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真相ー表ー
- 真相ー表ー -
冷房の効いた部屋には相応しくない暑さを感じて目が覚めると、次に感じたのは煙の匂いだった。
「あつ…なんだこれ」
そして自分が危機に立っていると自覚するのはその数秒後、部屋が煙で溢れているのに気づいてたから。火事だ、とすぐに察するのと同時にしっかり覚醒するとかなり臭ってくる灯油の匂いが分かり、これは故意のものだと察してしまった
火災被害の患者を対応することもあったので、火事の時、どう行動すべきかは頭に入れていたため、姿勢を低くし財布とスマホだけ持って玄関を開けた
玄関を出ると隣の部屋からとくに炎が上がっている、自分が灯油の匂いを感じたのをふまえると火災原因は隣の部屋からなのだろう。幸い高級なマンションのせいか扉が厚いためまだ炎が広がっていない、今なら助かるだろう
当時、俺の頭には隣の家の人間のことなんて無かった
この時までは
「兄ちゃん!たってよ!逃げよう 早く逃げないと死んじゃうよ!お願い誰か兄さんを助けて…」
幼い少年の叫び声だった、悲痛できっと誰にも届いてないと思って発された声。諦めているのだと思う、それでも諦めたのに助けを求めているのは兄のためなのだろうと分かってしまった
じり、と胸の奥が傷んだ。助けたいと無駄な正義感に襲われて
「誰かいますか!」
次に気づいた時には叫んでいた。叫んだ瞬間やってしまったと思った、らしくない。自分から生存率を下げる行動になんて非効率なんだと頭のどこかで自分が叱る
「っ、います!兄ちゃんがいる!」
けれど、少年のその言葉を聞いた瞬間、そんな後悔なんて忘れてドアノブを握っていた
握った瞬間、鉄製のドアノブは熱く熱され鉄板のようになっていたため、俺の掌を溶かした
「い"っ、」
思わず声が出る。それでも痛みに耐えて玄関を開けた。外科医の命である手が大火傷をおったとかこの時はもうどうでも良くなっていた
「大丈夫ですか!立てますか?」
土足のまま部屋に駆け込むと、現場は酷いものだった。まず目にしたのは50歳前の男女二人が心臓を一突きにされ床には大量の血が落ちていた。そして、かろうじで息のある20歳前後の青年とその弟。兄の方は、腹部に包丁が刺さっており失血も酷い。大丈夫ですか、と聞いてみたもののこの青年は助からないだろうと分かってしまう。
夫婦二人は既に死亡しており、そして防御創がなかった。心臓は深く刺すまでに時間がかかるため突発的なものだと防御創や苦しんだ形跡が残るのだが、それが無い。おそらく薬などを飲ませて計画的にこの心中を行おうとしたのだろう
「兄ちゃんを助けてください!お願いします!」
こんな状況にも関わらず冷静に考察していたが少年の声に引き戻された。玄関のすぐ側に学校指定バックがあった。きっとこの少年は、兄が灯油を巻き終え全て終わらそうとしていた時に帰ってきてしまったのだろう
なんて、嫌な偶然なのだろうか
「…君は、どうしたい」
兄から離れようとしない少年の言葉を無視して、青年に話しかける。きっと彼は自分が助からないことを知っている、そして助かることを望んでいない
「日野、さん…でしたっけ?確か 助けてくれるなんて想定外だったなぁ…巻き込んですいません」
初めて聞いた声は優しく弱々しい声だった。そして目を細めて弟をみつめて笑う姿は、兄の顔だ
同情もあったかもしれないが、それでも殺人を犯したこの青年を怖いと感じなかった。それどころか青年が正しいとさえ感じる自分がいたのだ。それが正義ではないとしても
「想定外なのはこっちもだよ、…分かってるね」
この青年に踏み込んではいけないと思った、きっと同情の言葉はあの世にいっても意味を持たないだろう。だから、あくまで医師として助からないことを直接言葉には出さずとも伝えた
青年はこくりと1度だけ頷いて、もう一度少年を見る。少年は俺たちの会話に付いていけずにただ呆然としていた
「弟を…謙也を救ってやってください…お願いします」
「任せなさい…もう、休んでいい」
躊躇なく発された言葉は、自分の救いではなく弟を助けることだった。なぜ心の底から少年の無事を願い、見返りもなく思うことが出来るのだろう
少し羨ましかった、救うことを人を思うことをこんなに躊躇なく出来てしまう青年が。手段は間違っていたかもしれないが、青年は少年が苦しんだ暴力から救ったのだから。それも重すぎる代償を払って
自分も救いたいと思った、この2人の兄弟を
青年の方は身体はもう救うことが出来ないだろう、だが心は救ってみせる
後悔しても遅いのだから、なぜもっとこの感情を早く持てなかったのだろう。あの時虐待を通報していれば変わったはずなのに!
なのに青年は恨み節1つ漏らさず、今度は俺を見て笑った。少年に少しだけ似た幼い笑顔を残して、その後瞼を閉じていった
「に、いちゃん?…やだ、起きてよ 兄ちゃん!」
瞳を閉ざした兄に懇願する青年を無理やり抱えた。背中しか見えていなかったが、腹部に相当大きいな火傷がある、かなり痛いはずなのに「下ろせ!下ろせよ!」と暴れた
「ごめん」
そう一言だけ呟いて、俺は玄関に向かって走った。耳元で必死に叫ぶ少年、燃え上がる炎
手の痛みも限界だった。それでも、走って走って走り続けた
そして、気づいた時には病院のベットの上だった
「単刀直入に申し上げます、謙也くんは身体的な後遺症は残らないでしょう。貴方が適切な処置をしたおかげです
けれど、精神的ショックが大きく…記憶の混濁が見られるようです。大まかにも事件のことは覚えてますが、兄は生きていると思い込んでます
彼にとってお兄さんが一番大切な存在だったのでしょうね…
そして、日野さん…今彼の中では貴方がお兄さんということになっています
彼は引き取り手がいない、今後どうするかはあなた次第ですが関わるのなら相当の覚悟をおもちく」
意識を取り戻して言われた言葉は忘れられない
もう手が思うように動かないとかそんなことをその前にも言われたが、そんなことより衝撃的なものだった
だが、もうこの時には彼を引き取り嘘をつき続けることを決めていたのだ
これは罰だと分かったいたから。ならば躊躇なく受け入れよう
そして、これで2人が救われるのならいいのだ
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