第2話

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第2話

「ねぇ旦那、だんごは好きかい?」 「…………」  翌朝、何事もなかった風に山道を進む。ここもまだ街道。もうじき晴れた景色でも見渡せそうだ。  あやめは、不服そうに俺の前に立ち塞がった。 「もうっ、どうしたんだい用心棒。そんなに陰気じゃこっちが気疲れしちまうさね」  なんて、言い返せばいいものか。昨日の気安い会話は令嬢の安心を得るための演技だ。相手が令嬢どころか忍びとあっては、いまさら繕う必要などまるでないのだが。 「ちょっと、聞いてるのかい! まったくもう――!」  それどころか、隙さえあらば殺し合う仲だ。朝からまるで隙を見せないのが癪だが、この期に及んで旅を続ける理由がわからない。分からないといえばわからない事だらけだが。  同じ里の、忍び?  俺を殺す任を受けている――?  ――――そこで思考を遮断し、考えうる回答を拒絶した。 「ねぇ旦那、ちょいとあっちの山の方へ行ってみないかい。あたしゃまただんごが食べたくなったよ」 「………………ああ」  街道より人気が少ない。死体を捨てるにはちょうどいいだろう。 †  街道から逸れて山道を進んでいくが、団子屋や茶屋の類はなかった。代わりにこの先には寺院と、一応名所とされている滝があるそうだ。  地元事情を教えてくれた僧に小銭を渡し、木漏れ日の石畳を進んでいく。 「ぶー。ねぇ旦那、団子屋がないとかおかしいと思わないかい?」 「…………」  見上げれば、壮大な石畳だった。横幅はしっかりあるがこうやって見ているとまるで天空へ届きそうな印象がある。  無論そんなものは錯覚で、程なくして比較的傾斜の低い坂道となったのだが。 「お! 旦那、人力車だよ! 乗ろうよ人力車! あい、そこのお兄サーン!」  道楽極まりない。少々路銀が不安になったが、くだらない心配だと思い直した。  しかし、何だな。 「あははっ、すごいねー旦那。ねぇお兄さん、もっと飛ばしておくれよ!」 「あいよッ!」  顔に風を受けていると、ひどく冷えた気分になった。周囲はノロノロと自分の足で歩いている人々、かたやこちらは人力車で隣にははしゃぐ女。 「どうしたんだい旦那、腕組んで仏頂面なんかして。あれかい? やっぱ旦那も団子目当てだったのかい?」  周囲、見知らぬ女性共の囁きが聞こえる。あらやだ男前様ね。人力車よ見て見て?  見世物にでもなった気分だった。 「おっ」  ほどなくして、目ざといあやめの目が汁粉屋の屋台を発見する。人力車を止め、軽い足取りで駆けていく背中。  その背中に突き立つ短刀を浮かべていた。いまならやれるか? ――気の迷い。人力車の青年も不思議そうに俺を見ていた。 「……すまない。もう行っていいぞ」  お代を払って、余所へ行かせた。あやめが非難の声を上げるが知った事ではない。いつまでもあんなものに載っていられるか。 「あーあ。お汁粉すすって人力車ーと洒落込みたかったのにさぁ」  不承不承ながらも歩き始める。ほどなくして道は二手に分かれていた。寺院か滝か、そして滝の方は整備されきっていない鬱蒼とした感じがある山道だった。 「あ! 旦那、あたしゃ寺院の方へ行って他の屋台が見たいんだけど」  捨て置くように歩き出す。迷わず滝の方、人気の少ない山道の方へ。背中からの非難の声が追ってくる。  ――――つくづく、何を考えているのだか。  昨日の出来事は夢だったのだろうか。団子だお汁粉だ人力車だと騒ぐ遊女じみた女を見ていると、本当にそんな気がしてくるのだ。  まだ日は高い。先ほどの坂道も閑散としていたが滝の方はより不盛況らしく、人通りは皆無に等しい。まだ日は高いというのに無音の自然に、人が通りやすいよう土がならされているだけだった。  それもそうだろう――もう冬だ。冷たい風を感じながら前へ前へと進んでいく。一体どこの酔狂が、この寒い中山道を進んで、氷のような滝壺なんかを見物したいと思うのだろう。  