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「ご、ごめん。びっくりしたんだね」
七都は震える手を伸ばし、ナチグロ=ロビンを撫でる。
彼は何事もなかったかのようにグルーミングに戻ったが、その尻尾は、いつもの三倍くらいに膨らんでいた。
「なに、今の夢……」
七都は、頭を抱える。
心臓が激しく鼓動していた。苦しくなるくらいに。
頭は冷静なのに、胸の震えがおさまらない。
「あれは、誰?」
緑がかった黒髪に、ワインレッドの目。
それは、七都の向こうでの姿。そして、七都の母もおそらく同じに違いない、その姿だった。
向こうでの自分の姿は、水鏡に映ったものしか見ていない。だがあの少女は、間違いなく水鏡の中の七都によく似ていた。
あれは、私? お母さん? それとも、別の誰か?
ぞっとするような恐怖が、七都の全身を押し包む。
あの女の子――。胸に剣を刺されてた。
私とそっくりな、あの少女……。
もしかしてあれは、私の未来?
七都は、自分の胸に手を当てる。
そう。ちょうど、このあたりだった。怖いくらいにリアルだ。
剣の質感が、まざまざと思い出せる。あまりにも現実めいている。
でも――。
私じゃなかったら……お母さん? お母さんは今、あの状態ってこと?
階段の上の椅子に座っていて、胸に剣を突き刺されている?
あの少女は……死んでいるのだろうか。目を見開いて、動かなかった。
剣を胸に突き立てられて、無事で済んでいるわけがない。
そして、あの剣――。
一つの疑問が、七都の中に湧き出てくる。
もしかしてあれは、エヴァンレットの剣ではないのか?
剣の柄と少女の胸の間に垣間見えた剣身が、オレンジ色に光っていたような気がする……。
少ししか見えなかったが、確かにあれは……。
七都は、時計を見上げた。
長針は三を指している。午後一時十五分。
緑のドアに変化はない。
七都はドアを見つめ、両手を握りしめる。
あのドアを開けて向こう側へ行けば、今の夢が近づいてくるような気がする。
あれが現在を意味しているのか、それとも過去のことなのか、未来に起こることを示しているのかはわからない。単に、七都の不安を夢の中で具現化したものなのかもしれない。
だが、恐怖を感じる。向こうに踏み出せば、どんな人と出会おうと、どんな状況を乗り越えようと、結局はあの夢の状況に向かって、まっしぐらにたどり着いてしまう。そんな、とてつもない不安。今までに感じたこともない不安が、七都を覆い尽くす。
いつか――。自分の胸に、あのエヴァンレットの剣が突き立てられるのだとしたら?
あの少女が、自分の死んでいる姿だとしたら?
「ロビン。何だか私、怖気づいちゃった」
七都が言うと、ナチグロ=ロビンはグルーミングをやめて、金色の目で七都を見上げた。
「ね。向こうに行くの、やめようか」
そうだ。別にこちらの世界を選んだっていいわけなんだから。
私が向こうに行かなければ、お父さんと果林さんだって、これ以上ぎくしゃくしなくて済むかもしれないし。
扉が向こう側と繋がっても、向こうにさえ行かなければ、何も起こらない。
今までと同じように。今までと変わりなく、普通の高校生として過ごしていく。
ナイジェルが向こうの世界を選んだように、私はこの世界を選ぶ。
そのほうが、きっと全部うまくいく。
「そうだよ。夏休みだって、勉強はしなくちゃいけないんだもの。向こう側なんかに行ってる場合じゃない。二学期になったら、授業はますます難しくなるんだから」
ナチグロ=ロビンが、はっとして顔を上げ、窓の向こうを注視した。
耳も外を向いている。彫像のように彼は動かなかった。
「どうしたの?」
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。
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