくなりました。  私たちは狭い診察室の中で、真剣な顔で手なんか握りあっています。  あぁ、これが神宮先生が言っていた『映ゆい』ってことでしょうか。  午後の日差しはキツくなんてないのに、目を開けていられないほど先生が眩しく見えます。  相手の顔が面映ゆく見えるときは……。 「私のこと、心配ですか?」 「当たり前だよ、そんなの」 「私がいなくなったら、さみしいですか?」 「……言わせないでよ、そんなこと」  少々バツが悪そうに先生が言います。  私は脳腫瘍への不安を全部押し殺した、出来うる限りの嬉しそうな笑みを作ります。作る……というよりも自然と出来上がった、と言った方がいいかもしれません。  それだけ、今まで自分の中にはなかったような不思議な感覚です。  先生に心配をかけたくないのに、先生に心配されて嬉しいなんて。  瑠衣子がやたらと『人を好きになった方が良い』と言っていたのはこの不思議な感覚がどうにも心地良いと知っていたからなのでしょう。 「私、詳しい検査してきますね。とりあえず、次のお休みにでも……」 「ダメだよ」 「えっ?」 「そんなの遅すぎる。僕が許可するから、今すぐ行くんだ」  いつになく語気を強めて先生は言います。  名残惜しそうに繋いだ手を離して、ポケットからPHSを取り出したかと思うと脳外科への番号をプッシュしました。  そのまま、短い言葉で予約を終えて「今から、お願いしたから」なんて言います。 「い、今ですか?」  もうすぐ午後の診察がはじまります。  ここは私と先生だけの眼科なので、私が抜けたら先生がひとりぼっちになってしまいます。それはとても心苦しいのですが……。 「大丈夫、僕は一人でもなんとかやるから」 「ですが……」 「お願いだよ、香住くん」  立ち上がった先生は、私に向けて手を伸ばしました。  「僕のことが好きなら、言うことを聞いてくれ」  別に好きじゃないです、とか。  勘違いも大概にしてください、とか。  ハイハイわかりました、とか。  先生と出会う前の私だったら、きっとそんなふうに言っていたでしょう。  でも、私はもう先生と出会う前の私には戻れないのです。 「……わかりました」  差し出された手を取って、私も立ち上がりました。  そのまま、脳外科へと歩みをすすめます。  私の返事が、新見先生にどんなふうに聞こえたのかは分かりません。  でも、笑って見送ってくれたのでおそらく悪いようにはとらえられなかったのでしう。 *** 「…それはまた、急な話だったな」  一人きりの診察を終えて、すぐに帰ることが出来ず診察室でくたばっていたら神宮が顔を出した。  僕の口から聞かなくても、噂として大体の事情は把握しているだろうに神宮は僕本人から聞きたがるので仕方なく話したけれど、妙にニヤニヤしているから気分は良くない。 「事情は分かっただろ? 悪いけど、疲れているんだ……」 「家まで送っていってやろうか?」 「頼めるか?」 「当然」  助かった、と思う。  知らず知らずのうちに、香住くんに頼っていたんだと思い知らされる午後だった。  診察のほかに、やるべきことが多すぎる。  でも香住くんらしく、どの手順もきっちりメモとマニュアルがついていたのでなんとかこなすことが出来た。  自分のペースで診察できないのはストレスだけれど、香住くんが帰ってくるまでは我慢しよう。  頼めば、たぶん臨時の看護師を派遣してくれると思う。でも、できればそれはしたくない。  まだ、彼女と一緒に働きたいから 「莉亜ちゃんの結果はどうだって?」 「まだ分からないよ。でも、今日はもう帰した」 「そっか。ウチの瑠衣子ちゃんがやたらと気にしてたからさぁ……」 「心配だろうね。友達なら」 「三ちゃんは、心配?」 「……その呼び方、いい加減やめてくれって」 「いいだろ、誰も居ないんだから」  車を出してくれる、と言ったくせに神宮はどこからか椅子を引っ張り出してきて僕の近くに座った。  青ヶ森総合病院では神宮の方がずいぶん先輩だから、いろいろと勝手を知っているんだろう。 「……心配に決まってるよ。当たり前だろ?」 「同僚だから?」 「そうだよ」 「それ以上のこと、思ってない?」 「………」  思ってない、と言えば嘘になる。 「彼女の代わりを頼まなかったんだって?」 「……今はまだ閑散期だから、僕一人でもさばけるんだ」 「莉亜ちゃんが戻ってきたとき、居場所を残してあげたかったんじゃないのか?」 「大げさな……。今日はただの検査だよ。明日にはきっと戻ってくる。たった一日だけ手伝いをお願いするなんて心苦しいし」  神宮は最近、そういうことばかりつついてきて困る。