いるとすれば、それは連れ添いを始末しようとしている忍びくらいなものだ。 †  あやめに、腕を掴まれて睨み合っていた。どちらも厳しく表情を引き絞って声を発さない。  眼の前は崖と滝壺。緑を一望できる高台で、あやめが背中を向けた瞬間に突き落とそうとしたら止められたのだ。 「…………まったく。この男ときたら、油断も隙もありゃしないね……」  ようやく、仮面の下を垣間見れたと安堵する。そこにあったのは疲れきったような表情。昨夜俺が殺そうとして失敗した女の顔だ。やはり夢ではなかったのだ。  ――――滝壺の騒々しい音が、周囲の小鳥や梢の音色と合唱している。 「……何故……」 「なんだい?」 「何故……おまえは、任務を遂行しないのだ? 役割を、自身の有り様を放棄したのか」 「はぁ?」  いよいよもって、遊女は馬鹿をみる厳しい顔になる。淋しげな椿の入れ墨が似つかわしかった。 「逆に聞きたいよ――――ねぇ旦那、なぜ、この期に及んで私を殺そうとするんだい?」 「………………」 「旦那は正気なのかい。ねぇ、一体何をお考えなのか、私にはサッパリ分からないよ」  理解が及ばない。任務しかない忍びが、任務を放棄した所で何が残るというのだ。どのみち……。  ――――そこでまた、ガシャリと思考を閉ざした。  自身の中の人間らしさを揺り起こす。おおよそ擬態めいた、知識として知っている常識人の物真似でしかないが。 「決まっている。この任を終えれば、いよいよ自由になれるのだ」  我ながら良く出来た笑みだ、と頬を撫でる。それは喜ばしいことであるらしい。俺には自由の価値などよく分からないが。 「ハ――」  そこでついに、あやめが初めて嘲笑じみた感情をみせる。 「バカだねぇ、そんな甘い世の中じゃないさ」  哀れみと嘲り。そぅら――なんて呻いた声より先に体が反応する。 「!」  どんっ、と重い音を立てて俺の背後の木に突き立った。どうにも俺の首を狙っていたらしい。 「チィ――!」  がさがさと茂みがゆれて、複数の気配が犬のように逃げていく。方角も距離も分析できていながらしかし、俺は追うこともなく振り返る。  背後に突き立っていたのは、重い鈍色の手斧(ちょうな)だった。 「……どうだい? 自分の置かれている状況、少しは理解できたかい」  あやめも、似たような手斧を弄んでいた。恐らく投げつけられたものを素手で掴みとったのだろう。あやめの声は荒みきっていた。 「深入りしすぎちまったんだよ――旦那も私も。用済みの犬は殺すしかない。じゃあ殺し合わせれば一石二鳥。あいつらの言う自由なんてものはね、死後にあの世でご自由に~って意味さ」  滝壺に投げ捨て、ヒラヒラと手を振って去っていく。落ちていく凶器が虚しげだった。 「…………用済、み……」  川に浮かぶ笹舟を見つけた。岸辺に辿りつけるかと思ったが、あてどなく漂ってあっさり沈んだ。 +  かつて笹舟を浮かべて遊んだ、綺麗な清流だった川が血色に染まっていた。夕暮れに、膨大な生き血を飲んで赤く輝く死体川。  そのほとりに座り込んで、枝で死体をつついていた。動かない。本当に。人間っていうものが死ねばあの不出来な人形共同然になるのだということを初めて知った。  親も兄弟もここで死んだ。戦だか野盗だか知らないし、親の顔ごと覚えてもいない。ただすべてがあの日、故郷だった場所ごと無くなってしまったのだ。  子供にとって家族は全だろう。全を失った子供に何があろう、住む家も食うものもなく、生きようとする意思や方法も持てないからただ死体を枝でつついていたのだ。――――もしかしたら、兄はいつものように動き出すんじゃないかって。  火が放たれた。もう悲鳴を上げて逃げる者すらいないと思っていたのに、どこかで女の声が聴こえる。きっと長い髪から焼け死んでしまうのだろう。黒焦げの死体は見たくない、と嫌な臭いを感じながら思った。  ところで、自分と兄の死体、一体何が違うのだろうと考える。大差はなかった。それ以前の記憶など忘れてしまった。だって、死人には用のないものだから。  