閉幕

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閉幕

 にわかに色めき立つ夕の参道を歩いていた。前から後から押し寄せる人の流れ。こうしているとまるで、川を流れる笹舟のような気分になってくる。  立ち並ぶ針葉樹は壮々たる樹齢を感じさせ、天まで届けと直立している。そんなものが幾つと言わず立ち並んでいるのだから、道が森の天蓋に蓋をされたようになっていた。  騒がしい祭りの夕暮れ時に、俺のような異物が何故ここにいるのかと自問する。是非もない。さっきからずっと人混みに視線を走らせ、人を探しているのだ。  ――季節は春。この町の祭りも今日で終いだ。流れ者の俺たちが、春先に通りすがりの町で祭りに出くわすなど考えてもみなかったが。  溜息も出よう。お陰で連れ添いが狂喜し、意気揚々と宿を出ていってこの有り様だ。一人で行けばいいものを、何を血迷ったのかあの女、こちらが腰を上げないと見るや俺の財布を盗んで行ったのだ。  おかげで俺は後を追い、こんな祭りの渦中を押し流されることとなってしまった。  足元は、踏みならされた桜の花弁どもの残骸が、書に挟まれた押し花のようになっている。  それをまた上から踏みつけ、視界を覆うほどに歩いて行く人間の壁。  騒がしい声に頭が痛くなってくる。こんな人混みの中から女一人を探しだすなど不可能だというのに。 「――――よ、旦那。案外早かったね。あはは」  俺の背中を軽く叩く財布の感触。どのような法術か視力か、あやめはこの人混みの中からあっさり俺を見付け出してしまったらしい。  差し出された財布をぶん取って中身を確認するが、俺は顔をしかめた。 「おい、あやめ」 「何さ旦那、女の誘いを断るような“ぶ男”が、一体何を偉そうに文句垂れようって言うんだい?」  そう言って金遣いの粗い女狐が、狐のようにしめしめと笑った。あやめの両手は手土産でいっぱい。間違っているのは、俺か? 「はぁ、もういい。俺は帰るぞ」 「なにさ旦那、せっかく傷も完治して、自由に外を出歩けるっていうのにさぁ。そんなんじゃ、部屋にこもって寝るだけのかたつむりになっちまうさね」  言い得て妙ではある。このところ俺は、延珠の里からの襲撃を警戒して外出を控える事が多い。土台流れ者の旅人なのだ。そのうえ逃亡中の身とくれば、休息くらいは静かに安全に過ごしたいと思うのが当然だろうに。 「――ま。それもまた、人間らしくていいけどね。あーりんご飴おいしい」 「…………」  気が付けば喧騒の中で、俺はあやめの隣を歩いていた。寂れた夕日がすべてを退廃に照らしている。  ――少し前、俺たちは死にかけた。延珠の里の忍び共相手にたった二人で乱戦を強いられ、なんとか殺しきったものの俺たちとて死体同然の身だった。  俺は気を失い、あやめは俺を引きずって小山を下った所で力尽きた。もはや死ぬしか無い。そんな俺たちの運命を書き換えたのは、ある一人の老人だった。  最先端の西洋医学を持っているという爺さんだ。気が付けば俺たちは老人の家で眠っていた。あの日死ぬはずだった俺たちは、老人の気まぐれに命を救われ、そして死に場所を失ってしまった。  あの坊主頭の老人に言わせれば、医者がけが人を救うのは当然のことであるらしいが。医者と暗殺者。殺すしか能のない俺からすれば、真逆に立つあの爺さんの考えなど分かるはずもない。  隣ではしゃいでいるんだか怒っているのだか分からない女といい、変わらず着物を着崩した佇まいも椿の入れ墨も人目を集めていて、つくづく世の中というのは訳の分からない連中で埋め尽くされているのだなと納得した。  並べられた赤提灯の列を見上げて物思う。立場を失くし、里に追われ、俺たちは一体これからどこへ向かえばいいのだろう――。 「………………」  その時、ざぁぁぁと向かい風が吹いてきてみな声を上げた。俺はぼうっと立ち尽くしていた。ようやく辿り着いた鳥居を見上げて、その向こうにまっすぐ本殿まで伸びている石畳に既視感を覚えたのだ。  いつどこだったろう――あれは確か、冬のよく晴れた日のこと……。 「――――似ているね。あの、旦那と初めて出会った場所に」  記憶をなぞるように顔を向ければ、そこにまた、あの日と同じ女が立っている。  そしてまたあやめは足を止め、鳥居の向こうを静かに眺めて微笑むのだ。意味深に。意味の不明な優しげな横顔、それはあやめが時折みせる表情だった。  いつもそう。あやめは不意に足を止め、そこにある光景を堪能するように静かに微笑むのだ。 「……いつも見ているな。そんなに楽しいものなのか? たったこれだけのものが。」  俺もあやめと同じ景色を見ているはずなのに、心震えることなど何もない。まったく我が事ながら嫌な感じだ。さっさと終わらせてさっさと帰りたい、などと考えている。 「え、なんで? 