第一話 この世界は悪意に満ちている。

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第一話 この世界は悪意に満ちている。

  「ねぇーあのさもう二度と近寄らないでくれる?」  とある日の放課後、教室に想い人と二人きりという状況から始まる物語というのはさぞかし楽しい学園生活を送ったんだなと皆から羨ましがられるけれど、現実はそんなに甘くない。  寧ろ、現実はいつもビターなのだ。苦味のある青春物語。甘酸っぱさなど無い。いつもいつも深く苦く、更にはミルクを味わおうなどと甘ちょろい考えを持っていると毒を入れられる。そんな世界が現実なのだ。  前述の言葉は全て目の前に居る制服姿の彼女から発せられたものである。故に分かるだろ。  俗に言う所の告白失敗。人生失敗。はたまた、恋愛大後悔とな。おまけに彼女の口ぶりを察するにどうやら俺は彼女に物凄く嫌われていたらしい。  しかし彼女は策士であるに違いない。何故なら彼女の言葉は俺の心を壊すには最適だったのだから。おまけに奴は俺の好意に気づいていたにも関わらず、俺に気がある振りをしていたのだ。本当に怒りが込み上げすぎて、逆に何も言えなかった。  「わたしさ、実際アンタのこと全く好きじゃないんだわ。だからさ、アンタが告る前に一応言ったわよね。わたしも好きな人が居るからって」  彼女は憤り、不満を垂れてきた。だが全くといって、彼女の言葉が耳に入ってこなかった。それは現実を受け止められなかったからだろう。早く嘘だと言って欲しかったのだ。撤回して欲しかった。  けれどどれだけ待っても彼女は何も言わなかった。逆に自分の切実な思いをぶつけてきた。嫌いだと。俺のことなど、微塵も思ってないと。  だから俺は言い返した。自分の気持ちをどうしても抑えることができなくて、俺も一番彼女に言って欲しい言葉を口にした。  「う、嘘だろ。なぁ、嘘だろ」ってさ。本当に無様な姿を見せた。  女の子の前で顔ぐちゃぐちゃにして、目なんて赤くしてさ。  それで一番好きな女の子に怒りをぶつけたんだ。 感情を爆発させ、不満をばらまいたんだ。多分というか俺は確実に現実を直視することができなかったんだ。  「何言ってんだよ……それは俺が好きってことなんだろ」  反論した。彼女の言葉が嘘だと言って欲しかった。これが全て、夢の世界であると思い込んだ。でも零れ落ちる涙はぴちゃりぴちゃりと床に落ちて、小さな本当に小さな水滴が至る箇所に飛び散っていた。  でも床に落ちて、すぐに蒸発しているのか、その水滴は消えていった。  ぐちゃぐちゃになった視界を広げ、前を向く。そこには本当に気持ち悪いと軽蔑した様な目で俺を見る彼女の姿があった。  そして呆れたと言わんばかりに彼女は口を開いた。  「はぁ? 何、勘違いしてんの? マジでキモいんだけど。あ、そうだ。この際だからはっきりと言っておくけど、アンタのことマジで生理的に無理って思ってたから」  今まで優しかった女の子が初めて見せる裏の顔。本当に怖かった。  あのとき……俺に優しくしてくれたのは? 授業中に手紙交換したくれたのは? あのときカッコいいって言ってくれたのは?  俺は問いただした。けれど現実は残酷だった。  「何言ってんの。あんなの誰にでもするでしょ。それにさ、アンタのことなんか男として見てないから。本当に気持ち悪いから二度と喋りかけてこないで」  「………………」  何も言い返せなかった。先ほどまで流れ続けていた涙も出ることもない。涙は枯れていた。その涙を乾かすのは怒りか。それとも悲しさか。  ただ漠然と、呆然と立ちすくんだ。彼女は侮蔑した目でこちらを凝視し、もう一度念を押すかのように、あたかも自分に言い聞かせるように、言葉を放った。  