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 8時の消灯時間に合わせ、私は寝袋に潜り込んだ。山小屋の大部屋は、男女の区別もなく、雑魚寝の状態で、芋虫のように丸まった人間が敷き詰められている。一人当たりのスペースは、一畳あるかないかといったところである。目を閉じてはみるものの、ちっとも眠れる気はしなかった。この時間に就寝することは最近ではそうそう無い。環境的にも、赤の他人と肩を寄せ合って寝るという状況は、滅多にあるものではない。衣擦れの音、小さな押し殺したような話し声、階下の食器を片付けるような音が全て耳に入ってくる。耳栓を持ってくれば良かったな、と後悔した。必死に眠ろうと、月並みに羊の数を数えるようなことをしても、羊たちは、あちらこちらに散らばって、私の意志とは関係なく動き回る。急にタップダンスを始める羊、テーブルに座って食堂で聞いた親子の会話を繰り返す羊、野原に寝転ぶ羊と十人十色だ。羊を人として数えるのも、おかしな話だが。  仕方がないので、眠ることに執着することをあきらめ、私は思考の舵取りを、脳が思うままに任せることにした。漕ぎ疲れた頃に、私はいつの間にか眠りについていることだろう。先ずは、家に残してきた妻のことを考えた。私が居ない間、ゆっくり気兼ねなく過ごせているだろうか。この夏に、一人で富士山に登りたいと言った時は、身体だけは気をつけてと言って、気前よく送り出してくれた。妻は、いつも私の身体のことを気遣ってくれる。結婚して二年が経ったが、家で作る食事は、栄養バランスの良い組み合わせをいつも模索してくれている。そう考えると、やはりカレーライスを事あるごとに食べたがるのは、嫌味のように感じたかもしれない。父はどうだったのだろう。何故カレーライスを頻繁に作ってくれたのだろう。多く作れば、冬場でも二人分の食事が何日分か持ち、楽だったから。深く考えずとも、私が不満を言わずに食べただろうから。今思いついた理由は大いにあり得ると思えたし、その他でもあるとも思えた。恐らくは複合的なものであるし、実情がどうあれ、もはや確かめる術は無い。
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