妄想コンテスト「赤」

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 静かに、染み込むように広がっていく、瑞樹茜の個展。  それがテレビにまで拾い上げられ話題になるようになった頃、人里離れた山奥で、一人の男が笑っていた。  画材が散らばった部屋だ。その部屋で男は、木製の椅子の背もたれに胸から体重をかけ、跨がるようにして座る。手にはスマートフォンを持ち、瑞樹茜の個展に関する記事を読んでいた。その男が、その場に居るもう一人の背に声をかける。 「見てくれよ、一葉。個展、話題に上がってる」  声をかけられたもうひとりの男。キャンバスに向かう、一葉と呼ばれた男は、手に持っていた下書きに使う鉛筆を下ろし、一泊置く。 「認められていると、そういうことだよ。花灯」  振り返って柔和に笑む一葉。その言葉に、花灯は力強く頷きを返す。 「この後、どうする? 俺は玲子を迎えに街まで出るけど」 「僕は、この下書きを仕上げたら、適当に何か書いているよ」 「いつものか?」 「そう、いつもの」 「仕方ないな。適当に使ってくれ」  花灯が席を立って、部屋の隅に積んであるアクリル絵の具を適当に掴んで、一葉の手の届く所に置いてやる。 「ありがとう」  一葉の礼に適当に手を振って返して「少し疲れたな」と零す花灯が苦笑する。 「玲子もしばらくはこっちに居る。一度ゆっくりしよう」 「それじゃ、僕はお邪魔じゃないかな」 「そう言うな。少し物音がしても聞かなかったことにしてくれれば、それでいいさ」 「彼女の方が気にすると思うよ。その辺り、君は気にするべきだよ。ここに居座ってる僕が言うのもどうかと思うけど」  説教臭い言葉に、顔を顰めた花灯が頬を掻いた。 「それは言うな。こっちが居てくれって頼んでるんだ。わかったよ。戻りは遅くなる。夕飯はーー」 「冷蔵庫から適当に頂くよ」  言葉を遮っての返答に、花灯は胡散臭そうな視線を向ける。一葉はその視線を感じ取ったのか、キャンバスに向き直る。 「君が疲れているのは事実だよ。この期間に15枚。本当に、少し休んだ方がいい」 「なら、一葉も休めよ」 「これが僕には、休憩みたいなものだよ」  持ってきてもらった絵の具を一葉が指差す。 「言うと思った。無理はするなよ」  そう言って出ていく花灯を見送った後、一葉は「よし」と小さく意気込みを入れる。  まずは目の前の下書き、その続きに取り掛かる。作業は、あたりを付けるように線を置いていくだけだ。色で染まるディテールを描き込みはしない。その作業が、しかし今までよりも軽やかに進む。それは、描き上げた後に待っている休憩時間を楽しみに急いでいるようで、しかしその仕事は丁寧さを欠かず、むしろ繊細さを増していく。 「彼の絵みたいに、っていうのはおこがましいよね」  一葉の視線は鉛筆の先ではなく、その一つ前の動きを追っている。既に引かれた線に視線をあわせるのは、描いた後に乗る色を見ているからか。見ているものは白いキャンバスを走る黒線ではなく、その先に待っている鮮やかで芳醇な色の世界だ。花灯がここに色を載せたならば、たちまちに世界は息づいていく。一葉はそれを知っている。 「よし。いいかな」  一葉が小さく息をつく。疲れを抜くために首を回すと、背もたれの無い丸椅子の上で脱力した。  それから、しばらく完成する絵を夢想するように、ただキャンバスを眺め続けていた。
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