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 9合目の山小屋には16時前に到着した。ここまでくると、そこら中に万年雪を見ることが出来る。気温も格段に低い。私はチェックインを終えると、早速食堂へ赴いた。定番メニューとなっているカレーを注文し、席に着く。  食堂は、装いもグループも様々だったが、水を得た魚のように皆生き生きとしていた。かくいう私も、カレーを一口二口と食べるごとに身体にエネルギーが満ち満ちていくのを感じた。私は、カレーライスが大の好物だ。キーマカレーも、アジアンテイストのインドカレーも、バターチキンカレーも。妻には、カレーライスを作った時だけ、いつもより食べるのが早いし、美味しそうに食べる、と臍を曲げられてしまったこともある。カレーライスは、日本国民のソウルフードと呼ばれているが、我が家では特にそうだったように思う。実家に暮らしていた頃は、父の作ったカレーライスをよく食べた。即席固形カレーを溶かしたルーにお決まりのジャガイモやニンジンを煮込んだ標準的なものだったが、飽きることはなかった。この食堂のカレーは、その味によく似ていた。  カレーライスを口いっぱいに頬張りながら、周囲を見回していると、親子であろう40代ほどの男性と10歳くらいの子供が目に入った。その親子から見て右後斜めの別のテーブルに私は座っていたが、賑わう登山客の声から選り分け、耳を注意深くそばだてて、親子の会話をそっと傾聴してみた。 ‥疲れたか? ‥まあまあかな、お父さんは ‥若い若い。お父さんはヘトヘトだよ。気持ち悪くないか? ‥全然大丈夫!  会話を盗み聞きするのを辞めて、カレーに視線を戻す。10歳の時の私より、強かな子だなと思う。記憶が呼び戻される。10歳の私は、山小屋に辿り着いた時には、船で揺らされ過ぎた時のような気持ち悪さを抱えていた。恐らくは高山病だったのだろう。私は、夕食を終えた後、たまらず、食堂の地面に食べたものを吐いてぶち撒けてしまった。あの時も、恐らくはカレーライスだったような気がする。その前後の記憶ははっきりしないが、下山しなかったことを考えると、吐いてスッキリしたのだろうか。父は‥父はその時どうしていたのだろう。私の事を心配してくれて、背中をさすってくれたりしたのだろうか。肝心の父の記憶は、思い出すことが出来なかった。  私は、カレーライスを平らげ、2階の大部屋に戻ることにした。
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