神宮のところの山之内さんとよく似ていると思う。  やたらと、僕に自覚させようとしてくる。まったく余計なお世話だと思う。  そんなことをしてくれなくても、僕はとっくに自覚している。  自分のペースを貫けるのは彼女が探しに来てくれるからだと知っているし、赤種村で暗闇に飛び込んでいく彼女を咄嗟に止めたのは、僕の手の届かないところに行ってしまいそうに感じて怖かったからだし、赤ゾンビの時に患者さんを強く制したのは、彼女が怯えているのがわかったからだ。  僕の病気を知っても態度を変えないのは、彼女自身にとって病が身近すぎたからだと知った時、少しだけ寂しそうにしていた横顔が忘れられない。   「そぉかぁ〜? ……でもまぁ、それは確かに明日には顔を見せてくれるといいな」 「前兆は前からあったんだ……。下垂体腫瘍は良性である可能性が高いからたぶん大丈夫だとは思うけど、でも、そんな問題じゃない……」  一番近くで手が届くはずだった人に、手が届かなかったことがひたすらに悔やまれる。これでもし、利亜くんの腫瘍が重篤なものだったら僕はいよいよ自分で自分を許せないかもしれない。 「医療を学んでいるからと言って、家族を救えるとは限りませんよ……か」 「なんだよ? その台詞は」 「莉亜ちゃんの台詞だ。ホラ、最初のあやかしあばきのことを話した時にな、そう言って俺のことを慰めてくれた」  神宮とは幼なじみで、小さい頃は僕と神宮と神宮の妹の三人で僕のじいちゃんの庭でよく遊んだ。  たまたま、僕が神宮の妹の奇妙な訴えと眼底の状況から白血病を見つけたのだ。それをじいちゃんが『あやかしあばき』と命名してくれたことがはじまりだ。「それは、お前にしかできないことだな」と言ってくれたのがうれしかった。  その頃には、針の穴程度の視界しかもたなくなっていたじいちゃんだけれど、僕は不幸だなんて思わない。病気のせいで、今まで生きてきた一生が一瞬にして灰になるわけじゃないということを、じいちゃんは身を持って教えてくれたから。 「慰め……?」 「そっ! だって俺、三ちゃんに勉強で負けたことなんてなかったのに、どうして三ちゃんが妹を救えたんだ? 俺の方が妹のずっと近くにいたのに、って。だけど、誰が見つけたとか見つけないとかそんな問題じゃないんだ。一人じゃ見つけられないことがあるからこそ、他人との繋がりを大事にしないといけないって……俺はそう思うよ」 「そんなこと、思ってたのかお前……」 「実はね。負けず嫌いだからな、俺は」  いつも大ざっぱにガハハと笑う姿しか知らなかった。  神宮はいつもの態度を全く崩さなかったけれど、そのことが余計に神宮が本気でずっとそんな想いを抱いていたんだと分かってしまう。 「医者は万能じゃないからさ。身近な人間を救えない時もあるって。ある程度病状が進行しないと気づけない疾患だってあるだろ」 「神宮に言われなくても分かってるよ」 「それじゃ、いつまでもそんな変な顔してるなよな」 「……変な顔って、なんだよ」 「今みたいな、ウジウジグズグズ気持ちわりー顔!」 「なっ……!」  あんまりな言いぐさに腰が浮いた。  でも、診察室の鏡に映った自分を見てしまってはそんな気持ちも萎んでしまう。  僕は浮いた腰を椅子に戻して、だらしなく座る神宮に背を向けた。 「おいおい三ちゃん、拗ねるなよ」 「拗ねてない」 「莉亜ちゃんなら大丈夫だって。病気のことも、お前のこともさ」 「簡単に言うな」  じいちゃんと古川原先生は、友人同士かつ主治医と患者の関係だった。  自分がじいちゃんと同じ病気だと知ったときは驚いたけれど、じいちゃんがおだやかに視力を失っていく様子を傍でずっと見てきたから、他人が想像するほどのショックは無かったように思う。  それでも、決して落ち込まなかったわけじゃない。  元・奥さんとの揉め事や、「見えなくなる眼科医なんて信用できない」という風潮にもホトホト疲れたのだ。  前の職場は大きな病院だったから、僕以外にもたくさんの眼科医がいた。  あやかしあばきだって捗ったのに、僕の病気が分かってからはみんな僕以外の眼科医に仕事を回すようになった。  眼科医が自分一人だけ、という状況はプレッシャーもあるけれど、定期的にキチンと検査すれば、という条件で普通に働き続けることを許可してくれた青ヶ森は正直気楽だ。  事情を院長に説明してくれた神宮にも、推薦してくれた古川原先生にも、本当に感謝している。  おかげで、まともに仕事をこなせるぐらいに精神状況は良くなった。  でも、それだけだ。  