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以後、特筆すべきことはない。俺はひたすら勉強をした。家で、学校で、塾で、職員室で。ひたすら勉強をしていた。 いつも、徹夜でやっていたスマホゲームは封印した。サトコにログインしたのがバレるからだ。別のゲームもやらなくなった。友達同士で、メッセージを送るのもやめた。過去の履歴にサトコの名前が出てきて、なんだか嫌な気分になるからだ。 SNSもやめた。サトコが今日のおやつの画像とかを上げているのを見ると、ものすごく嫌な気分になるからだ。必然的に時間が死ぬほど出来た。やることもないので、勉強に全部つぎこむことにした。  勉強しながら、ふつふつとサトコの思い出がわいてくる。全てが全て、嫌な思い出ばかりだ。  体育祭で我らが7組が負けたとき、サトコはずっと、リレーでビリになった女生徒を責めていた。「あなたのせいで負けたのよ」、そんなセリフを記憶のどこかで聞いた覚えがある ちょうど通り道だったので、俺が友達とゆっくりと近づいて歩いていくと、サトコははっとしたようにこちらを見るのだ。例えるなら、そう……悪いことをしている子供が、大人に見つかった時のような表情。  化学、アルカリ土類金属元素。カルシウム、ストロンチウム、バリウム、ラジウム。  サトコが元彼と別れた、と噂を聞いたのはいつだっただろうか。夏だっただろうか。野球部の彼は、スポーツ推薦でC大学にいくとかで、それでサトコとケンカになったらしい。そのあとのサトコの機嫌の悪さ、クラスの居心地の悪さはなんとなく覚えている。 いや、違ったかな? あれは秋で、別の美術部の男子生徒だった気がする。彼は、彼女を好きではなくなったなどと言って別れ、別の女子生徒と付き合い始めた。その時の、7組の女子生徒の結託の仕方ときたら!美術部の彼は、クラスに居場所がなかったように思う。まるで美術部の男子生徒が悪役のように、ひそひそと噂をし、女子生徒たちはまるで小魚が群れを作るように、群衆で結託し、我々男子生徒は、ひたすら怯えてそ知らぬ顔をするしかない。 化学、炎色反応の順番は、上から順に橙赤色、深赤色、淡緑色。  合唱祭で、伴奏の女子が本番でトチったときの、サトコの怒りのさまと来たらすごかった。数人の女子の取り巻きも結託し、『7組が金賞を取れなかったのはあなたのせいよ』なんて、キンキン声で叫ぶのだ。可哀想に、伴奏の彼女はしばらくそれから学校に来なかった。 合唱祭が終わって数時間、サトコはひたすら泣いたり、眉間にシワを寄せたり、『でもサトコちゃんは頑張ったよ!』なんて女子生徒と慰めあったりするのだ。彼女はうん、うん、と頷いて、女子生徒と抱擁する。  そのくせ放課後になると、そしらぬ顔で文芸部の教室にやってきて、明るい笑顔で『みんなー、おつかれー』なんて愛想を振りまくのだ。 「私、トオル君の書く小説好きだな」  などと、律儀にサトコは俺に感想を言う。小説といっても、高校生が適当に書いたなにかしらだ。出来も感想もクソも何もあったもんじゃない。だけど、俺は、俺の作品が読んでもらったことが、嬉しくなってしまうのだ。 「トオル君の書く小説って、優しい感じがして好き」 彼女の言葉を思い起こす。あれは、秋も過ぎてから……美術部の彼と別れてからだ。時期がピッタリと一致する。恐らくアレは、次の彼氏候補の、ご機嫌取りだったのだろう、と。 委員長気質で、しきりたがりやで、かわいくて、裏表があって、俺に告白してきたサトコ。恐らく彼女の中で、俺は彼氏候補の1つでしかなくて、俺に断られて今は、他の男子生徒に猛烈アタックしているんじゃないのだろうか。 そして俺がこんなにもサトコとの思い出を思い出している間でも、サトコは恐らく俺のことは思い出さないだろう。キープの一人の脱落、ただそれだけの話なのだ。 珍しいこともあるもんだ、と俺は思う。告白されて、俺は気づいたのだ。俺はサトコが大嫌いであるということに。彼女と同じ、地方の大学に行くのなんて真っ平御免だと。 そうして俺は、彼女から逃れるように、ひたすら勉強をする。朝起きて、バスの中で、学校で、休憩時間に職員室に、放課後に、そして夕食の前、夕食の後。 母親に『本気を出すのが遅すぎる』と悪態を疲れながらも。教師に「何かあったのか?」と言われながらも。そうしてサトコのこともだんだん思い出さなくなる。  塾教師が驚愕するぐらいには模擬テストの点数は伸びた。当たり前だ。風呂と食事以外は、取り付かれたように勉強をしていたのだから。何に?……サトコに取り付かれたように?嫌悪感に?  どれだけ勉強しても、やはり本番は緊張した。もう少し昔から勉強しておけばよかったな、と後悔した。  日程的には、センター試験、前期試験、卒業式の順番だった。卒業式の後、記念撮影のため教室に集まった俺に、久しぶりに顔を合わせたサトコはこういう。 「トオル君って、T大学受けたんだって?」 「ああ、そうだよ」 「へえー。落ちればいいのに」  彼女はこういうことを言うやつだったな。
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