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第四話 この世界は混沌に満ちている。
お盆が終わった。連絡が来た。佐藤彩からだった。用件は今から会いたいだった。時間帯は夜の九時。どうしてこんな時間帯にとか思いながらもすることがないので、いいよと返事を送る。待ち合わせは近所の公園。重たい身体をベットから起こして向かう。
靴に履き替える。ちなみに新しく購入したものである。ローマ字でメーカー名が靴底に書いている。お洒落だなと思いながらウキウキ気分で自転車に乗って公園へ向かう。
そこにはすでに佐藤彩がいた。ベンチに座っていたが、俺の姿が見えるとすぐに立ち上がり、走ってこちらにやってきた。あれ、涙が出てる?
公園に灯る光が彼女の涙を反射した。動く度に滴が落ちた。そして、ギュッと俺を抱きしめた。両手で強く強く抱きしめられる。
「おい、どうかしたのか?」
彼女の大胆不敵な行動に面食らってしまう。何が目的なのだろうか。
「いいから、ほんの少しだけ今のままでいさせて」
彼女の甘い声が聞こえた。胸元辺りに彼女の頭があるのだが、とてもいい匂いがした。
俺は優しく彼女の頭を撫でる。普段はこんなことをすれば、触るな、気持ち悪いと暴言を吐くような彼女でも本当に何か嫌なことでもあったのだろう。
俺に対し、何も言わなかったのである。その後、何かを言おうとしたが、今の状況のまま彼女と会話をするのは時間が必要だと思い、その場で彼女の気持ちが落ち着くまで待つことにした。数分後、彼女は俺からさっと離れた。
「あの、ありがとう。その落ち着いた」
涙を拭う彼女。何が原因なのだろうか。弱気な彼女は見たくは無かった。
「何か嫌なことでもあったのか?」
「ずっと会いたかった。私、バカだよ。多分だけど、確実にアンタに恋してる」
その言葉にどんな言葉を投げかけてやれば、良いのだろうか。
だが、俺には好きな人が他にいるのである。
「ごめん。俺、好きな人がいる」
「それって、山口さんのこと?」
「そう、俺は美香のことが好きなんだ。まぁ、夏休み期間中は全く会ってないから今はどうしてるか、知らないんだけどな」
「え? 知らないの?」彩が目を大きく見開いて、驚いた。
「え?」
「山口さん、入院してるんだよ。知らないの? って、アンタ、グループにいないんだっけ」
どうやら話を察するにグループ会話の中で誰かが美香が入院していることを喋ったみたいだ。
「あぁ、悪いな。俺はガラケー持ちなんだよ」
「一応、ガラケーでも出来るけど、入る?」
「遠慮しとくよ。別に俺が入っても、迷惑なだけだからな」
「そんなことないと思うんだけどな」
「嫌そうだって。それより、美香はどこの病院に?」
嫌がる佐藤彩を無理矢理自転車の後ろに乗せて、美香が入院しているという病院へ向かう。ギィーコ、ギィーコと自転車が呻き声を上げていた。やはり、二人乗りは無理なのか。街を包む光。中心部から少し離れた丘の上の病院。
後ろに乗る彩が俺に降りようかというけれど、ペダルを漕ぐ。坂はやはり重く感じるが、女の子を一人夜道に残すほど、悪ではない。
「というか、面会時間とか大丈夫なのか?」
「さぁー分かんない。でも、適当に中に忍びこめさえすれば……」
「お前って結構そういうところあるよな。後先考えず、行動するというかさ」
「あのねぇーそれはアンタだって一緒だから」
「それにね、アンタさ。振られた女を引き連れて、好きな女の元へ行く男っているか! 乙女心を分かってないわよね。全然」
「あのなぁ、その言葉はそのままお前に返してやるよ。あの時はよくも、俺を振ってくれたぜ。まぁ、今日でも全部チャラでいいぞ」
「ちょっと待って。私さ、ずっとアンタの為に勉強教えてきたんですけど。その分はいつ返してくれるのかしら」
「はいはい、今度どこか好きな場所に連れってやるよ」
「わぁーい。じゃあ、遊園地にしようかな」
「遊園地だと!? それはハードルが高すぎるだろ」
