従属

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従属

気絶したイリスを見下ろし、彼はそっとイリスの頬に触れる。冷たい手の感触にイリスは「ん…、」と息を洩らすが目覚める様子はない。 「チッ…、」 男は舌打ちをした。ガチャリ、とイリスを拘束していた手錠を外し、自分の上着を彼女に着せた。そのまま彼女を抱き上げるとどこかへと連れ去るのだった。 「あれ…?」 イリスは見覚えのある風景に目を瞬いた。私…、さっきまで海賊船にいた筈なのに…。この花畑は…、昔、故郷で姉と遊んだ場所に似ている。 「イリス!」 呼ばれた声に顔を上げればそこにはイリスの姉、アンリエッタが笑顔を浮かべて立っていた。 「お姉…、ちゃん?お姉ちゃん!」 イリスは駆け寄って姉に抱きついた。 「ちょ…、どうしたのよ?そんなに必死にしがみついて…、」 「お姉ちゃん!お姉ちゃん!会いたかった…!」 「ええ?本当にどうしたの?まるで今までずっと会ってなかったみたいじゃない。変な娘。さっきまでずっと一緒にいたのに。」 クスクスと姉は笑った。 「え…、だって、お姉ちゃんは海賊に攫われて…、」 「あたしが海賊に?イリスったら…。変な夢でも見たんじゃないの?」 「夢…?」 「それより…、ほら見て!この花冠なかなかの出来栄えでしょう?イリスにあげるわ。」 姉は自分が作った花冠をイリスの頭に被せた。 「フフッ…!可愛いわイリス。よく似合ってる!」 そっか。あれは夢だったんだ。本当はずっと姉と今までと変わりない日常を…、が、不意に風景が変わった。 「え…?」 花畑が一面が燃える炎の街並みへと変わった。思わず姉の名を呼ぶがさっきまで隣にいた姉は遠くにいた。 「お姉ちゃん!」 必死に呼ぶが姉は悲しそうな目をして背を向けた。 「待って!行かないで!お姉ちゃん!」 しかし、距離は遠ざかるばかりで姉の姿は見えなくなった。イリスは必死に追いかける。手を伸ばして姉に追いつこうとする。 「行か…、ないで…。」 ふわり、と優しく温かい手が頭を撫でた。この手の感触…。まるで母さんみたい…。包み込むような安心感を与える優しい手だ。イリスは口元を綻ばせた。夢ならどうか…、このまま醒めないで…。イリスはそのままスウ、とまたしても眠りに落ちてしまった。スウ、と寝息を立て始めたイリスを見下ろし、男は青い目を細めた。眠ったイリスを確認すると彼はそのまま鍵を手にして、部屋を出た。そのまましっかりと施錠する。 「相変わらずきっちりしているなあ。お前は。」 「グレン…。」 話しかけてきた男の名を呼ぶ。 「そんなに几帳面すぎても疲れるだけだぜ?」 「俺の部屋には医術の道具や器具に薬が保管されている。万が一にでも他人に触れられたら困る。」 「おーおー。さすが凄腕のお医者様だぜえ。真面目だねえ。」 のしり、とグレンは男の肩に腕をのせてくる。 「そんな真面目にならなくてもいいんだぜえ?俺達は海賊。自由気ままに…、ん?何だ。シリウス。今日は随分と甘い匂いがするな。」 「気持ち悪いことを言うな。」 不快気にシリウスは眉を顰めた。 「ははーん。さては…、女だな?お堅い顔をしてやることやってんだな。お前も。」 にやにやと好色な笑みを浮かべるグレンの言葉にシリウスは何の事だと聞き返した。 「惚けるなって。何せ、久々の港なんだ。羽目を外したくなるのも分かるさ。海の上だと女日照りが続くもんな。で?どこの娼館に行ってきたんだ?紅薔薇の館か?それとも、黒蝶の、って、おい!」 シリウスはグレンの手を振り払うとそのままスタスタとその場を去った。 「待てよ!シリウス!まだ話は終わってねえぞ!」 「うるっせえぞ!グレン!」 そのまま食堂に向かうシリウスを追いかけるグレンを怒鳴りつける人物はジャミールだ。 「酒が不味くなるだろうが!」 「それどころじゃないんだって!あの堅物のシリウスが珍しく女を買ったって言うからさあ…、」 「シリウスが?」 二人が話している間にもシリウスはさっさと自分の分の取り皿を手にしていた。 「シリウスさん。今日はこちらで食事を?」 「いや。部屋でとる。…いつもより、もう少し多めに。」 「は、はい!」 料理人はシリウスの言葉に慌ただしく働いた。 「何だシリウス。今日は随分とよく食うな。」 「昼を食べていないからな。」 「まじか!飯を忘れる程、女とやりまくっていたのか!よっぽど抱き心地がよかったんだな!」 グレンは変な方向に勘違いしていたが面倒なので否定はしなかった。 「おい!シリウス!今度、その娼館の女俺にも紹介して…、」 シリウスは最後まで聞かずにトレーを手にしてそのまま自室に戻った。 「ん…?」 波の音がする。それに、潮の香りも…。イリスはうっすらと目を開け、起き上がろうとした。ずきり、と頭が痛んだ。どうしたんだろう?何だか頭がぼんやりして記憶が曖昧だ。海賊船に潜入し、一人の海賊に捕まったことは覚えている。でも、その後の事が全く思い出せない。ここはどこだろう?すると、腕が引っ張られ、ガシャン、と金属製の音がした。見ればイリスの右手には手錠がかけられている。ベッドに鎖がつけられ、逃げられないように固定されていた。 「や…、何、これ…!」 必死に外そうとするがびくともしない。鎖と手錠に格闘するイリスだったが 「起きたのか。」 