「……もう二度と私に関わらないで」 と。  そのまま目の前から立ち去る彼女の後ろ姿を見ながら床に倒れ込んだ。  何も言い返す言葉も無く、ただ理不尽な怒りの渦に苛まれた。  でもそれ以上に裏切られたという感覚だけが心に残り、徐々に自分の過ちに気付く。  俺みたいな弱い立場の人間が高嶺の花に恋をするのは邪魔でしかないということを。彼女に近づく事をやめよう。  場を弁えて行動しよう。もう二度と自分を傷付けない為に。  この日から俺の世界が色付くことを忘れてしまった。  それが中学二年生だった頃のお話。俺——鈴木和人(スズキカズト)がとある女――佐藤彩(サトウアヤ)にズタボロに心を折られてしまった、ただそれだけのお話。正直思い返すだけで泣きたくなる。  本気で好きだったんだ。四年間も好きだったんだぜ。片想いだったんだ。それなのに呆気も無く、失敗に終わったんだ。  彼女の二分間にも及ばない拒絶によってさ。これだったら告白しなければ良かったと本気で思ったよ。四年前に俺が一目惚れしたあの日に戻れるのなら絶対に俺はあんな女を好きにはならないね。  人は案外見かけによらず。これが俺史上最大の教訓である。  まぁ、あんなことをされてしまっては鋼のメンタルをお持ちではない俺が女性恐怖症へと陥るのは言うまでもない。というか他人と関わるのが怖くなっちまった。  おまけにその後の中学時代は彩によって、全部ぶち壊されたのだ。俺が彩をストーキングしているという根も葉も無い噂を言いふらされ、学年中の奴等が敵になっていた。俺はそんなことやってないのに。  多分だがアイツは自分が可愛くてモテるアピールをする為に俺を利用したに違いないと踏んでいる。最低な女だ。  そして時が過ぎ、中学三年生の六月。  変な奴が転校してきた。とても美人な女の子――山口美香(ヤマグチミカ)だった。けれど見るからに不健康そうで何処か病んでそうな雰囲気を醸し出す女の子。授業中はずっとうつ伏せで寝ているし、休み時間はスマホを弄ってた。そんな女の子と俺は隣の席同士。    気にならない方がおかしい。だから喋りかけたんだ。  「ねぇー何処の学校から来たの?」 ってさ。  思い返せば、美香が転校してきた時、特に自己紹介的なものは無かった。彼女の為に用意された机と椅子が転校してきた日に増えていたそれだけだったんだ。担任も新しい生徒が入ったので皆仲良くするようにと一言だけ告げ、終わり。  本当に気になって仕方がない。おまけに誰とも接さずに適度に熟していた。というか完全無視していたのだ。  誰が喋りかけても無視の連続。孤立するのは時間の問題だった。  「………………」  今回も完全無視だった。もう一方的な無視。  でもさ、美香は可愛いんだ。顔立ちが整ってるし、体育は見学だし。まぁ、なんつぅーか美香は深窓の令嬢って感じなんだよ。  そりゃモテるさ。中学男子なんて皆、可愛くて病弱な女の子を見ると自分が守ってあげないと勘違いして、好きになんだよ。  でもさ、学校の男子から良く告白されているのを目にしたことがあるが全部断ってんのよ。サッカー部のイケメンが告ってもだぜ。  でもいいきみだったね。アイツのあんな顔見れたのは最高だった。いつもすましてた奴なんだぜ。そんな奴が帰り道にカーブミラーに蹴り入れて、脚痛がってやんの。爆笑してやったよ。あっ、別に俺は奴をつけたわけじゃないからな。偶々帰る方向が一緒だっただけさ。    まぁ、確かにあれだけ可愛ければ仕方がないもんだ。だって彼女からしてみればじゃがいも畑を見てる様なもんだと思うぜ、この街に住んでる奴は。というか男共も顔立ちが良いから付き合って欲しいと思ってるだけなんだろうけどさ。  しかしだな、世の中ってのは色々と面倒なんだよ。  けれど女子の世界ってのは単純明快さ。  どうやら自分よりも可愛い女に苛立ってしまったらしい。