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女将さんの愚痴
「はぁ、猫の手も借りたいほどだわ。猫の脳みそは、この猫の額ぐらいしかないけどね」
もふもふの毛が生えた額をぺちりと指弾されて、にゃっとミケは声をあげていた。春積みの猫又茶が美味しい季節になると、喫茶店 猫の森の忙しさは苛烈さを増す。看板猫である自分は、今日ものんべんだらりと店番をしているというのに、女将さんときたらそんなミケをなまけもの呼ばわりしてきたのだ。
「女将さん! 猫又茶まだぁ!」
「はぁいはぁい!!」
次々とお店に入ってくる常連さんに、女将さんは返事をするので精いっぱい。そんなおかみさんの側にやってくるお客さんは、カウンターに座るミケを偉いねとなでていくのだ。褒められてミケはにゃあと、上機嫌な声をあげていた。
「女将さんもミケちゃんぐらい愛想がいいといいんだけどねぇ」
常連客の男性が、笑いながら女将さんに話しかける。女将さんは顔をこれでもかと顰めて、ミケを見つめた。
「カウンターに寝そべってるだけで褒められる仕事に私も就きたいわよ……」
「無理だって、女将さんの顔じゃ――」
男性の言葉は、女将さんの冷たい視線に遮られる。それも仕方のないことだと、ミケは思った。女将さんときたら、化粧も満足もできない状態でお店番をしているのだもの。髪の毛もぼさぼさ。毛づくろいをしてあげようとしても頭を舐めるなとひっぱたかれて、ミケはにゃあと鳴くしかない。
この時期になるとお店は繁盛するけれど、女将さんは荒れる。この国の特産品猫又茶を世界一美味しく入れられるのは、女将さんだけだからだ。
はるか東の国で栽培されていた猫又草は、古くから現地人たちの間でお茶として飲まれていた。透き通るような翠色の水色と、少しばかり苦みの利いた味わいがなんとも癖になる猫又茶は、今やこの国で当たり前の嗜好品だ。
猫好きな女王陛下のお膝元で、友好国となっている東の国では猫又草の巨大なプランテーションが作られ、大量の猫又茶がこの国には輸入されてくる。その猫又茶を入れる研究機関が王室にはあり、その猫又茶研究所がマイスターと認めた人物だけが、この世でもっとも美味しいとされている猫又茶を入れられると言われているのだ。
幸か不幸か。女将さんは、そんなマイスターの一人。それも、最高位の称号を持つ猫又茶の女王なのだ。
「あぁ、本当に猫の手も借りたいわ……。ていってもこの額の大きさぐらいしか脳みそがないあんたに、私の苦労なんて分かりっこないわよね」
ため息とともに出る女将さんの愚痴。もうこれで、何度目だろうか。ぽんぽんとミケの頭を叩きながら、女将さんは嫌そうに眼を細めてみせる。
「誰か私にも、美味しい猫又茶ご馳走してくれないかしら。匂いも嗅ぐのもいやだけど、猫又茶の買い付けにもいかなきゃいけないし……いつになったら休めるの?」
女将さんの言葉に、ぴんっとミケは耳をたちあげていた。その言葉をずっと待っていたのだ。猫の手も借りたいぐらいに忙しいのなら、その猫の手を貸してあげようじゃないか!
「にゃん!」
すくりとミケは立ちあがり、みょーんと体を伸ばしてぽんっとカウンターから跳び下りていた。
「ちょ、ミケっ!」
女将さんの声がするが、ミケは構わず店を出ていく。自分を捕まえようとする常連さんたちの手をすり抜け、股をすり抜け、ミケは行列でごった返す店先へと駆けていく。
「ミケっ!!」
女将さんの叫び声が聞こえてくるが、ミケは構わず舗装されていない泥道を駆けていた。小さい頃も野良をやっていたころにも、こうやって泥道を駆け抜けたものだ。
そんな自分を、女将さんが抱きあげてお店に連れて行ってくれたんだっけ。
いまこそ、その恩返しの時なのだ。
「にゃー!」
すぐに帰ってくるよ。そう女将さんに返事をして、ミケは高速で走る馬車の下を潜り抜ける。女将さんの悲鳴が聞こえたような気がしたけれど、そんなことはお構いなしだ。
ミケが目指すは、町の外れにある西の森。そこに、目指すべき場所がある。
千を生きる竜に聴けば、とっておきの猫又茶のある場所を教えてくれるに違いない。
「にゃー!」
もう一声鳴いて、ミケは森のある小高い丘を目指していた。
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