僕は君の心に寄生したかった

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午後1時、生き物に昼食を用意する。 相変わらず分厚いガラスの壁の向こうで、その生き物は尻尾を揺らしていた。 「下がって…そう、もっとだよ。違う、ちゃんとお尻をつけて座るんだ」 こちらを見て今か今かとあの液体の入った食事を待っている。その喉元にあったはずの傷は、いつからか硬い毛に覆われて見えなくなった。 「そのまま…まだ動くなよ」 大きく胸を張るように背を反らせてこちらを見つめてくる。 痩せ細っていた体は、いつのまにか2メートルを超える巨体になっていた。 「まだ…まだだぞ…」 そわそわと落ち着かない様子で腕が揺れている。 存在感の強いその腕が、骨が盛り上がるようにして5本目の腕になったのはいつだっただろうか。 「まだ…まだ駄目だ…」 3つ目の目も、大きな牙も、ゆらゆら揺れる尻尾も、みんな初めはなかったものだ。 みんな、私の食事を食べるようになってからできたものだ。 「…駄目だ」 どんどん姿を変えていく、そんな様子を見ても心が痛まなくなっていったのは、いつからだっただろう。 「……駄目なんだ…食べちゃ、駄目なんだよ」 目が乾く。 ああそうだ。 私だってもう人間じゃあない。 目は2つ、腕も足も2つずつ。 頭は1つで、尾もなければ牙もない。 それでも私は醜い、化け物だ。 いつまでたっても合図を出さない私を、不思議そうに見つめる。 いいよと言ってあげたいのに、今口を開けば何か余計なことまで口走ってしまいそうで、私はただ立ちつくすしかない。情けなくて恥ずかしい。全て本当は知っているくせに、何故わからないふりをするの。 初めて会ったあの日、私たちの違いは『ガラスの向こう側にいるか』『そうでないか』だけだった。 なぜならば、一方的に声を交わしたあの瞬間、私たちは気づいてしまった。 お互いが、この世界に居場所を持たない者同士であるということを。 例えば明日私が突然消えたところで、誰も私を探さない。つまりはそういうことだ。 私たちに居場所はないけれど、それでも与えられた役割を果たすことによってここに居ることを許されているのだ。 そいつは馬鹿なふりをして、従順なふりをして、それでいて私を見る目はいつも優しい。 ああもう嫌いだ、大嫌いだ。 私たちはもう同じじゃない。変わってしまった。醜く、悍ましい化け物だ。 綺麗なあなたを見るたびに、私は人でなくなった。 逸らされないブルーの瞳が何度も閉じて、今まで開くことのなかった3つ目の瞼が、ゆっくりと持ち上がる。 「……どうして」 瞼の下には何もなかった。 瞳はくり抜かれ、何もない空洞だけが存在している。それなのに、それでも視ているのだ。 「なにをしているの…。何をしようとしているの!」 サイレンがけたたましく鳴り響いた。 白い部屋が赤く染まり、天井から部屋を埋めつくす量の催眠ガスが噴出される。 目の前の生き物は逞しい5本の腕を大きく振り下ろし、擦り傷の1つも負わないでガラスを破るとついに私の元へ訪れた。 真上から見下ろされ、恐怖で逃げることもできない。ガスで意識が遠のくなか最後に見た景色は、いつも私の作る食事を美味しそうに食べてくれる、あの大きな大きな口の中だった。
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