紅の美紅

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 人気のない境内。赤いカットシャツにデニムを履いた少女が手をひらひらと動かしている。指先からは次々と赤い花がこぼれ落ち、少女の足元を赤く染める。最後に少女は指先から赤い蝶を出した。蝶は少女の指から肩へ肩から背中から頭へと少女が体をしなやかに動かすたびにその場所を変えるが、決して落ちることはない。最後に蝶は少女の口にキスすると掻き消えるように姿を消した。少女は満足そうに一息ついた。やっと成功した。  数日後、少女はマジシャン”紅の美紅”としてマジックの新人賞を獲った。そしてめきめきと頭角を現し、スキャンダルで消えた。 「最近どうだ。もうかってんだろ。裏カジノ」 「馬鹿言え。取り締まりが厳しくてやりにくいったらねえよ」  男は煙草に火をつけた。 「それに、妙な女が出入りしてよ。売り上げ大半持ってっちまう」 「そんなもん。奥に呼んで置いてってもらえばいいだろうが。おまえんとこ、そういうの得意だろ」 「いやそこが不気味でよ」 男は顔をしかめた。 「不気味?」 「置いてくんだよ。一割は持って行くが、後は言われたまんま」 「置いてくのか」 「ああ」 「よっぽどこわかったんだろうよ」 「怖いのはこっちだ。がらんどうの真っ暗な目ぇして無言でチップ放り出すんだぜ。それに怖いと思ったんなら二度と来ねえよ。次の日、何にもなかったようにやって来ちゃ、大もうけ。そうそう奥にばっかり呼びつけちゃ、他の客に障る。あの日の売り上げを上に報告したときはマジで震えたさ」 「毎回、勝つってのか。その女。イタズラしてんじゃねえのか。」 「イカサマってことか? やってるに決まってるだろ。あんな勝率、あり得ねえ。だが、現場がどうしても押さえられねえ。あとで調べてもなにも出てこない。ただただ、勝ってるだけ。普通の人間じゃ払えねえ額の勝負をぽんぽん受けて黙々とチップ積み上げる。だが、言われりゃ、金を返す」 「そりゃ、おかしくなってんだよ。その女。ギャンブル依存症ってやつさ。金なんかどうでもいいんだよ」 「だったらイカサマの理由がつかねえ」 「出禁にしろよ」 「上からもそう言われてる。近々そうするつもりだ。だが」 男に苦笑いが浮かんだ。 「客足はちょっと減るだろうな。あの女目当ての客が」 「そんなにいい女なのか?」 「顔はまあ、大元は悪くねえんだろうが、なにせ化粧っけがまるでない。真っ黒な格好も相まって不気味なだけなんだが、手がな」 「手?」 「そう。カード、サイコロ、牌。流れるようにいじるんだよ。手つきに華がある。ディーラーにしたら大成したろう。だれだってあの手つきに魅入られちまう。打診したが、断られた。惜しいことをした」 「何もんだ?」 「さあな。単なる素人じゃねえよ。だが、こっち側でもない。それだったら俺が知らねえわけがねえよ。言ったろ。不気味って」 「フルハウス」  美紅がカードを返すと、ほかの客はカードを叩きつけた。チップが美紅の前に積まれる。勝って当たり前だ。イカサマをしているのだから。最初から勝敗が決まっているゲーム。無駄な時間とあぶく銭。もちろん、イカサマがばれればただでは済まない。よくて出入り禁止。悪ければ五体満足で帰れるかどうか。だが、美紅はそんなことどうでもよかった。何もかもがどうでも良かった。  あの日、マジシャンの道を絶たれてから。美紅が所属していたマジック団の団長に不正の全てを押しつけられたあの日から。団長は暴力団絡みの仕事を事務所に内密で受け、そのギャラを着服していた。美紅は偶然それを知り、告発したが、気がつけば首謀者になっていた。反論は全て徒労に終わった。美紅は退団を余儀なくされた。探せば彼女を受け入れるところはあったかもしれない。だが、美紅は疲れていた。いじめられようが、道具を壊されようが隠されようが、欠かさずやったマジックの練習も手につかないほど疲れていた。練習をしなければ腕が錆び付く。それに焦燥すら感じなかった。もう、紅の美紅はいない。いるのはマジックに心を動かされなくなった田所美紅という女だけだ。  あてもなく繁華街をさまよっていた美紅がカモられたのはある意味当然だった。見らぬ人間の甘い声のままにしていると気がつけば借金が出来ていた。美紅に返せるわけもなく、裏カジノと呼ばれる場所に連れて行かれた。 「ここならすぐに借金を返せますよ」 目的は美紅にもわかっていた。