半年前

1/2
19人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ

半年前

自分という男は、どこか人としての何かが欠損していたのかもしれない。 唐突にそんな思いに駆られることがある。 薙野はとても厳格な母親に育てられた。 その中でも一番の教えは『人には正直であれ』と、いうものである。 どうやら母がリンカーンの桜の逸話に感化されて自分を教育していたらしいとは、大人になってから知ったのだけれど、とにかく薙野の幼年期に嘘は赦されないことだった。 幼い頃の薙野は、誤って母のドライヤーを壊してしまったことがあった。 「なんなの? これ?」と問い詰める母に、薙野は「知らない」と嘘を吐いた。 子供の吐く嘘である。 それはすぐにばれた。 結果、薙野はひどく折檻されて、物置の中に長時間閉じ込められることになる。 そんな具合だったので、薙野は嘘がいけないことなのだと肝に銘じることになった。 そのまま社会人にまで成長していったのだった。 だから薙野は嘘が苦手だ。 人としては致命的だった。 嘘を吐かないというのは、それはそれで良い信念なのであろうことは間違いがない。 けれども、嘘を吐かないのと、嘘が吐けないのとは違う。 嘘はある意味で悪なのだろう。けれど同時に、コミュニケーションを円滑にするための潤滑油であることも確かだ。 人は嘘によって他人を下手に刺激しないように気を遣うものだし、また、怒りや嘆きのような自身の負の感情を押し殺したりするものだ。 そういうことが苦手であれば、人間関係が作れるはずもない。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!