もう、僕の人生に他人を巻き込みたくない。  医師として他人と関わるのは良い。  僕にしか見つけられない病が一つでもあるならば、この目がいつか見えなくなる日まで力を尽くしたいと思う。  新見三太郎個人として他人と関わるのは怖い。  失明する僕は、いつか迷惑をかけてしまうことが分かり切っているから。  もう、傷つきたくないんだ。   「いいや、簡単に言わせてもらうぜ」 「他人事だと思って……」 「他人事だからよく分かるのさ。三ちゃんと莉亜ちゃんって、よく似てるからな」 「僕と、香住くんが?」  どう考えても、似ているとは思えない。  香住くんは、僕とは違う。  興味をそそられてちょっと振り返ったら、そのまま神宮に椅子を回された。 「二人とも、未来が悪いものだと思いこみ過ぎているんだ。三ちゃんの病気の進行速度は人それぞれだろ? 三ちゃんもまだまだ見えるかもしれないじゃん。莉亜ちゃんだって、今回脳腫瘍が見つかったけど……家族が短命だという理由だけで、自分も短命とは限らないだろ?」 「……気休めは止してくれよ。精神論で乗り切れる問題じゃない。僕の病気と、癌家系の遺伝確率なんて神宮が知らないはずが……」 「三ちゃん、ウジウジすんなって」  自分でも、泣き言を言っている自覚はあった。  もしも自分が患者なら、今頃内心で「困ったな、また堂々巡りだ」とでも思っただろう。  実際に自分が病気になると、患者側の気持ちがよく分かる。  だからこそ、僕は患者の些細な訴えを逃さないあやかしあばきを続けたいと思う。  でもそれは僕の『医師』としての側面で、『個人』となるとどうにも話しは別だ。  こんな情けない話、幼なじみの神宮にしか話せない。  同い年で、だけど僕とは対照的な見た目の友人は茶化すでも変に畏まるでもなく普段通りの口調で僕を諭した。 「先のことなんて、誰にも分からない。そうだろ?」 「………」  あぁ、これじゃまるっきり医師と患者じゃないか。  ていうか、僕が不安の強い患者さんに言っていることそのまんまだ。  まさか、言われる側に回るなんて思ってもみなかった。 「『こうなるに違いない』じゃなくて、『こうなったら良いのにな』って思っておいた方が、人生気楽だって」 「神宮……」 「俺の妹も、白血病だけど今のところ元気に写真家やってるし? お前が早期発見してくれたおかげだよ」  慣れ親しんだ愛嬌たっぷりの神宮の笑いが、今は心地良い。  いつか、香住くんに『外面スマイル』と評された笑みは実は神宮を参考にしていたのだけれど、やはり本家には敵わないな……。 「怖がるなよ、三ちゃん。お前の方が年上なんだから、ドンと構えてやらないといつまで経っても進展しないぜ〜?」 「……進展、させたくないわけじゃないよ」 「そうだろうなぁ。三ちゃんが自分の病気のことを他人に話すなんて、俺は本当にビックリしたぞ」 「う……」  自分の病気のことを身内や神宮以外に話したのは、青ヶ森に来てからは香住くんがはじめてだ。  誰にでも話すわけじゃない。 「でも、俺は嬉しかった。三ちゃんを青ヶ森に誘ったことは、間違いじゃなかったんだと思えた」  一緒に働きはじめて、香住くんにはなんだかいつも違和感があった。  しっかりして責任感も強い真面目で良い子なのに、何かが欠けているような。  その正体に気がついたのは、彼女が天涯孤独だと知った時だ。  別に、同情したわけじゃない。  かわいそうに思ったわけでもない。  自分の運命を『ただそこにあるもの』として受け入れている彼女に、惹かれたんだと思う。  今でこそ、僕も落ち着いているけれど最初はそれなりに荒れた。  自分にないものを持っている彼女が、なんだか眩しく見えたんだ。  その眩しさが、神宮に言わせれば『映ゆい』ということらしい。  この歳になって気恥ずかしいけれど、眩しいものは眩しいのだから仕方ない。  彼女が僕に興味をもってくれて、病名を当てることができたら……その時はこの気持ちにちゃんと向き合おう。そう思って提案した病名当てゲームだった。  我ながら、まどろっこしいと思う。  だって、香住くんに僕という重荷を背負わせたくない。  僕だって、もう傷つきたくはない、  なのに、どうしてまた手を伸ばそうとしているのだろう。  そして、どうして彼女は毎回僕の手を取ってくれるのだろう。  期待しちゃうよ、そんなのは。 「俺はな、三ちゃんが失明しても医者でなくなっても、三ちゃんの価値は変わらないと思ってるからな。そこは迷うなよ?」  神宮は最後に、僕が一番喜ぶような言葉をくれた。  