おまけに自分が好きな男子から告られてもあっさりと振ってしまった味方に嫉妬しちまったらしい。ありゃ怖いねぇ〜。  そんなわけで美香は陰湿なイジメを受け始めた。  正直俺がどうにか出来るわけがない。しかし、だからと言って放って置くことも出来なかった。  でもどうやって彼女を救えば良いのか答えは出ない。  それでも彼女の側に居てあげることは出来た。  教室に居るときはずっと喋りかけた。勿論無視されてばっかり。会話なんてもんじゃない。俺の一方的な独り言に過ぎない。  それでも時々机にうつ伏せの身体が震えているのを確認できると嬉しかった。多分だが笑っていたんだと思う。  別に面白い話をしていたわけじゃない。側に居ただけで力になれたんだ。もしくは人の優しさに心を打たれたのだろう。  そして七月になった。  「ところでだ。あと少しで夏が来る。一緒に夏祭りに行くのはどうだろうか? 俺としては悪くない提案だと思うんだが……」  「………………ぃ」  やはり彼女が今日も喋ることは無い。  んっ? 微かに何かが聞こえた? そんなはずはない。  「ぃ……ぃ……」  やはり何かが聞こえた。彼女が何かを言おうとしていたのだ。彼女なりの一歩を踏み出そうとしていたのだ。  でも何処か辛そうだった。  「無理に喋る必要はない。今日も一緒に帰ろう。その時でいいさ」  俺と美香の家は割と近いらしいが詳しい場所までは知らない。というか彼女について何も知らないに等しかった。  放課後。俺が美香の元へ行くと少しだけニコッとした気がした。  普通に雑談をする仲では無いので俺が一方的に喋り、美香が頷くだけの関係。けれどそんな関係で心が癒やされた。  そして別れ道。俺が明日も学校でと言おうとした時だ。  初めて俺は彼女の声を聞いた。  小さな小さな声だった。  「……ど、どうしてわたしにかまってくれるの? 何が目的なの?」  あまりにも細い声。蝉と車のせいで全く聞こえやしない。  「悪いが聞こえない。もう一度言ってくれ」  彼女は俺の近くに身体を寄せ、シャツを掴んだ。  「わたしにどうしてかまってくれるのさ! 何が目的なのさ!」  彼女なりの悲痛だったんだろう。  それでも良かった。全く喋らない彼女が喋ったのだ。  俺史上初の未知との遭遇ってやつだ。  「そりゃあ、勿論美香に笑っていて欲しいからかな?」  格好をつけるのは御免だったが本音は言えない。  言ってしまったら、俺は壊れてしまうから。  「何それ……」  彼女は嫌な顔をして、こちらを見た。でも何処か嬉しそうだ。  だからこそ、そんな彼女に嘘はつきたくなかった。  本心を言おう。  「……いや、本当は俺が寂しさを紛らわしたいからかな。今のクラスにまともに喋れる相手がいなくてさ。だから美香が転校してきた時から仲良く出来るかなって。俺の過去を知らない奴なら……俺と仲良くしてくれるかなって……」  昔から俺は一度自分の感情を曝け出してしまうと歯止めがきかなくなっちまう。悪い癖だと思うが治すつもりはない。  そして気付けば俺は泣いていた。女の子の前で泣いたのだ。  今まで無視されたり、ハブられたりしたことがあっても泣いたことは一度も無かったのに。  閉ざした心を開けた瞬間、うっかりとネジを一本失くしたように涙が止まらなかった。  「ええっ、ええー。ちょっと、大丈夫?」  美香は慌て始めた。手をワタワタさせ、困ってた。確かにそりゃそうだ。今まで自分の隣に居て能天気にベラベラ喋ってた奴が突然泣き出したのだ。それも目の前で。おまけに自分が喋りかけた瞬間だ。  「悪いな……。ちょっと、昔のこと思い出して。大丈夫だから安心してくれ」  「ごめんなさい……」  彼女の口から出た言葉。俺に掛けるべき言葉。それは謝罪だった。彼女なりの懺悔。  