雨が降って固まるもの

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雨が降って固まるもの

 あの日以来、大学の通学途中、正門から入り右へ進むと緩やかなカーブの坂道があった。しばらく道沿いの名も知らぬ草木を見ながら、たまに道路側に飛び出た枝葉とハイタッチをしながら歩いていくと、あの日のように通り雨が降ったようでハイタッチをするごとに枝葉にぎりぎりつかまって耐えていた雨粒がはじけるように飛んだ。ようやく登り切った坂の終わりにベンチの置いてある中庭があった。雨降りの後のベンチなど座る気にもなれないが、今日も今日とてその中庭に入り、例の横断歩道をちらりと見る。なんとなく期待して、あの日の虹にまた会いたくて。もちろん晴れの日も。  3限のない火曜日と木曜日は必ずあのピザ屋で昼食を食べるようになった。彼女を見かけることも少なくなく、「いらっしゃいませ」「ごちそうさま」「ありがとうございました」やり取りの際も、少し笑顔を見せてくれるようになってきた。ところが今日は”はずれ”。ランチだというのに俺と、彼も常連なんだろうか、俺と反対側のカウンターの端で新聞を読みながらコーヒーを飲むおじさんしかいなかった。どうやら学生&サラリーマン街ではよくあることらしかった。  「今日も授業あるのかい?」 オーナーが声をかけてきた。 「ええ、と言っても祝日なので、教授が自由参加で勉強会を開いてくれて。」 「すごいね。勉強熱心だ。何の勉強をしているんだい?」 「今日はちょっとした、言語学です。」 「え?詳しく教えてもらえる?」 オーナーの声色が変わった。顔が何一つ変わらないのが少し怖かった。 「専攻しているわけじゃないんで、まだまだ分からないことだらけなんですけど。」  彼女について新田さんから聞いてからというもの、少しでも彼女のことを理解したくて、不安をとりさらってあげたくて、言葉について調べ始めていた。”トラウマ”という意味では心理学にもかかわると思ったので、とにかくいろいろな授業を受けて知識をため込もうと思ったのである。しかし、大学で専攻しない程度の勉強などは、さして役に立たず、せいぜい「いろは」程度にしか知識は得られないのだった。  内心は、不謹慎なことだが、少しうれしかった。もしかしたら、彼女のために何かできるのではと思った。一切の理論も体系化できていない俺の頭では、何にも役には立たないのだが、付け焼刃の専門用語とでまかせの才能はあった。  思わせぶりに、目を細め顎に手をやった。 「心理学に興味があるんですか?もしかして、誰か悩みを抱えている親しい人物がいるとか。どうです?思い当たる節があります?」 「あ、え、どうして。」 全く意外そうな顔でオーナーがこちらを見つめてきた。まっすぐ目を丸くして、口が少し開き、大きく唾をのんだ。そんな顔を見ているときっとウソはつけなくなると思い、少し過剰なまでにテレビ見たマジシャンのように大げさで自信気な態度をとり、「へへ」と笑った後、 「いや、目が左上に動いたのでね。これはランチ・ラインの法則と言って、思い出そうとするとみられる現象なんです。」  まったくのウソだった。真っ赤なウソだった。彼女がトラウマがあることなど、当然知っていた。だが、知らなかったことにして、さらにウソまでついて頼りにされたいと思ってしまった。彼女に近づきたいと思ってしまった。
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