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半年前
自分という男は、どこか人としての何かが欠損していたのかもしれない。
唐突にそんな思いに駆られることがある。
薙野はとても厳格な母親に育てられた。
その中でも一番の教えは『人には正直であれ』と、いうものである。
どうやら母がリンカーンの桜の逸話に感化されて自分を教育していたらしいとは、大人になってから知ったのだけれど、とにかく薙野の幼年期に嘘は赦されないことだった。
幼い頃の薙野は、誤って母のドライヤーを壊してしまったことがあった。
「なんなの? これ?」と問い詰める母に、薙野は「知らない」と嘘を吐いた。
子供の吐く嘘である。
それはすぐにばれた。
結果、薙野はひどく折檻されて、物置の中に長時間閉じ込められることになる。
そんな具合だったので、薙野は嘘がいけないことなのだと肝に銘じることになった。
そのまま社会人にまで成長していったのだった。
だから薙野は嘘が苦手だ。
人としては致命的だった。
嘘を吐かないというのは、それはそれで良い信念なのであろうことは間違いがない。
けれども、嘘を吐かないのと、嘘が吐けないのとは違う。
嘘はある意味で悪なのだろう。けれど同時に、コミュニケーションを円滑にするための潤滑油であることも確かだ。
人は嘘によって他人を下手に刺激しないように気を遣うものだし、また、怒りや嘆きのような自身の負の感情を押し殺したりするものだ。
そういうことが苦手であれば、人間関係が作れるはずもない。
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