第1話

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第1話

 雪の冠を被った椿が、差し込む真昼日に明るく照らされていた。滴り落ちる透明なしずくが柔らかい陽光に溶け消えていく。  整然とした長い長い石畳――まるで畳張りの大広間でも見ているような壮観さの先に、黒い鳥居とつつましやかな祠。名は知らない。森の奥でひっそりと埋もれていた未知の祠を、どこかの物好きが我がものとして整備し直したのだと噂が流れている。  神棚だって調度品の一つだ。少なくとも裕福な人間にとってはそうなんだろう、その財を貧乏人にでも分けてやれば身売りを迫られる女だって減るだろうに――。  まったくもって、旅人である自分の知った事ではないが。  笠を持ち上げ白い木漏れ日を見上げると、眼が痛いほどの眩しさに眠気が押し寄せてきた。そんな折、ようやく待ち人が現れたのだ。 「あいやお待たせ。あんたが、話の通りの小太郎さんかい?」  溜息がこぼれた。待ち合わせの時刻も何もあったもんじゃない。どこか遊びなれたふうな、顔を見なくても分かるような派手な女の声だった。 「ああ――――あんたが、千月(ちづき)あやめか。ずいぶんと遅かったな」 「こりゃ失礼。いやねぇ、途中で川上からどんぶらこっこと、おーきな桃が流れてきてねぇ、引き上げるのにずいぶん苦労したんさぁ」  刺すつもりで視線を向ける。目付きが恐ろしいとはよく言われるが、少しくらい怖がらせておいてもいいだろう。  しかし目が合った所で女はまるで物怖じしない。それどころか興味深そうでさえあった。 「ありゃ? なんだ、用心棒っていうからどんな無骨者がくるかと思ったら、男前じゃないのさ」 「小太郎だ。用があれば言え。ではな」  早々に別れを告げて歩き出す。けたたましい声を上げて追ってくるが、何なんだこの女。着崩しきった緋の着物、まるでもクソもなくこれは遊女だ。そいつが、アホ面晒してもぐもぐダンゴなんぞ食っていやがったのだ。 「ちょっとーぉ! 待ちなよ旦那、用心棒! 用心棒がこの可憐なご令嬢を置いてどこへ行こうっていうのさーぁ!」  歯噛みしながら任務内容を確認する。そもそも、俺の任務はどこぞの良家のご令嬢を護衛すること。それが、何故こんな遊女。この手の派手な女は大嫌いだ。  ――――――抹殺せよ。 「………………」 「ねーぇ、旦那! ダンゴあげるから待っとくれー! あんだんご? みたらし? それともこっちの三色かい!」  冷たいものが胸の内に落ちた。足を止め、もう一度女を見返す。よく見れば確かに美しいのかも知れない。血統のよさそうな顔立ちをしている。口ぶりや化粧に誤魔化されそうになるがまだ十代終わりごろなんじゃないか?  これが標的。ならばもう、それでいい。 「……お? やっぱり男前さね。さぁ小太郎の旦那、笑ってみせておくれよ」  くだらない。 †  女の旅路は、松谷(まつや)街道というこの道を南の方へ下っていく旅だった。あてどない。伊勢参りのような目的地を持ったものでさえなく、足の向くまま気の向くままといった物見遊山の極みだ。  いっそうあきれて言葉も出ない。道中、顔を合わせることもない。女はみっともなく声を荒らげていた。 「悪かったよ旦那、待ち合わせの時間ほっぽってだんご食ってたことは謝るからさーぁ!」  知るか。 「はー。つれない旦那やねぇ」  そう言って遊女は、花の蕾のような唇で竹串を揺らし、不承不承ながら黙って歩き始めた。  本当にこの女は何なのか。  不意にすすきの群れを見つけては、薄ぼんやりと足を止める。田園風景を見咎めてはまた足を止める。いかな歩きやすい街道とはいえ、この調子では日が暮れてしまうだろう。  ……日が暮れる?  どのみち、気の向くままに日が暮れるまで歩くだけの旅だと思い返した。少し歩調を緩めておく。 「――お。旦那、ようやく私の歩幅に合わせてくれる気になったのかい」 「ああ」  俺の旅ではないのだ。いつまでも片意地張っているわけにもいくまい。ひとまず先から気に掛かっていたことに言及する。 