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シャープペンシルが紙の上を走る。カリカリと引っ掛かるような感触を手に感じながら、頭に思い描いた風景を移していく。
「ふう。こんなもんかな」
手で消しかすをはらい、紙を持ち上げた。
スマートフォンを開き、カメラで絵を撮った。考えられるだけのハッシュタグをつけ、ネットに投稿する。
しばらくするとピロリンと通知が二回ほどなった。アプリを開くとハートマークの横に2と数字がカウントされていた。いつも通りの数。いや、いいねされているだけましかもしれない。
「はぁ~眠」
椅子から崩れ落ちるようにして布団にもぐりこんだ。生活習慣が乱れてから眠くなることが多くなった気がする。
「昨日8時間は寝たんだけどなあ。まだ昼なのに……」
目をつむると、いろんなことを考える。私の場合は主に絵のことなんだけど。
描きたいものと求められるものが必ずしも一致するとは限らない。自分のやりたいことをやるか。ぶれてでも承認欲求に走るか。
ぐるぐると思考をめぐっていると意識がだんだんと薄れていき、気づけば気づかないうちに眠っていた。
「ぐぎぇ」「おぎゃあっ」「ぷぎゃ」
なんだか奇妙な声が聞こえる。
ぱちゅん。と、弾けた音の後に短い断末魔のようなものが聞こえる。
「んなっ。どこだここ」
目を開くと、知らない天井だった。と言いたいところだが、そこには室内どころか空が広がっていた。ただ、それは普段見慣れているものではなく、真っ赤に染まった空だった。
肘をついて上半身を起こす。少し遠くに人影が見えた。目をしかめると赤いマフラーをしたセーラー服の女の子がエレキギターを振り上げ、何かをつぶしていた。
そのなにかは中学の時の理科の授業。教師の話も聞かずに開いていた資料集に記載された動物の内臓の写真に似ていた。
だんだんとその少女が近づいてきて、気づけば目の前まで来ていた。
「あれ? 君ダメじゃん、こんなとこに来ちゃ。そうだよ、だめだよ、早く帰りな」
特徴的なしゃべり方をした彼女は腰を折り曲げて、私のことを上から覗いた。
黒く艶めかしい髪がベッドの天蓋のように垂れている。精密なストックの髪飾りをしていた。
目隠しをしなかった福笑いのように整った顔の彼女に見とれていた。そんな私を見つめ返した彼女は内臓モンスターを潰した時と同じようにエレキギターを振り上げた。
ゴンッ
瞬間の痛み。あとはただ熱さだけが頭に染みわたる。絶対、出血してる。意識が頭から漏れ出すように溢れ出て、頬を液体がつつった。
再び意識が戻ってきたとき、見慣れた天井があった。
「変な夢を見た」
生きることを思い出した電気仕掛けの人形のように起き上がる。突然、起き上がったから、体と意識が別に動いたような、幽体離脱に似た感覚に襲われる。幽体離脱したことはないけど。でも、貧血を起こすたびにそんなことを想像する。
寝ぼけ眼を覚ますために歯を磨き、再び机に向かう。
40分くらいで一枚の絵が描きあがる。いつものようにスマートフォンを開こうとして、やめた。
この絵は『求められている絵』ではないから。新しい紙を引き出しから出した。
「さっきの夢でも描こうかな」
夢という霞のような記憶を、おもちゃをばらまいた子供のようにかき集めた。断末魔を上げる内臓モンスター。二人分の台本のセリフを読み上げているような変なしゃべり方の少女。
「でも、かわいかったなあ。変だったけど」
一つ一つの出来事を縫い留めるように絵を描いた。50分後、机の上には『求められている絵』があった。
「うおっ。いい感じ。調子がいいな」
すぐさまスマートフォンを開いて写真を撮った。
適度な空腹を感じ、リビングに向かう。冷蔵庫を開けても大したものがない。炭酸飲料とロールケーキというミスマッチ極まりない組み合わせを喉に通らせる。
「ふわぁああ」
少しおなかが膨れると、また眠くなった。私はもう睡眠と食糧を絵に変えるロボットになったのかもしれない。
布団に入り、さっきの自分の投稿を見ると20もいいねされていた。
