りんごとおおかみのおはなし

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 りんご、りんご、真っ赤なりんご。  りんご、りんご、おいしいりんご。  りんご、りんご、このりんごは――。           🍎  これを届けなければならないのです。と、少女は言った。 「すみません、急いでいるので」  少女は大事そうに籠をかかえ、僕を見ている。「早く届けないといけないの」と、少女は足踏みをした。 「あなたとお話している暇はないのです、おおかみさん」 「それを誰に届けるの?」  歩き出そうとする少女の前に立ちふさがり、僕は問うた。少女は不安そうに僕を見ている。 「……おおかみさんには関係のないことなのです」  僕は背伸びをして少女の持っている籠に顔を近づけた。くんくんと籠の中の匂いを嗅ぐ。布で蓋をしていても匂いを隠すことはできない。甘い香りが僕の鼻腔を擽った。  少女が後退る。被っていた赤黒い頭巾が揺れる。 「それを誰に届けるの?」 「……」  動いたことにより布がずれ、籠の中身がちらりと見えていた。真っ赤に熟した美味しそうなりんごがごろごろと入っている。自分の口の中に唾液が広がって行くのが分かった。 「あなたはまだまだお子様だけれど、近くに親がいるんでしょう? 親おおかみがきたらわたしは食べられてしまうもの、さっさと行かないといけないのです」 「ねえ、誰に届けるの」  僕は籠に手を掛ける。耳をぴくぴくと動かし、尻尾を振る。こうすることで大抵の人間は頬をほころばせて僕の頭を撫で始めるのだ。  少女は一瞬笑顔になったが、すぐに表情を引き締める。出しかけた手を引っ込めて、籠を抱え直した。 「わたしは急いでいるのです。そこをよけてください、おおかみさん」 「りんご!」 「っ……!」 「りんごください! 一個でいいから! そんなにたくさんあるなら一つくらいくれてもいいじゃない。ねえ、お姉さんっ」  小さな背丈に、短い手足、狼の耳と尻尾に、ふわふわの髪の毛。僕は自らの容姿を武器だと思っている。しかし少女は屈しない。籠の中のりんごはとても大切なものらしい。  わかったよ。そう言って僕は森の奥へと駆け出した。「くれないならお姉さんに用はないもん」、そう言って彼女を置いて駆けて行く。  走って、走って、僕は森の奥の開けた場所へやってきた。小さな池の横に小さな家が建っている。  彼女の目的地はおそらくここだろう。森の奥の家なんてここくらいしかないのだから。もっと奥にも人はいるけれど、そこへ向かうとしてもこの家の前を通ることにはなる。先回りして、待ち伏せして、驚かせてやろう。  僕はドアノブに手を掛ける。鍵はかかっていないらしく、ドアはすんなり開いた。住人は少し驚いた様子で僕を見た。  ドアがノックされる。 「もしもし、もしもし、こんにちは」  先程の少女の声である。やはり目的地はここだったらしい。 「はあい、どなたぁ」  まだ声変わりなんてしていないけれど、高い声を意識して返事をする。 「お届け物です」 「開いてますよ、入ってくださいな」  ドアの開閉音、そして、足音。僕の隠れているベッドの傍までやってくる。 「こんにちは、お姫様。お届け物ですよ」 「あら、何かしら」 「……お姫様の声はこんな声だったでしょうか」 「風邪気味なんです」 「……お姫様は、こんなに小さかったでしょうか」 「布団の中で丸くなっているんです」 「……ねえ、お姫様」  むんずと耳を掴まれた。全身の毛という毛が逆立った感じがした。 「ひんっ」 「お姫様にこんな獣の耳は生えていましたっけ?」 「あ、わ……」  布団を引き剥がされる。僕は身を守るように手で頭を覆った。 「さっきのおおかみさん。お姫様はどこですか? このお家に住んでいるでしょう。かわいいかわいいお姫様が。