「……夜になると冷えるが」 「あん?」 「その格好は正気か? もう冬だぞ。じきに雪も降る」 「あー」  白い首元を晒し、鎖骨の椿の入れ墨を見せつけるような遊女じみた姿は酔狂極まりない。旅の何たるをまるで理解していない、ある意味箱入りの発想だった。 「寒さには強いのよ――なんて。寒くなったら着込むさね。それまでは、どんな格好をしようがあたしの自由」 「左様か」 「ええ、左様。案外いい所あるじゃない旦那。心配してくれてるのかい?」  当然だろう。さっきから、すれ違う男共の視線が不安で仕方ない。心配といえば俺の尊厳が心配だ。  俺は甲斐甲斐しく羽織を差し出し、着せてやることにした。 「寒いと風邪をひくぞ。いいから着ていろ、お前の体調が心配なのだ」 「ありがとう旦那、ドブ川みたく汚い色の羽織だね。その嘘つきな舌引っこ抜いてやりたいわ」  きらきらと瞬く瞳で罵倒された。まったくもって気の強い女で辟易する。 「…………」  途中の関所で通行手形を示し、すんなりと通され道を進む。少し生い茂った山の風情が見えてきた。  女はどこか不思議そうに手元の手形を見つめていた。 「…………便利さねぇ」 「確かにな。ジジイ連中の世代では考えられないことだろう」  現代はもとより、予てから幕府は民間の旅行などという娯楽を奨励してはいない。浮かれた遊びに夢中になって、怠けて税を収めぬ輩が横行するのを恐れてのことだ。  関所の通過にはこの通行手形が必須となるが、これ自体が金さえ払えば手に入る時代となった昨今、果たして世は旅行全盛期と言えるのかも知れない。 「ねぇ旦那。こんな手形くらい、一晩がんばれば私でも書けそうじゃない?」 「偽造か。確かに安上がりで済むが命がけだぞ。見つかれば処刑だ。それならばいっそ、手形なしで関所に詰め寄ったほうが安全に済む」 「なして? そんなんで通れるん?」 「追いつめられた極貧民の話だがな。同情した役人が『帰れ!』と叫びながら、関所の反対側に背中を押してくれることもあったそうだ」  女はけらけらと楽しそうに笑った。歳相応の少女のような仕草にも見えた。 「なに、見かけによらず話せるじゃないのさ旦那。もっと聞かせておくれよ」  俺も、自分のような人間に女を笑わせることが出来るとは意外だった。どのみちそのようなまぐれは一度きりで、こちらの話のタネなどもう無く、以後はまた静かな道中となったが。  しかし女は御機嫌そうだった。 「なみだがわー、なくなくなりて耐えぬともー、流れけりとはあとに来て見ーよー」  意外に脚の軽い女。体力もある。予想していたよりも遥かに街道を進み、さびれた寺院の見物を終えた所で見切りをつけ、陽が落ちきるより早くに宿を取ることにした。 †  これと決めた宿のそばで、妙な男が舞っていた。女――あやめがあからさまに嫌そうな顔を擦る。確かに女性は生理的に受け付けないのかもしれない。 「商売繁盛おめでたやー、家内安全おめでたやー、無病息災おめでたやー、おとちゃんおかちゃんおめでたやー」  この寒中だというのに半裸。額に縄鉢巻を締め、哀れみを誘うような赤フンに腰蓑なんていう野暮な格好の親父。  ともかく間抜けな印象に、みすぼらしくしかし張り付いた笑みは崩さない。 「いやだすたすた坊主。この季節にあの格好は正気じゃないねぇ」 「そうだな。冬に往来で肩をはだけるなど狂っている」 「この助平。どこ見てるんだい?」 「酔狂の脳天だが」  正確には、意味深な椿の入れ墨だったが。女は楽しそうに受け答えしてくるが、こちらが本当に迷惑がっていることに気付きもしない。 「アンタの彼女もおめでたやー、あたしのオツムもおめでたやー、めでためでたのおめでたやー」  間抜けおやじの口上は続く。あれはすたすた坊主といって、出会えば幸運が訪れるだの福がやってくるだのおめでただのと自称する坊主のはしくれだ。道行く人から銭を受け取り代理でお参りして来るという福男……。 「――――物乞いだよ、旦那。没落者だ。あたしはあれだけはどうにも好かないね――」  憐れむように冷たく言って、あやめは宿に入っていった。すたすた坊主の周囲には子供。すたすた坊主は愛嬌のある物乞いだ。