自分はそこらに転がる死体だったのだから、別段拾われて連れて行かれることに抵抗などしなかった。死体がどこに埋まるかの違い程度でしか無い。  ――――――気が付けば、延珠の里の暗殺者として生きていた。  過酷な訓練だったような気もするし、しかし覚えているほど関心のある出来事でもない。  自分は人を殺すということに躊躇がなかった――。  逆に愉しんでいるわけでもないが。人は喋る人形だ。糸を切ってあの死体川に流すことなど造作もない。そのための技術なら千と叩きこまれている。  人を殺すことを躊躇わない少年は、同じ里の者に忌み嫌われながら育ち、気が付けば大人になって変わらず人を殺し続けていた。  きっと大人になったいまもまだ、自分はあの死体川で兄ではない誰かの死体を枝でつついているのだろう。相棒だった鴉天狗の妹を殺す時もまるで躊躇がなかった。それ以来、相棒ではなくなってしまったが――。  ああ――また川上から死体が流れてくる。  今度は、千月あやめの死体を枝でつつく番。まるで動かない。入れ墨の椿も枯れていく。いつしか周囲は死体の海となっていて、その真ん中に一人自分だけが立ち尽くしていた。  これが地獄か。ああ、すべての死体を知っている。地獄は俺の過去の中にあったのだ。積み上げ過ぎた死体は川から溢れ出し、俺を囲んで水平線までずっと続いている。  どうして、平気なのだ? と血の海に溺れる死体のひとつが問う。  おぞましい、眼ですね――と烏天狗の妹が蔑む。  どうして、旦那は、人を殺し続けてしまったんだい――――とあやめの死体が哀れんだ。  どうして人を殺し続けた?  何故なのだろう。血だらけの自分の手を見たところで分かりやしない。いったい何故、俺のまわりでは、こんなにも人が死んでいくのだろう。  おぞましい眼? 分からない。血の池では顔がはっきりと映らない。  俺は一体、どんな眼をしている――? †  いやに寝苦しい、妖しい夜だった。嗅ぎなれた濃厚な血の匂いに誘われて(とこ)を抜け出す。  ふらりふらりと薬物中毒のように前へ進んでいく自分を自覚して、何故だか妙に手足の感覚が鈍いことに気付いた。薬を盛られたか。暗殺される側に立つ経験はほとんどない。存分に毒見をしても抜けられることがあるらしい、と初めて体で実感した。  無味無臭の毒物などいくらでも使ったことはあるが――その味を自分が食らうというのは滑稽だ。寒くて、震えが止まらなくて、目が回っていて妙に心地良い。気持ちが高ぶるわけではないが、静かで雑音のない心境になれたのだ。今度からは毒の扱いに力を入れるか――などと、いまさら持っていても仕方のない習慣が働いた。  ああ、目の前を自分自身の背中が歩いて行く。どこへ行こうというのだ――? 宿の廊下を抜け、気が付けば草むらを歩いていて、血の香りがだんだんと濃くなってくる。  肺が熱い。ここは森。呼吸するたび熱を吐き出す。酒と同じように、やはり毒だか薬だかも散歩のせいで回ってしまったのだろう。  いよいよ立っていることもできなくなって、木に背中を預ける。血臭のもっとも濃い終着点、その拓けた草原で、血を浴びて佇む自分自身がいた。  足元に死体、手には刃物。人を殺した直後の自分をこうして見るなんて初めてだ。  俺は、血を浴びたまま呆然と死体を見下ろしている。まるで親に取り残された子供のようだと思った。  俺が、不意に俺の存在に気付き、こちらに顔を向ける。その瞬間に、一撃で転落死できる高さから崖下を眺めているような感触がした。  なんだ、あれは――……?  目を合わせているとこちらの顔が強張る。眼球があるべき場所にあるのは穴だ。2つの空洞が俺を視ている。その虚ろな真っ暗闇の双眸のおぞましさを、俺は初めて自らの目で見る。  すべてを吸い込む虚無が、大勢の人間を喰い殺した奈落がそこにあった。 「ぁ……」  足元の死体に見覚えがある。恰幅のいい体型に酔狂極まりない天狗装束、烏天狗だ。恨みからか、義理からか俺を殺しに来たのだろう。なるほどヤツらしい見事な毒盛りだった。まったく気付かれることなく無味無臭の薬を食事に盛り、俺を鈍らせ手ずから殺そうとしたのだ。