第5章 宙行く機械の船

1/7
58人が本棚に入れています
本棚に追加
/71ページ

第5章 宙行く機械の船

 太陽が沈み、天井の明り取りの向こうが青黒く染まる頃。  七都の部屋にあったカトゥースのほとんどが、枯れ果てた墨色の残骸となった。  これだけカトゥースを食べれば、だいじょうぶ。  七都は、立ち上がる。  そして、思いきり腕を上げて伸びをし、くるっと一回転してみる。  オールドローズのドレスの裾が、ふわりと舞った。  確実に体は軽くなっている。気分もいいし、いつになく晴れやかな感じさえする。  でもやっぱり、誤魔化しているだけなんだろうな、とは思うのだが。  セレウスが、部屋に入ってくる。  彼は、筒のようなものを抱えていた。  それをテーブルの上に広げると、中から繊細な絵が現れる。 「あ、それ。地図だ」  七都が言うと、セレウスはにっこりと笑って頷いた。 「ご依頼のものをお持ちしました」  よかった。もう、落ち込んではいない。  完全にいつものセレウスに戻っている。  改めて七都は安堵する。  でも。やっぱり、何で私のほうが気を使わなきゃなんないんだか……。  七都は、テーブルのそばに歩み寄って、地図を見下ろした。  だが、たちまちうんざりする。  全然知らない場所の地図。しかも、かなり芸術的なタッチの……。  それは、複雑な幾何学模様の絵と、その上に記された奇妙な符号でしかなかった。  七都はもともと地図を見るのは苦手なほうだが、その絵を現実化し、頭の中に地形として思い描くのは、難しいかもしれない。海が近くにはないというのが、何となくわかるだけだ。 「この町は、ここです」  セレウスは、地図にペンでしるしをつけた。  ここですって言われたって……。  ああ、そうですかって答えるしかない。  他の細かい情報が読み取れない。 「そういえば、この町の名前を聞いてなかったけど」 「アルティノエです。忘れないでくださいね」 「アルティノエ。うん。覚えておく。で、魔の領域は、どこ?」 「この辺ですね」  セレウスは町のしるしから距離を置いて、おそらく山を越えたあたりを指差した。  そこには、何の記号も入れられてはいなかった。  ただ、そのあたりだけ遠慮がちに、ぼんやりと暗いめに塗ってあるような気はする。 「ここからは、結構、遠い?」 「馬を使われるのでしたら……」 「馬には乗れないし、世話の仕方もわからない」  七都は、呟く。 「だから、もちろん、歩いて行くつもり」 「無謀ですね」  セレウスが、溜め息をついた。 「あなたのような女性が、徒歩で一人旅なんぞしていたら……。襲ってください、と言っているようなものですよ」 「でも、行く。飼い猫のナチグロ=ロビンに、一人で来てごらん、なんて挑戦的に言われたからね。一人で行ってみせる」  セレウスは、心持ち肩をすくめた。 「……徒歩でしたら、五日、いえ一週間以上はかかるでしょうか。一番近い、地の都までにしても」 「地の都……。そこの魔王は、エルフルドだったよね。確か、太陽の光に平気な魔王さまだって、ゼフィーアがこの間言ってた」 「ご両親のどちらかが人間だという話です」 「じゃあ、ナイジェルや私と同じなんだ。会ってみたいな、昼間に」  セレウスが、とんでもないという表情をする。 「魔王さまが全員、シルヴェリスさまみたいな方だとは限りませんよ。おやめになったほうが賢明です」 「それはエルフルドが、かなり性格悪いってこと?」 「魔王さまの悪口は、恐れ多くてとても言えません」 「つまり、性格、悪いんだ……」 「まあ、魔王さま方は変わった方が多い、というのが魔貴族の間での結論のようです」 「じゃあ、ナイジェルも変人だって思われてるんでしょうね。彼は、人間の常識も持ち合わせてるもの」 「シルヴェリスさまは、放浪癖があると噂されているようですね。玉座におとなしく座っておられた試しがないと」 「しっかり魔王さまの悪口を言ってるよ、セレウス」  七都がしらっとセレウスを眺めると、彼はあわてて口をつぐむ。 「ちなみに、エルフルドの噂は何なのか、聞きたいな。これから地の都に行かなきゃならないから、ぜひ聞いておかなきゃ」 「……途方もなく、気紛れで我が儘な方だと。もう、やめましょう。悪口を言うと、必ず本人の耳に入ります。最悪本人が現れます」  セレウスは消え入りそうに呟き、額に手を置いた。  リュシフィンは、何て悪口を言われているのだろう。  七都は思ったが、もうセレウスに訊くのはやめておいた。  本人が現れたら、却って手っ取り早くて、とても都合がいいんだけどね……。 「魔の領域って、どんなふうになってるの? 七つ都があるんでしょ」 「そうですね……」  セレウスは、地図を裏返した。  そしてそこに、次々と円を描く。 「え?」  七都はセレウスの顔と、彼のペンが綴る図形を交互に見つめた。  まるでよく出来たテストを採点するかのように、ペン先はぐるぐると丸を描いて行く。  セレウスは、連なった円を描き終えた。  六つの円が輪になっている。円は、大きすぎる丸い宝石で作った腕輪のようにも見えた。  まさか、セレウスって……。 「これが魔の領域? なんか……その、大ざっぱすぎない?」  七都は、その図形に関する率直な感想を述べる。  セレウスは、七都の疑惑のこもった眼差しを感じて、少し気を悪くしたようだった。  彼は、咳払いをする。 「これは決して、私が絵が下手なわけではなく……本当にこんな形をしているのですよ!」  半ばやけ気味に語尾を強くして、彼は呟いた。 「ゼフィーアに聞いたので、間違いありません。姉は、火の都の魔貴族の屋敷にいたのですから」  七都は、円の集合体をまじまじと、穴の開くほど見つめる。  魔の領域って……。  完璧な円形が集まって、繋がって出来てるってこと?
/71ページ

最初のコメントを投稿しよう!