「好きな場所に連れってくれるって、行ったじゃん。あ、そうだ。いいこと思いついた。今度はさ、また和人の家に連れてってよ」
俺の家か。どうせ、親もいないし。別にいいか。
「別にいいぜ。好きにしな。何にもねぇーけどな。あ、でも散らかってるかも」
「いいよいいよ。君の素の姿が見たいんだ」
「なんだそれは。俺の素は嫌いじゃ無かったのか?」
「むぅー。君さ、細かいことを気にしてたら、毎日がつまらなくなっちゃうよ」
そうなのかな。俺は釈然としないまま、彼女の言葉を受け止める。
女の子の扱いって難しい。
ペダルを踏む力を増す。加速した。向かい側からの車はなし。蛇行運転をしたいつもりはないが、体重をかける方向にずれてしまう。それでもどうにか、丘の上の病院へ到着。本当に見渡す限りは何もない。木々に囲まれて、遠く先には海が見える。また、病院よりももっと上の方に高台があるようだ。看板でそう書いている。だが、あんな場所に行く奴とか居るのだろうか。
自転車置き場はバイク置き場と同じらしい。自転車を止め、いざ病院の中へ。
って、上手く行くはずはない。警備のおじさんに捕まった。意外と話をすれば、聞いてくれる方だった。こうして、正規ルートで病院の中へ。
どうやら、山口美香の病室は一人部屋らしい。普通は面会の部屋で会話をしなければならないらしいが、一人部屋ということもあり、山口美香が居る部屋へ。
先にどちらが中に入るか、言い合いになりつつもここはやはり俺から行くのが筋だろうとドアに手をかける。スライド式のドアを二回ノック。返事をしてくれてたので、一安心して中へ入る。彩が中に入ろうか、悩んでいたので無理に腕を引いて中へ入れた。
彼女は外を眺めていたが、俺たちが入ると目線をこちらに向けた。何を見ていたのだろうか。空高くを鳥達が飛んでいた。
なるほど。羽ばたく鳥達を見ていたのか。俺もそんな時がある。
大空を飛んでみたいとな。多分、そんな気持ちなのだろう。
微笑んだ顔だったが、彩の顔を見るとすぐに変化した。
「ど、どうして? 佐藤さんが」
戸惑いが隠せない美香。俺も何から話していいのやら。彩は病室から逃げようとするので、俺は腕をがっしり掴んだままだ。
「まぁ、色々とな。で、だ。美香、お前は大丈夫なのか?」
ベットは角度三十度ぐらいに曲がり、美香のか弱い身体を支えている。
「私は大丈夫だよ。元気だよ」
「心配したんだぞ。お前がいきなり、学校来なくなったからさ」
「ご、ごめん。鈴木君には心配かけたくなくて」
「あのなぁー、心配ぐらいはかけてもいいんだぜ。それが友達だろ。それに約束したろ? 一緒に夏祭りに行くってさ」
「あ、その話なんだけど……」
彼女は口をつぐんだ。
「私、行けそうにない。ごめんなさい、私。私」
彼女は泣きそうだった。何を俺は泣かせてしまったのだろうか。
「自分を責めるな。お前は悪くない。悪いのは病気だ」
彼女は今週中に手術を受けるらしい。病名が何なのかは詳しくは知らない。でも持病だということだけは教えてもらった。
手術後は人の多い場所などに行くと病室に入る前に看護師さんに身体に負担がかかると言われたばっかりである。
「あ、ありがとう」
彼女の表情が一瞬だけ、綻んだ。でもまた暗くなる。自分には何もできないのだろうか。
「話で聞いたよ。今まで誰もお前のところに見舞いに来た人は居なかったって。だから、看護師さんたち、喜んでたぞ」
「う、うん」
「それより、どうして佐藤さんが?」
「まぁ、この男に腕を引かれて連れてこられたわけ。おまけに俺は美香が好きだとか言い出してさ。病院の場所が分からないから、ついてこいとか無理矢理だよね」
「なんだか、鈴木君っぽい。ちょっと、間抜けなところとか」
「間抜けは余計だ。それとな、間抜けなのはお前の方だぞ。美香、お前さ。逆になんの連絡もなく、ずっと学校に来ないとかの方が心配するっつの。だからさ、ほらこれ」
俺は自分のメールアドレスが書いたメモを手渡した。彼女は喜んで受け取った。
