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潔白宣言
先に断っておくが、俺はストーカーではない。もちろん、人の気持ちが全てわかるエスパーでもないし、この先エスパーになる予定もない。だがしかし、人の気持ちを理解しようという気持ちはあるし、思いやりも持っている人間だと思う。その証拠に、中学の卒業アルバムの裏表紙に書いてあるアンケート「優しい人ランキング」の第3位は俺である。ちなみに「歴史好きな人」2位。「円周率を10桁まで言えそうな人」1位である。
なぜこんなことをお断りしたかというと、実は先述した彼女と話したことは、1度しかないからだ。1度しかないのに彼女のことを調べてるやつがいたら、ストーカーと呼ぶやつがいてもおかしくはない。でももし呼ぶやつがいたら俺は面と向かって言うだろう。「お前はおかしい。」確かに事実としてはストーカーに近い。”チェック項目を10個中5個当てはまったら、あなたはストーカー”などというアンケートでも取られたら間違いなく5個以上は該当するだろう。しかし、俺は清廉潔白なのであって、青年失格などではない。善き魂によって、俺のストーカーじみた行いは彼女への愛へと昇華するのである。バラのように燃える愛さ。
さて話をしたことがあるといったが、そのエピソードを言っておく必要があると思う。あの日から寝る前に枕に頭を置いて、何度も反芻し、何度も思い返した。彼女の笑顔についての話だ。
あの日は急な雨降りで午前中の授業の後、近くのピザ屋で飯を食っていた時だった。当然、傘なんて持っていない俺は、少し駆け足で店に入りお昼時で賑わうカウンターではなく、少し奥まったテーブル席へと案内された。テーブル席からは学校の裏門前の横断歩道がよく見えて、イタリアで修業を重ねたといわれるオーナー自慢のマルゲリータをほおばっていた。一人でテーブル席は少し優雅と思われるかもしれないが、いつグループのお客が来るかわからないことを思うと、急がずにはいられなかった。ただでさえ熱いピザをほおばり、喉を詰まらせ、セットでついてきたアイスコーヒーで流した。タバスコをびちょびちょにかけて食べるのが俺なりの流儀ではあったものの、今日はその流儀を捨て、のどごし重視のピザ道楽だった。
少し変わり者のオーナーは長身でいつも真っ赤なスカーフをして、腰をかがめながら、料理をしていたが、リニューアルの時もかたくなに厨房の高さは変えなかったらしい。同じ体勢でいるのがつらいのか、時折右へ左へと体重を移動させて傾くのだ。それをカウンターでその光景を見ていると面白く、「あれが本当のピザの斜塔だ。」と友と笑っていたりしたのだった。
お店は白を基調としていて、オーナーが一人でやるには少し広く、かといって二人必要かと問われれば、「お昼時にはね。」と答える程度の小ぢんまりとしたお店だった。そのためランチのみのバイト募集をたまに見かけたし、実際その日も女の子のバイトがいた。黒い髪を黄色のリボンで束ね、白いブラウスと黒ズボン(これはここの制服だった。)を着て、えらく白い肌の女の子が。
少しだけ不思議だったのは、彼女のお客のオーダーの取り方だった。変わり者のオーナーがオリジナル料理をたまに作って出しているのだが、「ミラノ×ジェノバの山海ミックスほくほくピザ」などという長々としたメニューをどうも覚えているらしく、「ほくほくピザ」とのオーダーにも、正式名称を繰り返して確認しており、それだけきっちりとお仕事を頑張っているのに、なぜか、「完熟トマトの悪魔風モッツアレラパスタ」は「モッツアレラパスタ」と短縮して呼んでいたことだった。丁寧に人に接しているのだが、淡々だけはと仕事をこなすようだった。
どうやら通り雨だったらしく、さっさと上がった雨を追いかけて会計を済ませ逃げるように出てきた。食べてる間にも何名かグループのお客が何組か来て俺のテーブルをちらっと見ていたことが分かっていたからだった。3限は休講だったのでのんびりしようと思っていたのだが、えてして計画通りにいかぬ日と言うのは、次々に問題が起こるらしい。
「あっ。」と気が付いたのは俺の方が先だったのか、彼女の方が先だったのか。横断歩道を渡り終えて、点滅が終わった信号機を振り返ってみた時だった。ほとんど同時に、「あっ。」という言葉が揺れ動き、とにかく雨あがりの
アスファルトから登ってくる臭いがやけに記憶に残っている。
「あの、これ。忘れ物です。」
イタリアンのバイトの女の子が俺の少しぼろぼろのバッグを持っていた。少し恥ずかしくなり、うつむき加減で、
「ありがとうございます。ちょうど今気が付いて、手ぶらだって…。取りに行こうと思ったんです。でも、よくわかりましたね。俺がこっちに来たって。」
「パパが、あ、父がお客さんのこと覚えてて、よく来るから大学生だろうって、それで窓から見たら背中が見えたので。」
走って届けてくれたのだろう。息を切らしながら、途切れ途切れで話してくれた。少し意外だったのは彼女が、オーナーの娘であったことだった。
「すいません。忙しいのに、また行きます。」
そう言うと、
「お待ちしています。あっ。」
会釈をして戻ろうとするも、信号は赤のまま。少し大きい通りで歩行者の信号は短めなのだ。ちょっと気まずい空気に救いの手が。
「虹です。」
俺が指さすと、彼女もその方角を向いて
「ほんとだ。」
珍しくキレイな虹だった。天然の虹なんてものは、絵やアニメやCDで見るいわゆる”レインボー”とは違って、ぼやけてにじんだ「れぃnぼゥ~」だと思っていたが、今日は違っていた。
「キレイな6色です。」
彼女の言葉に少しひっかりを覚えながら、手を振って見送った。虹のゲートをかかる横断歩道を。
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