赤、私と壁は

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

赤、私と壁は

 私は、私の「部屋」の隅にいて、壁にもたれて瞑目している。私は眠っているわけではない。はあ、はあという荒い呼吸から、貴方には、私が眠っていないとはっきり分かっている。私は軽くパニックを起こしている。貴方は私を、この星の裏側の貴方の部屋からじっと見つめているのだ。  私の部屋の壁は真っ赤な煉瓦でできている。真っ赤なクレヨンで塗った様に鮮やかで、それよりももっと乾いた、赤色の煉瓦。部屋の中には他に何もない。椅子も、テーブルも置いていない。洒落た本棚も、馬鹿馬鹿しく日常的なテレビもない。ドアさえない。小さく開いた天窓だけが、私の部屋を立方体ではなく部屋にしてきた。  さて、アマゾンの貴方の部屋からは星が見える。貴方の部屋と私の部屋は似たり寄ったりの退屈な代物だが、貴方の部屋にはテレビくらいはあるかも知れない。貴方のテレビに映るのは、赤道直下、熱帯の星空。貴方は私を見ているが、星は見ていない。星空は貴方の意識の外にある。それでも遥かな星たちは涼しげに燃えていて、貴方はその存在を知っている。星々も一つ一つが小さな部屋だ。私はまだ目を開かない。まだ。貴方は私がすぐに目を開くのだと確信している。貴方はとっくに目を開けているから。  私は見たくないのだ。赤い壁を。そんな感傷はすぐに過ぎ去るだろうが。 もちろん、貴方は正しい。私は目を開かないといけない。見なければならないのだ。実は気づいていない振りをしているだけで、見なくても見えている。赤い煉瓦は骨と血の粘土を焼いて作られたものだ。私の両親と、祖父母と、先祖たちと、彼らが食べてきた動物の血の赤。部屋は私の身体だ。  もちろん、この煉瓦、そして体はグロテスクな見た目をしている訳ではない。細かく磨り潰され、入念に混ぜられた血と骨は、真っ赤ではあるが普通の煉瓦にしか見えないのだ。部屋として生きているから、かつて別の動物として生きていたということすら分からない。所詮は骨も血も物体、物質に過ぎない、私も、貴方も。この煉瓦は、その血の赤で、私を内包し、捕らえ、守っている。この赤は、魂であり、物なのだ。受け継がれてきた、私の赤。たった一つの私そのもの。  貴方は私を見つめ、私は目を固く閉じている。だが、誤解しないで欲しい。目を閉じていても、私は何も見ていない訳ではない。見えてしまうのだ。「気づいていない振りをしているだけ」。現に私は貴方の存在に気づいている。私は貴方を見ているから。  壁も然り。 壁が私を見ていた。砕かれた目の水晶の欠片が、何億もの目になり、私を全ての方向から注視している。星空。私は決して見たくない。きっと私はその全てと目を合わせられない。ぎゅっと瞼を合わせ、自らを抱くようにして震えている。  貴方はなかなか目を開けない私に、少し失望する。そして私から少し視線を背け、アマゾンのカラフルな夜空を見上げる。少し感傷に浸る。ここはどこなんだろう、星は何処にいくんだろう、静かだ。問いへの答えはない。星は静かにこちらを見つめ、貴方は星と貴方が同じ物なのだと知る。無為な内省。  そして地球の裏側で、私は貴方がもう私を見ていない事に気づく。数億の瞳と血の星空、マイナスひとつ。少しだけ勇気が湧いてくる。  そして気づく。全ての瞳に、ひとつの部屋がある。部屋は星空だ。彼らは依然私を見ている。でも大丈夫。私もその一つだ。私は彼らを見ることができる。全てにして一。血の赤い煉瓦は、私たちを繋げている。  そして私は目を開ける。私は生まれる。 赤。私と壁と貴方は一つ。人として。魂であり、物として。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!