憎い憎いお姫様が」 「食べました」 「あなたに食べられるわけないでしょう。あなたはまだまだお子様ですもの」  食べました。僕は玄関を指差した。少女が振り向く。  外から入る日差しを背負って女が立っていた。りんごに負けないくらい真っ赤な頭巾を被った女だ。少女の被っている赤黒い頭巾とは比べ物にならないくらい美しい。  女は僕達に歩み寄ってくると、少女を高圧的に見下ろした。狂気を感じるような目が少女を見つめる。 「布で隠していても匂いまでは隠せないわ。それ、りんご。そのりんご、毒りんごね。森の南西に生えている危険な種類のりんごよね」 「おばさん誰ですか」 「お・ね・え・さ・ん。私? 私はそこで丸くなっている男の子の姉よ。耳も尻尾もないけれどね」  女――姉は少女の持っている籠を指差す。 「その毒りんご、このお家に住んでいるお姫様に食べさせるつもりだったの? 貴女悪い子ねぇ。でも残念、お姫様は私が食べてしまったわ。弟がお姫様を私の所へ連れてきたから、ぺろりとね。代わりに弟をここで寝かせて貴女を待っていたのよ。貴女……城下町でお花や果物を売っている子でしょう。お城の誰かに、森を長期視察しているお姫様をどうにかしちゃってって頼まれたのかしら? たくさんお金もらったんでしょうね」  少女は怯え切った様子で姉を見ていた。 「ねえ、貴女のことも食べていいかしら」 「ひっ……」  籠を投げ出し、少女は家を飛び出してしまった。お姫様の過ごす小さな別邸には僕と姉だけが残された。  床に転がるりんごを拾い上げて、姉は溜息をつく。 「お姫様がよく思われていないって噂は本当だったみたいね。護衛の人が丁度留守にしているタイミングを狙ってくるとは用意周到なんだから」 「えへへー、お姫様のこと守れてよかったね、お姉ちゃん」  姉は籠にりんごを詰めていく。 「狼に食べられた、って話が広がればしばらくの間は大丈夫だと思うけれど。……ああ、そうだ。護衛の人、ちゃんと見付けてお姫様を匿った場所を伝えておいたわよ。きっと今頃どこかへ逃げていくところね」 「お姫様とようやく仲良くなってきたと思ってたんだけどなあ。会えなくなっちゃうのかあ」 「お姫様の安全が大事でしょ」  りんごを全て籠に入れ、姉は僕のことをベッドから引っ張り出す。手を繋いで、僕達はお姫様が過ごしていた場所を後にした。  森の奥の奥の奥。獣の巣窟。真っ赤な頭巾を被った女以外、全てが獣。  僕の手を離して、姉は籠を石の上に置いた。 「毒が平気な動物もいるでしょ、その人に後であげましょ」 「赤い頭巾の狼女。さすがお姉ちゃんだよね。あのお姉さんすっごく怖がってた」 「ふふん、私も立派な狼でしょう?」 「お姉ちゃんは人間だよ」  昔々、僕が生まれるよりも前。一人の女の子が森に迷い込んだ。悪い狼に食べられそうになった時、その女の子を助けたのが一人の女の狼だった。村へ送り届けてあげた時、そこにはもう既に村はなく人は皆悪い狼の腹に収まっていたという。行く当てを失った女の子はその狼の元で娘として育てられる。そんな優しい狼が、僕の母だった。だから僕の姉は人間なのだ。  人と似た姿を持った獣と人間達との間に不可侵条約が結ばれて長いけれど、それでもやはり人間を襲う者はいるし、獣を狩る人間はいるのだ。姉は真っ赤な頭巾を被ることで人間の耳を隠している。悪い狼のふりをして悪い人間を騙し、今日のお姫様のように困っている人間を助けて回っているのだ。 「素敵な赤頭巾。かっこいいなあ!」  姉は得意げに笑い、僕の頭を撫でた。           🍎  りんご、りんご、真っ赤なりんご。  りんご、りんご、おいしいりんご。  真っ赤、真っ赤、真っ赤な頭巾はぼくの憧れ。
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