<第二十九話~悲劇の英雄~>

4/4
19人が本棚に入れています
本棚に追加
/120ページ
「る、ルイン大佐……」  エスメアが驚愕の声で男の名前を呼ぶ。ルイン、と呼ばれた男はもがくアオの腕を踏みつけて鼻を鳴らした。  男から感じるのは――明確なまでの憎悪と、怒りだ。 「安心しろエスメア、足を撃ち抜いただけだ、致命傷ではない。……だが、まさかお前を派遣してここまで手こずるとはな」 「も、申し訳ありません……」 「お前は優秀だが少々詰めが甘い。……女王陛下の言葉と我々の最大の目的、同時に達成する方法は充分にあるというのに」  再びアオが動きだそうとする、気配。彼は魔導士だ。動きを封じられていたところで本来、魔法が制限されるということはなかっただろう。  だが、そんなことはルインと呼ばれた大男も百も承知であったようで。 「がっ!」 「アオ!くそ、やめろこのデカブツ野郎!」  アオの集中が途切れるように――再び銃弾を撃ち込んで見せたのである。アオの肩から血が吹き上がった。理音は立ち上がろうとして――脚に走った痛みに呻く。  こちらは弾がかすっただけの傷だ。それでも抉れて焼けた足はじんじんと無視できない痛みを発している。立ち上がることはできるだろうが、とても走れる状態ではない。ましてや、鍛え抜かれた異星人の軍人に太刀打ちできるとは思えない。 「奪われた宝のうち、兵器の知識は諦めよう。確かにクライシス・コードは惜しいが……我らファラビアにどうしても必要なモノではない。だが。……女王陛下の御子は話が別。神の血を引く跡継ぎがいなければ我らの偉大な惑星は必ず滅ぶ……そのようなこと、断じて認めるわけにはいかない、そして」  男は乱暴にアオの体を仰向けにすると、傷ついた肩をぐりぐりと踏みつけた。そして。 「陛下は“貴様を必ず生きて連れ戻せ”とは言っていない。そして我々も本当に必要なのは貴様ではなく……貴様の腹の子供だけだ」 「お、お前!まさか……っ!」 「そうだ。腹の子さえ連れて帰れたならロックハート、貴様がどうなろうと関係ないのだ。基本的に流産しないとされるガイアの民、胎児が丈夫なのは有名な話。我々の科学技術なら、超未熟児であっても充分に育てることは可能だ」  まさか。まさか、まさか!  理音は絶句するしかない。あのルインとかいう男は、アオの腹を引き裂いて子供を奪おうというのか。 「は、はは……」  それを聞いて。痛みに呻きながらも、アオが乾いた笑い声を上げた。 「やはり、そうか……!貴様らは正真正銘、人の皮を被った悪魔だったというわけだ……っ」 「何とでも言えばいい。貴様にとって最も大切なものが友であったというのなら、我々にとってはそれが神であり女王陛下であるというだけのこと。陛下には、貴様は追い詰められて自害したとでも言っておく。死体を持ち帰れという命令も受けていない……なんとでも誤魔化しはきくからな」  すらり、とルインは腰から長剣を抜き去った。冗談だろう、としか理音には思えない。本当にこの男はそこまでするというのか。異星人で罪人とはいえ――母親の腹を切り裂いて子供を奪い取ると?  そのような真似が何故許される?何故、そのような冷徹な真似が出来る? ――ふざけるな。お前らの……お前らの事情なんか知るか。何でアオがそんな目に遭わされなきゃいけねーんだよ! 「る、ルイン大佐……まさか、本当に……」  エスメアは動揺し、完全に動きを止めている。彼はまだ人の心があるのだろう。だが、そもそもが熱心なファラビア教とやらの信者。信仰心は、容易く良心の天秤にかけられるものではない。  このままではアオは殺されるだろう。生きたまま腹を裂かれて、望んだ子ではないとしても――我が子を正しく産み落としてやることもできず、奪われて。 ――冗談じゃねえ。  ぞわり、と。全身の毛が逆立つ感覚があった。ああ、幼い頃一度だけ。たった一度だけ本気で怒ったことがある。苛められて、クラスメートにからかわれた言葉。お前なんか母ちゃんにだって嫌われてるくせに、というあの言葉がどうしても許せなくて理音は――。  やってはいけないことを、した。  己の力ならそれも可能だろうと思っていて、それでもギリギリの理性で自重してきたことを。そうだあのクラスメートはどうなったのだろうか。おかしくなってハサミを振り回して、そのあとは?  確かなのは理音が母親に血が出るほど殴られたことと、父親に氷のような眼を向けられたということ、それだけ。 ――もう二度とあんな事件だけは起こすまいって思ってた。でも。……今、他に……アオを助ける方法がないなら。  ルインが刃物を振り上げるのが見える。  アオは、理音を救ってくれた。そのアオが今まさに殺されそうになっている。ならば、例えそのアオに忌み嫌われることになったとしても、自分は。 ――助けたい。……俺にしかできない、そうだろうっ!?  腹は決まっていた。恩返しをするなら今しかない。だから、理音は。 ――ありがとう、アオ。……そして、もしかしたら……さよなら。  カッと見開いた眼でルインを睨み――己の持ちうる力のすべてを解放したのだ。
/120ページ

最初のコメントを投稿しよう!