「やばっ。最高記録更新じゃん。またあの夢見れるかな~」
腹が満たされ、承認欲求も満たされた私は、睡眠欲を満たし始めた。
瞼を開くと、またあの赤い空が広がっていた。
「よしっ。また来た」
「あれ、また来たの? 本当だ、また来てるね」
上から赤いマフラーの少女がのぞき込んできた。
「うわあっ。びっくりした」
「私のほうがびっくりだよ。ね、びっくりしたね」
「私この世界について知りたいんだけど……」
「ふーん、なんで? 変な奴、どうしてだろうね」
この世界を絵にするといいねがたくさんもらえるの。とは、さすがに言えなかった。
「まあ、いいけど。別に構わないけどね」
「本当!? やったあ」
「こいつら処理しながら行くから。うん、そうしよう」
両手で握ったエレキギターを処刑人が断首するように振り下ろす。
「シャルル。そのモンスターなんなの?」
赤いマフラーの彼女はエレキギターを頭の上で振り上げたまま静止して私のほうを向いた。名前を知らないし、どうせ私の夢の中だから彼女のことは勝手にシャルルと名付けた。
「シャルル? シャルルって呼ばれてる、なんだろうそれ」
「いや、勝手に名前つけちゃったけど、だめだった?」
「いや、構わないけど。あんま気にしてないってさ」
シャルルは特に嫌そうな顔はせずにエレキギターを振り下ろした。
ぱきゅんと弾ける音の後に「ぴぎぇ」と短く断末魔。
「空赤いでしょ? あのね、朝も昼も夜も真っ赤なの」
「確かに。でもなんで急に空の話?」
「こいつらのせいなの。この熟成トマトたちが空を赤くしてるの」
「……熟成トマト」
「私、本当は黄色が好きなんだよねー。レモンイエロー yeah yo !!」
シャルルは基本表情を変えないけど、もしかしたら今は気分がいいのかもしれない。言動が深夜の私によく似ている気がする。脳が疲れ切って、頭に浮かんだ言葉が煮込まれたスープみたいに口から出てくるのだ。
「うん。こいつら殺すと空が好きな色になんの。だから黄色にするんだ」
それからシャルルは内臓モンスターを黙って潰し回っていた。
沈黙もなんだか気まずくて、私は彼女に質問をすることにした。
「この世界に他に人はいないの?」
「いるよ。でも最近人に会ってないね。確かにそうだな」
「なんで一人なの?」
「黄色が好きだって言ってたら周りに人がいなくなった。そうなの、みんな赤が好きなの」
夢の中でもそういうことがあるのか。私の絵と一緒だ。多くの人に受け入れられる絵と、受け入れられない私が好きな絵。後者のほうが描くのは楽しいけど、人に見られなくちゃ意味がない。少なくとも、私は人に絵を見せたくて描いているから。
「シャルルも赤が好きって言わないの?」
「なんで? だって私が好きなのは黄色だよ? そうだよね、赤ってちょと明るいけど暗いよね」
だって、それじゃ誰にも承認してもらえないじゃん。そう言おうとして、やめた。純粋な好きの前で、その言葉は言い訳でしかないからだ。
「私もう帰るね」
「そっか。まあ、もともと来ていい場所じゃないしね。本当だよね、最初びっくりしたんだから」
彼女は私にエレキギターを構えた。殴られないと帰れないのか……。
ゴンッ
また頭から意識がドバドバと溢れ出る。ただ、今回はシャワーを浴びたようにスッキリした。
目を開けると同時にあくびが出た。絵を描こうと思った。自分の好きな絵を。
「よし、やりますか」
指を組んで伸びをする。背中がパキパキなった。
普段、いいねがつかない私の描きたかった絵を描いた。シャープペンシルの先ががりがりと紙に引っ掛かる感触が伝わる。
描き終わった絵を賞状をもらう小学生のように両手で広げた。しまいかけたスマートフォンを取り出し、カメラを起動させる。
画面には電子楽器ほどの大きさの絵筆で空を塗る、黄色いマフラーのセーラー服少女が見えた。
アプリに絵を投稿した。ハッシュタグはつけなかった。
「腹減ったな」
スマートフォンを机の上に置いて、部屋を出ていった。
誰もいない部屋でアプリの通知が鳴った。
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