「わたし……鈴木君に頼ってた。ずっと頼りっぱなしだった。でも……鈴木君も必要だったんだよね。誰かの優しさを。そんなことに気付かなくてごめん。わたし、自分のことで精一杯で。  わたしね、前の学校で色々とあってさ。何もかも嫌になったんだ。何かもう……全部消えちゃえばいいのにって。  キモいよね。わたしって。こんな奴生まれてこない方が良かったよね。でも……わたし鈴木君に出逢えて生まれてきて良かったと思ったよ。鈴木君みたいな優しい人にあの学校に居た時、出逢えていれば……わたしも変われたのかなって思ったら涙がずっと出てきてさ」  「俺のほうが頼りっぱなしだ。俺は俺が嫌いなんだ。だから少しでも変わろうと思って、美香に縋ってたんだ。優しい自分を演じて、自己満足に浸っていただけ。ただのクズなんだよ。美香を助ける振りをして、自分を助けてただけなんだ。ただ……寂しくて、自分が生きてる証が欲しくて……ただ自分の為に……」  「鈴木君はクズなんかじゃない! わたしを守ってくれた。わたしを助けてくれた。わたし知ってるんだよ。鈴木君が裏でこそこそとわたしを助けてくれてること。わたしだって馬鹿じゃないんだよ! 鈴木君……わたしのせいでいつも傷付いて。そんな人がクズって言うんだったら、わたしはなんなのさ!」  「美香は俺にとっての天使だよ、幸せを運んでくれる。いいや、幸せにさせてくれる天使」  俺は佐藤彩が好きだった。大好きだったんだ。ずっと佐藤彩の側に居れば、幸せだと思ってた。だけど蓋を開けてみれば、一方的に俺が好きなだけなんて辛すぎる。おまけに俺のことは大嫌いみたいなんだぜ。そんなのありかよって感じだよな。  アイツはずっと俺に気がある振りをしてたんだぜ。そりゃ、騙されるよ。俺は馬鹿だからな。健全なんだよ。  それを弄んだ佐藤彩だけは許さない。おまけに根も葉も無い噂を流して、俺の学園生活はズタボロだよ。たった一度の告白で。  四年間の片想いも。四年間隠し続けた想いを告げただけで。  勇気を振り絞って言ったのに。俺の言葉は何の力も持たず、ただ無力よりも無慈悲に終わりを告げただけ。  二人の関係を引き裂いただけ。そんなのあんまりじゃないか。  けれどあのときの俺がいたからこそ、今の俺がいる。  あのとき勇気を振り絞った俺がいたから、今の俺がいる。  それだけでも有り難いと思うべきだろう。  「なぁ、美香! 俺と夏祭りに行こう!」  「なななぁぁぁ! なぁ! 何を言ってんのさ! この馬鹿! それに……天使ってなにさ……バカ」  顔を真っ赤に染めた美香はぼこぼこと俺の胸を殴り続けた。けれど目からは涙が出ていた。  「なぁ、美香。どうやら俺は美香が好きみたいだ。初めて喋ったのにこんな感情になるのはおかしいと思うけどさ。俺は美香が好きみたいだ」  「……わたしも鈴木君のこと好きだよ」  「それって付き合おうってことか?」  「ううん。違う。確かに鈴木君の気持ちは嬉しかった。でも、返事はまだ出来ない。あ、あの別に鈴木君のことが嫌いとか、他に好きな人がいるとかそういうわけじゃなくて、わたし……怖いんだ」  「その……なんというか」  「んっ?」  「なぁ、なんでもない。わ、わたしもう帰るね」  「お、おう……」  呼び止める勇気があれば……。俺がこの時呼び止めていれば。  彼女を救えたのだろうか。彼女を守れたのだろうか。  だが、現実の俺は何も出来なかった。鎖に繋がれた犬のように。  明日の朝。美香は学校へ来なかった。  次の朝も美香は来なかった。その翌日もその翌日も。ずっと美香は来なかった。そして気付けば夏が始まった。  たった一人の夏が。美香が居ない夏が始まったのだ。
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