こうやって他人が欲しい言葉を察することができるから、神宮はどこに行ってもうまくやれるのだろう。 「……ありがとう」  僕には神宮のような器用さはないけれど、なかなか諦めが悪いところがある。そのおかげで、見失いそうになった自分らしさを何度も取り戻してきた。  もちろん、それには神宮みたいな友人の存在も大きい。  普段なかなか言えない感謝の言葉をコッソリ述べてみたら、神宮はただ無音でニィと口角を上げた。 「それじゃ、そろそろ帰るか〜。車とってくるぜ」 「待ってる」 「おぅ」  ひらひらと手を振りながら去っていく神宮を見送ったら、入れ替わりに脳外科の久我泰治先生がやって来た。 「あ、眼科の新見先生ですか?」  ひょろりと細い身体をしているのに、汗かきなのかいつも汗を拭うためのタオルを首からかけている。 「はい、そうです。久我先生、今日は無理な時間に検査をお願いしちゃってすいませんでした」 「全然、構いませんよ。青ヶ森職員のことですから」 「どうしたんですか? 眼科まで」 「ええと、ちょっと迷ったんですが……香住さんから聞きましたか?」 「いやぁ、何も……」  久我山先生は何やら薄いファイルとカルテを携えていた。  ああ、イヤだな。イヤな予感がする。 「彼女、頼れる身内がいないとのことで……新見先生のご意見も聞きたいと思いまして」  久我先生が見せてくれたのは、香住くんのCT写真だった。   こういう時だけ、医者になんてならなきゃよかったと思う。  だって、病状の悪さを誤魔化すことができないから。希望を持てないから。  脳下垂体は、頭蓋骨のほぼ中心にある。  すぐそばに視神経が通っているから、下垂体に腫瘍ができると神経が圧迫されて視野に影響が出てしまう。  本当は、視野の検査をしたときからイヤな予感がしていた。進行が早すぎるのだ。  専門外の僕でも分かるほど、CT画像に映った腫瘍は大きかった。 「下垂体腫瘍自体は良性みたいなんですけどね。どうにも話を聞いていると、香住さんは家系的に腫瘍が癌化しやすいようなので、手術をお勧めしたんです」 「そうですか……」 「サイズも大きいので、薬物療法よりも開頭手術の方が良いと思います」 「……本人は、なんと言っていましたか?」  久我先生の見立てに異論はない。  僕も、患者さん相手なら手術を考えるほどのサイズだったから。 「そうですか、お願いします……って、それきりでした。あんまり動揺しないので、ちょっと気になってしまって」  久我先生は首からかけたタオルで汗を拭う。  特に暑くもないのに何故だろうと思っていたら、チラリとのぞいたカルテを見て謎が解けた。  ビッシリと細かい字で記された書き込み。類似の手術論文の引用。掠れたインク。  あぁ、久我先生は脳外科医として全力で患者に向き合っているんだ。  熱意があって、真剣だから集中で代謝が上がって汗が出やすいんだろう。  ……まぁ、元々の体質もあるのかもしれないけど。 「香住くんは、そういうタイプの人ですから。本人が望むのならば、僕からもお願いします。ただの仕事仲間の意見で申し訳ないですが……」 「いえ、とんでもない。彼女、新見先生の心配ばかりしていましたから」 「僕の?」 「はい。自分が抜けて、一人にしてしまって大丈夫だろうかって……」 「それはまた、頼りなく思われていますね」  思わず苦笑いが零れてしまった。 「違いますよ。頼りないんじゃなくて、純粋に心配されているんだと思います。自分のことより気にかけてもらえるだなんて、新見先生がちょっと羨ましく思えました」  久我先生の痩せた頬にエクボが浮かぶ。  僕はうまく取り繕ったつもりだったけれど、内心の動揺を隠し通せたかどうかは自信がない。 「久我先生……、香住くんを、僕の助手をよろしくお願いします」  言うまでもないことかもしれないけれど、僕は執刀を担当するであろう久我先生に深々と頭を下げた。  誰が相手であろうと、医師は目の前の患者さんに全力で対応するって僕も知りすぎるほど知っているのに。  患者さんが、皆一様に手術する前お辞儀をする理由が分かったような気がした。 「もちろん、任せてください」  久我先生のエクボがさらに深くなった。  本当は、僕のこの手で救うことができればいいんだけどね。  『あやかしあばき』は、一人じゃできないから。  僕はバトンを繋ぐことができたんだ。  こんな僕でも、まだ繋げることができるんだ。     あとはもう、待つしかない。  頑張ってくれ、香住くん。
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