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シリウスという男
「へえ…。そう。シリウスが…、ねえ。」
「そうなんだよ。珍しいこともあるもんだよね。」
「フフ…、シリウスったら…、話を詳しく聞かなくてはねえ…。そんなに溜まっているのなら…、言ってくれれば良かったのに。」
ある一室で男女がそう話していた。女は血のように紅い唇をニイ、と笑みの形で刻んだ。
「はあ…。」
イリスは手を拘束された手錠を見て溜息を吐いた。条件を飲んだのだから拘束は外して欲しいと頼んだのだがシリウスはイリスの拘束は解いてくれなかった。勝手に逃げ出されては面倒だからという理由で拘束はそのままで彼は船員に呼ばれ、部屋を出て行ってしまった。鍵は彼が持っているのだからイリスには成す術がない。イリスはベッドサイドの机の上に置かれたお盆の上に乗った食事に目を向ける。イリスの分の食事を用意してくれたシリウスはそれを食べるように言い残した。下僕だと言われたのでもしかしたら、人間以下の奴隷のような扱いを受けるのかもしれないと覚悟していたのだがきちんと食事を用意してくれた所を見ると、ちゃんと人並みの生活は与えられるのかもしれない。そのことにイリスは安心した。でも、やはり、この先の不安は拭いきれない。これから、どうなってしまうのだろう。けれど、今はシリウスに頼るしかないのだ。姉の行方を知る為だ。それまで耐えなければならない。
―お姉ちゃんを捜す為なら…、私は何だってやり遂げてみせる。
イリスはギュッと胸元の懐中時計を握りしめた。
ガチャガチャ、鍵が開ける音がした。イリスは俯いていた顔を上げた。
「…起きていたのか。」
部屋に戻っていたシリウスはイリスを見て呟いた。
「は、はい。あの…、眠れなくて…、」
「もう遅い。早く寝ろ。」
「え。で、でも…、私はどこで寝れば…?」
部屋には今、イリスが座っているベッド一つしかない。
「そのベッドを使えばいい。」
「え。でも、それじゃあシリウス様は…?」
「別にベッドなど使わなくても睡眠はとれる。そこの長椅子があれば十分だ。」
「えっ!?」
つまり、彼はイリスにベッドを譲るということだ。
「そ、そんな…、そういう訳にはいきません!わ、私が長椅子で寝ますから…、シリウス様はベッドを使ってください。何でしたら、私は床でも…!」
「無理をして、体調でも崩されたら困る。いいから、そのベッドを使え。」
「あ、あの…、それじゃあ…、一緒に寝ませんか?長椅子だと身体が固くなりますし、風邪でも引いたら大変ですから…。」
シリウスは虚を突かれたように目を見開いた。
「…誘っているのか?」
「え?あ、いえ!そ、そういう事では…!」
言葉の意味に気づいてイリスはかあ、と顔を赤くした。
「わ、私はただ…、一つしかベッドがないなら二人で使った方がいいのではないかと思っただけで…!あの、決してそ、そういう意味ではなくて…!」
顔を赤くしながら焦って言い訳をするイリスだったが、
「色っぽい誘いとはいえないし、全くそそられもしないが…、お望みなら乗ってやるが?」
「あ、あの…、」
いつの間にか距離を詰められ、イリスはどう反応すればいいのか分からない。頬に手を当てられ、瞳を覗き込まれる。彼の表情は変わらないため、何を考えているのかは分からない。けれど、イリスは彼の瞳に目を奪われた。
―わ…。近くで見ても綺麗…。まるで海みたいに深い色をした青い瞳…。吸い込まれてしまいそう…。
今まで恐怖と不安の中でいたため気に留める余裕もなかったが彼は今までに見たことがない程に整った容姿の持ち主だ。思わず見とれてしまう。彼はスルリ、とイリスの頬を撫でる。イリスはびくり、と身体を震わせた。次の瞬間、頭に何かが被せられた。
「っ…!?」
「いいから、寝ろ。慣れないことをするな。」
被せられたのは毛布だった。イリスはそっと隙間から顔を覗かせた。既にシリウスは背を向けていた。
―冷たくて、怖い人なのかと思ったけど…、そうでもないのかな?
イリスは初めてシリウスをそう認識するようになった。
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