というか愛嬌しかない。それ以外には桶とか錫杖とか扇程度しか持たない。  対してこちらには金が入ったばかりだったので、ひとつ銭でも投げてやるかと寄っていく。めでたい尽くしの軽妙な唄。没落者と吐き捨ててやることもあるまい、このご時世、あぶれた物乞い共の中で唯一こちらに陽気を撒いてくれる存在なのだ。  すたすた坊主がこちらに気付いてやってくる。俺は銭を取り出す。すれ違いざまに桶へと手を伸ばし―― 「…………どうだい小太郎の旦那。小娘一匹、やれるのか」  そんな、不似合いな言葉を囁いてきた。 「――ああ、首尾は良好だ。何の問題もない」  笠に手を触れる。周囲を警戒するが飽きの早い子供たちは去ってゆき、あやめは宿の中、誰も見てはいない。 「そうかい…………ではご武運を。いままで旦那には世話になったな。お達者で」 「ああ、達者で」  声を潜めた一瞬の会話は、最後まで誰に聞き咎められることもなかった。銭が桶に落ちる音。それきり、男はただのすたすた坊主に立ち戻り、ふらふらと舞いながら去っていった。  やせ細った小汚い背中、いつもの凛とした狡猾な印象が台無しだ。 「…………おめでたやおめでたや……か」  この寒空のどこにもおめでたい要素はない。もうじき俺が長かった任を解かれ、意味のない自由を得る、それだけだ。  没落者はこっちだろう――――本当に、この手の平には桶すらもない。 †  二階の部屋に上がったあやめは、いたくこの宿を気に入ったようだった。大してよい部屋でもないはずだが、妙に御機嫌でよく分からない。 「――風見屋とはよく言ったものだね。ここからなら風が見えるよ」  窓辺のあやめは外を見ながらそんなことを言った。相槌を打ってからひとつふたつと考えて、どう角度を変えてもまったく理解できないことに気がついた。 「意味深だが、どういう意味だ? 風が見える?」 「こっち来て見てみなよ旦那。ほらほら、茶ばっか飲んでないでさ」 「どれ……」  旅疲れで億劫な腰をあげる。なるほど確かに、この窓辺からは風が見えたのだった。 「…………」  よもや、しみったれた宿の裏手にこんな光景が広がっていようとは。 「………………湖か。悪くないな」 「だろう? 風が走って、水面に模様ができるんだ。あの山々といい絶景だねー」  夕日に照らされた壮大な湖の向こう、仙人でも住んでいそうな緑の景観が続いている。拓けた手付かずの水面は確かに風の流れを如実に描き出す。誰かが筆を取ってるような印象さえある。  ともかくにも、ましな旅館で日暮れを見届けることが出来たのは僥倖だろう。景色に見入っている横顔はまた微笑だ。 「しかし、物見遊山に用心棒か。雇われている俺が言うのも何だが、ずいぶんと裕福なのだな、お前の家は」 「ああ、そうさね。富豪というには恥ずかしいが、父はそれなりに成功した商人だった――」 「だった?」  つまらないことを言った、というようにあやめが目を伏せた。 「…………なんでもない、忘れとくれ。それより旦那、おやじに言って晩飯を早くして来てくれないかい? あたしゃもう腹が減って腹が減って」  なるほど、この娘にも色々とあるようだ。格好や物言いからして普通では無いし、この年令の女が用心棒付きで一人旅なんてのも訳ありの証拠だ。  ――心底、どうでもいいことだが。 「? どうかしたかい旦那、怖い顔して」 「ん? ――ああ、すまない。わざわざ早起きしたのに刻限に来なかった愚かな女のことを思い出していた」 「なんだい旦那、そんなにだんごが食べたかったのかい――?」  けらけらとまた歳相応に笑うあやめ。いまのうちに笑っておけばいい。どのみち今夜が今生の別れになるのだから。 「…………」  何、しくじる要素などどこにもない。このような無防備な娘一人……。 †  寝静まった夜、寝床でぱちりと目を開けた。物音はなく、大気は冷え切り、明るい月光が差し込んでいるのだけが気掛かりだが問題はない。  音を立てないよう荷物から短刀を抜き出す。  …………襖一枚向こうで、女が寝息を立てていた。食事に混ぜておいた薬が聞いているのだろう、かなり深い眠りだということが聞いて取れた。  