借金は返せるどころか膨らむ一方だろう。それでも別に良かった。だが、美紅は見抜いてしまった。カードも麻雀もチェスもサイコロも全てのからくりを見抜いてしまった。美紅はそれを逆手にとって大金をせしめた。ごねられるかと思ったが、男は素直に金を払い、借金はチャラになった。あとから考えれば、ギャンブル依存症にしてからでも遅くないと思ったのかもしれない。今回のことはビギナーズラックだと。勝ち続けている内に、男は消えた。美紅の借金のことで責任を取らされたのかもしれない。だが、美紅にはどうでもよかった。自分の生き死にすらどうでもいいのだ。ましてや他人など。美紅は裏カジノに入り浸った。今更まっとうに生きる気力はなかった。美紅は裏カジノすら次々出禁になり、とうとう裏カジノより危ないところへ出入りするようになった。そこで惨めに死んでいくのが自分にふさわしい気がした。 (この勝負も決まりか。まあ、稼いだ分、そのまま持ってけるわけないけど、二三日は食ってけるぐらいあれば別に) そんなことを思いながら、カードをめくるフリをして袖口からカードを出そうとした。次の瞬間、どっと汗が流れた。指先が震える。 「どうした? 早くしな」 負けがこんでいる客がいらだちの声をあげる。美紅は顔を上げた。いつの間にそこにいたのか。赤いドレスをまとった女がじっとこちらを見ている。その視線は恐ろしい程、透明でまっすぐだった。 (このひとは見抜こうとしている。イカサマを) そんな視線、幾度も浴びてきた。マジシャンの頃から裏カジノに出入りするようになったいままで。だが、こんなにもまっすぐな目をされたのはいつぶりだろう。美紅はその視線を真っ向から受け止めた。忘れていた昂ぶりが美紅を包み込んだ。 (見抜けるもんなら見抜いてごらん) 美紅は微笑んだ。伏せられた自分のカードに指を走らせ、新しいカードをめくる。 「コール」 赤いチップを無造作に積み上げ高らかに宣言した。 その動作のなめらかさに客どころかディーラーまであっけにとられた。次の瞬間、赤いチップが宙に舞った。今度は客やディーラーだけでなく、美紅まであっけにとられた。赤いドレスの女が、美紅の前のチップを蹴散らし、美紅の手を掴んだ。そのまま有無を言わさず、出口まで引っ張られる。女が笑う。 「ばかね。やりすぎよ。正体ばれちゃう」 風で美紅のカードが舞い上がった。 「ハートの、ロイヤルストレートフラッシュ」 客のつぶやきは美紅の耳に入らなかった。その時はもう、ふたりの姿はどこにもなかった。  気がつくと人気のない境内にいた。この場所を美紅は知っている。マジシャンになると決めてから、よくここでマジックの練習をしていた。家でやるには狭すぎる。 「あなた一体」 赤いドレスの女は無言で拝殿へと入っていった。慌てて追いかけ、拝殿に入ろうとしたが、寸前で戸が閉められる。急いで開けると鼻先になにかぶつかった。赤いお守りだ。少し色あせている。拝殿に入るとそこには誰もいなかった。赤いドレスの切れ端が賽銭箱に引っかかているだけだった。 (まさか、あのひとは……いや、神様なんて信じない) 美紅は賽銭箱にお守りを入れた。代わりにドレスの切れ端を掴む。 (神様なんて信じない。でも、あのひとはあたしを確かに知っていた。ここが私のスタートだったって事も。何よりあの目は) 本当は、スリーカードにするつもりだった。それで勝てたからだ。だが、見抜かれると思った瞬間にロイヤルストレートフラッシュにしようと思った。今持っている自分のすべての技術をかけて、このひとの鼻を明かしてやる。それはマジシャンに失望した田所美紅ではなかった。紅の美紅だった。 (正体がばれちゃう、か) あの時、自分がどんな顔をしていたかはわからない。でも、きっと紅の美紅の顔をしていたのだろう。多分今も。マジシャンに失望した日、紅の美紅は死んだと思った。違った。美紅が勝手にしまいこんだだけだった。あのドレスのひとはそれを引きずり出したに過ぎない。引きずり出してしまったらもうしまえない。それならもう、紅の美紅として生きていくほかないのだ。美紅は赤い切れ端を髪に結ぶと歩き出した。これから苦しい道のりになるだろうと思った。だが、あの胸の昂ぶりを体が覚えている限りもう止まれないのだ。紅の美紅の復活は案外、すぐそこなのをまだ当人は知らない。
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