「ありがとう、鈴木君。それよりも、佐藤さんと鈴木君って、因縁のなかだったんじゃ」
「あぁ、そのことか。正直、まだ全然、解決はしてねぇーよ。でも、過去を恨んだところで何も変わらないからな。それに相手側も反省してるそうだしな」
「そういうところが鈴木君のいいところだと、思うよ」
「照れるからやめろ。その言い方は」
「あ、それよりさ。二人は付き合ってるの?」
「ん?」
「はぁ?」
俺と佐藤彩の息がピッタリ合った。
「それね。私が負けたの。私は確かに一度鈴木を振った。それもあんな酷い振り方で。怒りに身を任せて。でも、私は鈴木のことを好きになった。この夏を通して」
「だからね、あなたの勝ちよ。山口美香。鈴木君が好きなのは私ではなく、あなたなの」
「えぇー。それって、本当? 鈴木君!」
「あぁ、大マジだ。さっき、コイツを振ったばかりだぜ。理由は俺が本当に好きなのは、美香だけだから。それとな、ずっと夏の間、お前のことばかり考えていたんだ」
「だからさ、もしも手術が終わったら、海に行こう。話で聞いたよ。ずっと、海に行きたいって子供の頃から言っていたって。でも病弱だからという理由で連れていってもらえなかったってさ」
「本当? 本当に連れて行ってくれるの?」
彼女は幼い子供がプレゼントを買ってもらえるように、凄く目を輝かせた。
「あぁ、連れてくよ。少しだけ、座り心地は悪いかもだけどな」
「もしかして、アンタ。自転車で連れて行く気!?」
「あぁ、そうだよ。なんか悪いかよ」
「悪くはないけど、自転車で軽く1時間弱はかかるわよ」
「私は自転車がいいな。鈴木君。私も、鈴木君の自転車の後ろに乗って、ビューンと風を感じたいな」
「見かけによらず、山口さんっておてんばなのね」
佐藤彩がポツリと呟いた。
「そんなことはないと思うけどなー。あ、それよりさ。彩ちゃん」
「あ、彩ちゃん……」
彩ちゃんと呼ばれたのが、嬉しかったのか、驚いたのか、彩はもじもじと身体をうねらせた。
「彩ちゃんさ、鈴木君と一緒にもしよかったら、夏祭りに行ってくれないかな。私と鈴木君は約束してたけど、もう無理だからさ」
これは彼女なりの気遣いなのだろう。だが、何故これまで協力的なのだろうか。
「いや、いいよ。別に。ねぇ、和人」
夏休みの期間中、毎日のように彩と会っていたせいか、呼び方が和人と彩に変わっていた。気づかないうちに勝手にそう呼びあうのが普通になっていた。
「だめだよ! 二人とも! 私が行けない以上は私の分まで楽しんできてよ。だからさ、一つだけ約束があるの。私からのお願いは二人の仲直りと思い出話だ!」
美香が白い歯を見せ、悪戯っぽい笑顔になる。その笑顔を見ると、次第にこれが彼女なりのやり方なのだろうと思い、根負けしてしまう。
彩も最初は断っていたが、渋々夏祭りに行くことを決めたようだ。これが美香からのお願いなら、仕方ないか。
「にしし、よかったよかった」
美香が笑う。何を考えているのか、さっぱりわからない。でもその顔は悪巧みしているのではなく、純粋な笑みだった。
その後も俺と彩は何度も美香の病室へ足を運んだ。美香の親御さんとも会った。とても感謝された。色々と美香が優しくしてもらっていると言ってくれたのだろう。
それと同時に彩の態度もガラリと変わった。昔までは猫を被っていたが、素直に笑うようになった。相変わらず、俺に対し、態度は冷たいものの、棘は無くなった。
夏も終わりに近づいてきた。美香に高校はどうするのか、尋ねてみた。
私は出席数も悪いし、頭も良くないから、夜間か通信制の高校に進むと言っていた。
正直、俺は美香と同じ高校に行きたい。でも、将来的なことを考えると進学校に行った方が良いだろう。それにもしも、美香に同じ高校に行くと言えば、彼女は自分を絶対に責めるはずだ。それは絶対に嫌だ。中学三年生の夏。俺は生まれて初めて、人生に悩んだ。
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