第2章 再び、向こう側の世界へ

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「ご、ごめん。びっくりしたんだね」  七都は震える手を伸ばし、ナチグロ=ロビンを撫でる。  彼は何事もなかったかのようにグルーミングに戻ったが、その尻尾は、いつもの三倍くらいに膨らんでいた。 「なに、今の夢……」  七都は、頭を抱える。  心臓が激しく鼓動していた。苦しくなるくらいに。  頭は冷静なのに、胸の震えがおさまらない。 「あれは、誰?」  緑がかった黒髪に、ワインレッドの目。  それは、七都の向こうでの姿。そして、七都の母もおそらく同じに違いない、その姿だった。  向こうでの自分の姿は、水鏡に映ったものしか見ていない。だがあの少女は、間違いなく水鏡の中の七都によく似ていた。  あれは、私? お母さん? それとも、別の誰か?  ぞっとするような恐怖が、七都の全身を押し包む。  あの女の子――。胸に剣を刺されてた。  私とそっくりな、あの少女……。  もしかしてあれは、私の未来?  七都は、自分の胸に手を当てる。  そう。ちょうど、このあたりだった。怖いくらいにリアルだ。  剣の質感が、まざまざと思い出せる。あまりにも現実めいている。  でも――。  私じゃなかったら……お母さん? お母さんは今、あの状態ってこと?  階段の上の椅子に座っていて、胸に剣を突き刺されている?  あの少女は……死んでいるのだろうか。目を見開いて、動かなかった。  剣を胸に突き立てられて、無事で済んでいるわけがない。  そして、あの剣――。  一つの疑問が、七都の中に湧き出てくる。  もしかしてあれは、エヴァンレットの剣ではないのか?  剣の柄と少女の胸の間に垣間見えた剣身が、オレンジ色に光っていたような気がする……。  少ししか見えなかったが、確かにあれは……。  七都は、時計を見上げた。  長針は三を指している。午後一時十五分。  緑のドアに変化はない。  七都はドアを見つめ、両手を握りしめる。  あのドアを開けて向こう側へ行けば、今の夢が近づいてくるような気がする。  あれが現在を意味しているのか、それとも過去のことなのか、未来に起こることを示しているのかはわからない。単に、七都の不安を夢の中で具現化したものなのかもしれない。  だが、恐怖を感じる。向こうに踏み出せば、どんな人と出会おうと、どんな状況を乗り越えようと、結局はあの夢の状況に向かって、まっしぐらにたどり着いてしまう。そんな、とてつもない不安。今までに感じたこともない不安が、七都を覆い尽くす。  いつか――。自分の胸に、あのエヴァンレットの剣が突き立てられるのだとしたら?  あの少女が、自分の死んでいる姿だとしたら? 「ロビン。何だか私、怖気づいちゃった」  七都が言うと、ナチグロ=ロビンはグルーミングをやめて、金色の目で七都を見上げた。 「ね。向こうに行くの、やめようか」  そうだ。別にこちらの世界を選んだっていいわけなんだから。  私が向こうに行かなければ、お父さんと果林さんだって、これ以上ぎくしゃくしなくて済むかもしれないし。  扉が向こう側と繋がっても、向こうにさえ行かなければ、何も起こらない。  今までと同じように。今までと変わりなく、普通の高校生として過ごしていく。  ナイジェルが向こうの世界を選んだように、私はこの世界を選ぶ。  そのほうが、きっと全部うまくいく。 「そうだよ。夏休みだって、勉強はしなくちゃいけないんだもの。向こう側なんかに行ってる場合じゃない。二学期になったら、授業はますます難しくなるんだから」  ナチグロ=ロビンが、はっとして顔を上げ、窓の向こうを注視した。  耳も外を向いている。彫像のように彼は動かなかった。 「どうしたの?」  そのとき、玄関のチャイムが鳴った。
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