聞き覚えのある低い声にイリスはギクリ、と身体を強張らせた。そっと見上げれば、 「あ、あなたは…、」 黒髪に青い瞳をした冷たい美貌の海賊…。イリスを捕らえ、拷問した海賊…。それを思い出し、イリスは思わずギュッと胸の前で手を握りしめた。男は黙ったままイリスに近づいた。びくりとしてイリスは男から逃げようと腰を浮かせた。が、鎖のせいでベッドから降りることができない。いつの間にか距離を縮めた男はイリスの顎を掴むとグイ、と視線を合わせた。 「っ…、」 イリスは彼に殺されるのかもしれないという恐怖に駆られた。 「お前…、名は?」 「え…?」 「名を名乗れと言っているんだ。」 「い、イリス…。」 カタカタと震えるイリスを見下ろし、 「イリス…。虹の女神の名か。俺は、シリウスだ。覚えておけ。」 「は、はい…。」 イリスはコクコクと頷いた。一体どういうつもりなのだろう。名を聞いたりして…、イリスは彼の腰に下げられている短銃が目に入った。イリスはそれを見て息を呑んだ。 「お前の…、」 「こ、殺さないでください!お願いします!」 イリスは思わず身を乗り出した。ガシャン、と鎖が引っ張られる音が響く。 「私…、私はまだ死ぬわけにはいかないんです!姉の行方を捜すまでは絶対に…!」 イリスは必死に懇願した。 「お、お願いします…!い、命だけは…、助けて下さい!」 暫く沈黙がその場を包み込んだ。 「何か勘違いをしていないか?お前を殺すつもりなら、気絶した時にそうしている。」 「…え?こ、殺さないんですか?私を…、」 「何故、わざわざそんな手間をかけなければならない。無抵抗な人間を殺しても面白くも何ともない。」 「…。」 イリスは呆然とした。シリウスは短銃を手に取ると、それを机の上に置いた。 「お前の姉の話だが…、おそらくこの船にはいない。」 「え…!そ、そんな筈は…!」 「確かに、この船には攫った女達の中に赤髪の女は何人かいた。けど、そいつらはもうここにはいない。」 「ど、どういう事なんですか?いないってどうして…!?」 「海賊船に乗り込む位なのだから、それなりに海賊の世界には詳しいのだろう?…そういう事だ。」 それはつまり、その女性達は彼らの手によって殺されたか海に捨てられたか奴隷として売られたという事か。絶望がイリスの頭を占める。 「そんな…!」 イリスは俯いた。せっかくここまで来たのに…! 「いつからだ?」 「え?」 「いつから姉とは生き別れになっていた?詳しく話を聞こう。もしかしたら、心当たりがあるかもしれない。」 「…六年前です。私が十歳の時に村が海賊に襲われてその時に姉と逸れてしまって…、」 イリスは事情を話した。 「それで…、噂を頼りにこの船に乗り込んだ、と…?」 「はい…。」 イリスはコクンと頷いた。 「赤髪の女は別に珍しくない。それに、海賊に攫われた女が無事なわけがないだろう。現実的に考えて…、」 「それでも…、それでも…!私は諦めたくないんです!例え最悪の結果があったとしても…、私は知りたい…。真実を…。」 イリスはキッと強く意思を籠めた瞳で彼を見上げた。それをシリウスは見下ろすと、 「キャッ…!」 鎖が引っ張られ、イリスは身体を引き寄せられる。 「ただ泣き喚くしか能がない小娘かと思ったが…、中々いい目をしている。…悪くない。」 「っ…、」 イリスはシリウスを見上げた。彼が何を考えているのか分からない。彼はイリスを見て、フッと口角を上げると、 「気に入った。」 「え…?」 「イリス。…俺と取引をしないか?」 「と、取引…?」 「お前の姉捜しとやらに協力してやると言ってるんだ。ここは海賊船…。海を渡り、多くの島や街、国を見て回ることも多い。もしかしたら、その姉の情報も手に入れられる可能性が高い。」 「ほ、本当ですか!?」 「ただし、条件がある。」 「条件…、ですか?」 「俺の下僕になって貰おうか。」 「げ、下僕?あの、それは一体どういう…、」 「丁度、ペットが欲しいと思ってた所なんだ。…俺の命令に逆らわない従順なペットをな。」 「ペッ…!?そ、そんな…!わ、私は人間です!お断りします…!」 「断る…?お前は馬鹿なのか?」 イリスはシリウスを戸惑うように見た。 「この船の中で…、俺の申し出を断ることがどういう意味を持つのか分からないのか?ここは海の上。逃げ場などどこにもない。俺という盾を失えばお前はこの船の海賊達に狙われるだろうな。こう言ってはなんだが…、あいつらは理性のない獣だ。常に女に飢えている。若い女が船にいると知ればさぞかし喜んでお前に群がるだろうな。」 イリスはサア、と顔色が青くなった。 「それとも…、いっそのこと海に放り出してやろうか?」 どちらにしろイリスにとっては地獄でしかない。イリスに選択肢はなかった。 「わ…、分かり…、ました。あなたの条件を…、飲みます。でも、あの…、私は一体何をすれば…?」 「お前は表向きは俺の世話係として傍に置くことにする。女が船に乗っていると知られると面倒だからな。そのまま男装は続けろ。他の船員にはくれぐれもバレないように注意することだ。それから、俺以外の船員と必要最低限関わるな。いいな?」 シリウスの氷のように冷たい眼差しにイリスはコクコクと頷いた。
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