楽しいに決まってるじゃないのさ。祭だよ祭。“たったこれだけ”といえばまぁ、それはそれで一理あるんだけどね」  俺たちはこれからも旅を続けていくのだろうか――遠く霞んだ山々を見ていると気が滅入る。一体いつまで? 犬と共に閉じ込められたあの牢に、今度は一人で詰め込まれてしまったような気がしていた。  ただ死を待つというのは、殺しに慣れた俺からしてもなかなかに堪えるものだ。投げやりになるなというのがまた難しい。自棄を起こしたように益のない行いをしている気がする。そんな俺を見てあやめは最近、「人間らしくなった」などと褒めるのだが理解不能。  俺は探していたのかも知れない。いつ、どこで俺の首に介錯の刃が振り下ろされるのだろうかと。しかしそのようなものは現れなかった。襲ってくる忍び共を殺すたびに思うのは、やはりどうしようもなく人間といういきものは壊れやすいということだけ。  あやめの視線を追えば、今度は金魚すくいのところではしゃぐ小さな姉妹を見ていることに気付いた。また微笑んでいる。他人など見て何が楽しいのやら―― 「先に帰るぞ。お前も、いつまでも遊んでいないで戻って来い」  早々に背を向ける。付き合っていられない。しかしあやめの背中は、からかうように言ってきた。 「どうして? 遊びの何がいけないんだい」 「何?」 「ねぇ旦那、一度しか言わないよ。世の中には素敵なものが溢れているね。情愛や友人とのひとときに財なんてわかりやすいものに限らず、幸せそうな笑顔や楽しそうな他人の会話、物珍しい何かに美味しい何か、その気になればきっとそこの石塀のコケの生え方にだって美を見いだせる」  不意に記憶が蘇った。この旅で、俺とあやめは何を見てきただろう。たくさんの景色があった。またたくさんの他人たちがいた。  そのひとつひとつにあやめは微笑み、そのひとつひとつを俺は省みることなどなかった。路傍の石だと捨ておいた。それはおかしなことではないはずなのに。  なのに、まるで狐に化かされているようだ――振り返ったあやめの表情は無垢で。  ――――恐らくは、他人ではなかった者たちの表情ひとつひとつも含めて。  自分の感情の揺らめきも、  あやめの言葉のひとつひとつも、  気を付けなければ見過ごしてしまう他人の行動や機微でさえも。  そして痛みも。  世の中には、無視しようよ思えば無視できる“つまらないもの”で溢れかえっていた。 「“たったそれだけのこと”に重きを置けないのなら――――旅も人生も、きっと殺風景で淋しいものになるよ。」  ――ここに、ひとつの回答を見る。  桜吹雪が舞い散る中で、ひとりの女が誇らしげな椿の枝のように笑っていた。いつ首を落とすとも知れない花が。  ふと自分の周囲を省みれば花、花、花。菖蒲(あやめ)も椿も桜も、俺にとってはどうでもいいものだと切り捨てていた。  無意味だからと考えもしなかった。意味のない思考に費やすなど時間の無駄だ、ましてやそこに感情を向けるなどあまりにも浪費にすぎる。  だが――果たして。 「? どうしたんだい旦那、あ、もしかして酒でも飲みたくなった? だろ? 分かってるってぇあはは」  ばしばしと背中を叩かれて、先の思考をあっさり忘れた。俺はようやく女の頬に朱が差していたことに気付く。 「……酔っているのか、あやめ。」 「ああ、酔ってるよ旦那。あっちのほうにうまい飲み屋があってねぇ、どうだい、私も飲み直したい気分なんだけど」  さて、どうしたものか――。  こちらは意味のない時間を過ごすのは本意ではないのだが、しかし、だからといって。 「………………そうだな……」  顔を上げれば、祭り囃子の絶えない喧騒。耳に、遮断していた他人たちの声が聞こえ始める。目に映るすべてが極彩、多すぎるものが混ざり合ったまるで波の模様のような色の羅列。  そんな光景の中に俺自身もまた立ち、ここに実在していた。  色あせた森の向こうに姿を隠していた夕日が、いままさに沈んでしまおうとしている。失われていく彩度に、光に不意に少し不安になった。しかし。 「夜にはものすごい数の燈籠をともすんだってさ。参道の両端に並べて光の道を作るんだよ。すごいよねぇ、ねぇ見ていこうよ旦那。酒のんで浮かれて、ほろ酔い気分で地上に落ちた天の川渡って帰ろうじゃないのさ」  渡るのではなく、流されるのだがな――  そのような意味のない言葉を言い返そうとして止まった。大樹に紛れていたらしい。松の木とおぼしき枝の先が、俺の目の前で、まるで手を差し伸べてくるかのように(こうべ)を垂れてきていたのだ。  それを見て俺は小さく口の端を吊り上げてみた。まったく意味のない、思いつきにも似た“ただそれだけ”の微笑みだった。             /修羅
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