その死の瞬間を知ることは二度とない。 「あら――いけない旦那、見ちまったんだね…………」  俺、が気怠い声を発する。いや俺ではない。それは返り血に汚れた、明るかったはずのあやめだった。  俺と同じ、変わらない真空の眼で俺を見ている。あまりにおぞましくあまりに美しい、その枯れ花のような微笑こそがあやめの人殺しとしての暗黒面だった。 「言ったでしょう、私が織物をしている間は、障子を開けてはいけないよ――って」  冗談めかして言ってから、女は気を失って倒れてしまった。死体のそばに、血溜りを跳ねさせて。  薬酔いも覚めてきた。遠目に見たところあやめに大きな傷はないが、腕利きの鴉天狗とやり合って張り詰めていた糸が切れてしまったのだろう。 「……………」  静かに血に濡れた女の寝顔を見ながら、俺はしばし息を整えることにした。 † 「っ!?」  ほどなくして、あやめが飛び起きてこちらに棒手裏剣を向けてきた。そう壁際に逃げられると、爪を立てる猫を見ているような気分になってくる。  しかし予想外だ。 「……目覚めるのが早いな。寝首を掻く暇もない」  しばしあって、ようやく落ち着いたようだった。髪と着の身を正してこちらに向き直った姿は、元通りの千月あやめだった。 「――――驚いた。まさか旦那がわざわざ私を殺さずに寝床まで運んでくれるとはね。一体どういう風の吹き回しだい? いよいよ私に惚れちまったか」 「……さて殺すか、と思案していたところなのだがな。ずいぶんと回復が早い。お前はあの薬を食らわなかったのか?」 「はっ、舐めてもらっちゃ困るね。あんな程度の薬、体に慣れさせておけばわけないのさ」  その割には、最後に倒れていたが。しかし確かにこの威力の薬を食らわされてなお、手練である鴉天狗を下したことは賞賛に値する。  こちらはまだまだ目眩頭痛が残っているのだが、顔に出すわけにもいくまい。  それにしても千載一遇の機会をむざむざ逃してしまったわけだ。我ながらまったく抜けている。 「…………殺すか」 「もういいよ、鬱陶しい。明日にしとくれ」  業腹だが、こちらも同意見だ。まったくくだらないことに費やしてしまった。薬に浮かされてくだらない夢を見ていたような気もするし、つくづく今夜はろくなことがない。  何もかもが気乗りしないと投げやりになったところで、緊張が切れたようにまたじくりと側頭が痛む。気の迷いといえば、これも気の迷いだ。 「あの男は――」 「ん?」 「鴉天狗は、何か言っていたか」  女の顔に不理解が浮かぶ。唐突すぎたかも知れない。 「……は? からすてんぐ?」 「あの大男だ。本当におまえが殺したのか?」 「――――あぁ、」  あの時、確かに地に伏していた。怪生じみた相当の忍びだったのだが、よもや最期に女に負けるとはあいつ自身も思っていなかったろう。 「アイツかい。とんでもない怪物だったよ」 「だろうな、よく倒せたものだ。まったく感心する」 「まぁ――実力は完敗だったが、どうやったって男と女の化かし合いじゃあ、最終的には女が勝つもんさね。女はみんな女狐なんだ」  本当に耳でも生えていそうな気がした。小狡い手段を使ったらしい。 「て、いうか――――あの天狗仮面、旦那の知り合いかい? 確かにワケ分かんないこと言ってた気はするよ、決着だーとか妹のカタキだーとか、邪魔をするなーとか殺してやるぅーとか」 「……………そうか」  やはり、妹の恨みから殺しにきたらしい。あまりに予定調和だろう、聞くまでもなかった。 「…………」  それきり、話すことがなくなってしまった。何故だかあやめはしおらしく姿勢を正す。 「――ねぇ旦那。明日、ちょっと付き合っとくれよ」 「何? 何かの用事か」 「まぁそんなとこ。いいだろう? 構わないね、じゃあお休み」  それきりぴしゃりと一方的に障子を閉ざされてしまった。意味が分からない。最後に見せた上機嫌な微笑みの意味は何だ?
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