まず一寸、襖を開けた。反応はない。音を立てないよう細心の注意を払って襖を滑らせていく。  出来た隙間に体を突っ込み、畳の軋みに気を付けながらゆっくりと時間をかけて進んでいく。呼吸を殺す。たったこれだけの距離がひどく長いように感じる緊迫だった。  相反して女のほうはだらしがない格好で寝こけている。そのうちに、ようやく寝顔が見落ろせる位置に陣取ることが出来た。 「………………」  口にくわえていた短刀を右手に握り直す。あくまでも物音は立てないように。  この期に及んで、微塵も躊躇うことのない自分に苦笑する。最後の仕事だ。間髪おかず、理不尽に鋭利に女の胸へと短刀を突き下ろした。  ――――思うことがないでもない。長い長い日々だった。ただ長かったな、と疲労のようなものを感じていた。  だが、俺の短刀が女の肌を突き破り内蔵に到達することはなかった。 「…………いけないねぇ旦那、これはいけない」 「!?」  手を掴まれている。眠っていたはずの女に。狸寝入りだった? 馬鹿な。何の理由があって。 「ちぃ――」 「!」  女の腕を引き剥がそう揉み合う。ばかみたいにへばりついて来て放さない。無力な小娘の分際で大した執念だと感心するが、ニヤリと笑った女が左手に握っているものを見咎めた。  びし、とこちらの頬を掠めていく。咄嗟に離れなかったら目を潰されていたかもしれない。 「…………何?」  短刀を向けながら立ち上がると、女もふらりと死人のように立ち上がった。その手に握られていた物に違和感を覚えた。  ――棒手裏剣、だと? 「っ!」  投げつけてきて、1本残らず壁に突き立つ。あり得ない、棒手裏剣は素人には投げることすら出来ない武装だ。 「あははっ、この距離で躱されるとはねぇ! さすが、旦那は只者じゃなかったわけだ」 「つ――!」 「やめときな。ここで争うだけ無駄なんだよ」  突っ込もうとしたが、手のひらで制される。女はまたも懐から棒手裏剣を抜いて左手に構えている。  忍びか? ――どうなっている。これまでのこの女の素振りに不自然な部分はなかった。俺の、任務は……。 「何を…………貴様、一体何者だ! 千月あやめではないのか!」 「よしな。騒ぐと宿のおやじがうるさいよ」  確かに、別の客が怒鳴る声が飛んできた。もうこの場で殺すのは得策ではない。それ見たことか、とあやめは棒手裏剣を仕舞い、気だるそうに布団に腰を下ろし寝間着の襟を直した。  その横顔、そして白い肌に描かれた椿の入れ墨――。 「…………千月あやめの、影武者か」 「まさか。確かに私が千月あやめその人だよ、そして旦那は“延珠の里”の腕利き忍びなんだろう? かなりのやり手と見たね、まったく、私も運が悪い――」  目眩がした。所属まで割れているとなるともう詰み手と見ていい。周囲を警戒するが、囲まれている気配は、ない――? 「おおかた、旦那の任務はこんなんだろう? 用心棒の振りをして、とある商家のご令嬢・千月あやめを暗殺せよ。決してしくじるな。なお、この仕事を持って小太郎殿は、延珠の里の暗殺者という任を解かれ、晴れて明日から自由の身――」  知り尽されていることは、いっそ恐怖だった。確かに俺は暗殺者で、これが最後の仕事だったのだ。部外秘がどうして他者に、よりにもよって標的に知れている。本当にこの女は何者なのだ。  だが気だるそうなあやめは、こちらに顔を向けると、元通りの優美な笑みを取り戻していた。 「――なんてことはない。あたしも、延珠の里のくのいちなんさね」 「…………何……?」 「令嬢の振りをして用心棒であらせられる小太郎の旦那に近づき抹殺せよ。なお、この仕事を持ってあやめ殿は、」  延珠の里の暗殺者という任を解かれ、晴れて明日から自由の身――  目が合う。  俺は理解が追いつかず、あやめは同類を憐れむような目をして微笑んでいた。じきに宿屋のおやじがやって来て少しだけ注意された。  結局その夜、俺の短刀が血に濡れることはなかった。
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